ピンポン

必ず、また、見るな、って予感がしました。はじめて見た時に。友人の
役者・脇山くんにはなんとしても見せたかったので、誘うついでに再度
見ることにしました。夏休みとはいえ、満員の中、2度めの「ピンポン」を
みました。

さて、そもそも、「ピンポン」を見ることになったのは、この脇山氏のおかげ
でもある。彼の「芝居」情報はおおむね外れがなく、昨今「大人計画」だの
「ナイロン〜」だのに勘付けたのも、彼の「ながやさん。面白いッスよ」という
さりげないPUSHがあってのものです。偶然「フリクリ」をオススメしたときに
その中に「松尾スズキ」が声優で入ってたのを発見して教えてくれたのも彼です。

そのうち、「クドカン」の脚本は威力がある、という話に進み、実際映画「GO」
で、その世界観ののびのびした感じが「邦画」っぽくなくて、素敵でした。
窪塚&クドカン、という「ピンポン」は自然と期待できそうな感じがしたのです。

さて、ここからは「ピンポン」の感想ですので、読まれる方は心の準備をなさってね。
気にしない人はそのままどうぞ。
ちなみに、私は原作の方を意図的にまだ読んでいません。ゆえに、映画「ピンポン」の
感想です。



感想:天才を天才として描き、それが「努力」とか「頑張る」ってものではとうてい
たどりつけないものがある、とキチンと言ってくれる作品、でした。
まず、そのことが嬉しかった。NHK「プロジェクトX」のように、頑張って、
工夫して、やりとげる!という人間努力の輝きを賛辞する物語こそが、人々に
感銘を与えますが、この作品は「才能」とか「ヒーロー」って存在をまず先に
持ってきてくれました。

なかなかないじゃないですか。天才や才能を、ただそれ、として描く作品って。
天才はスカした芝居をした2枚目俳優だったり、心象に「トラウマ」を抱えてたり、
とにかく、「自然体で、ホラ、天才」をそのままにしてくれるもの、って極端に
少なかった。

でも実際、世の中でフと出会う天才や才能のある人は、自然体であったりします。
ハナもちならない人や、キチガイみたいなイロモノな人こそ希です。
ですが、「天才」や「才能」があるので、人と同じことをやってても、自然と
だせる結果に「普通」の人とハッキリ差をいつもいつも見せますので、
人々はこっそり心に「ああ、天才がいる」とか「才能の差はどうしようもない・・」とか
静かにおさまりをつけています。
と、その風景を「だってそうでしょ」として、作品としてみせてくれてる「ピンポン」が
やけにうれしかったのです。なんでみんながそうだ!と勘付いていたことをそのまま
描いてくれてなかったのだろう、とも思うのです。

マンガでも映画でも、まぁことさら「お芝居」でハッキリしますが、人間が舞台に
ふたり立ってても、片方の人ばかりに目がとられるってことがあるでしょう?
それは「魅力的」とか「華がある」ってものであって、喋ってる量や叫んでる
ボリュームに一切比例しない。それは「才能」である場合が多いです。
自分の見せ方がうまい、などというセルフコントロールの次元ではなく、あきらかに
『意図的なものとはべつ』のものが、その人だけに発揮される魅力を放つのです。
真似も引用も、そのオリジナルにはかなわず、周りの人もただ「好き」になるほかない
ヤツです。

そうした「才能」や「天才」を、うん、そうだね。ってした上で物語をすすめる
作品ってどうしていままで出なかったんだろう。誰もが感じてて、その誰もが
語らずにいたのに、実在する「才能」や「天才」ってものが確かにある!と静かに
肯定しちゃえるものは受け入れられにくいのでしょうか。

劇中、「才能」があるのに煮え切らないスマイル君が、ペコに「ヒーロー」を
期待しつづける風景も大好きでした。私達の日常生活は、あまりにも「ヒーロー」を
軽視しすぎてる。

幼少の頃、変身ものや巨大ロボットもの、ヒロイン、ヒーローものをみて心ときめいた
思い出が、みんなにあると思うんですが、そうした思い出は大人になってからこそ
「役に立つ」もののはずなのに、私達はそれを「使わない」。
自分の中の「英雄」観、は自分が今後進んでいく方向に、具体的に役に立つ。
こうありたい、と願う方向を自分に生んでいる。

「まんがだったしね」「子供だったしね」とかちんまりした話しじゃありません。
自分がうけちまった感銘に対し、わたしたちは「受けっぱなし」なんかじゃ
すまない仕組みになっています。スマイルがピンチになるたびにつぶやく「ペコ・・」
って台詞に似た体験は、私達の誰もに心覚えがあるはず。自分が日常に意識しないで
いた、「実はあてにしてたもの」を垣間見る様子を、この映画はスラリと見せる。

そしてペコ。
努力してるシーンも見せてますが、そこにこの話の肝はなく、ペコを見つつ
一緒に歩いてる連中の視線から、ペコに抱く「ヒーロー像」が、人々を
どんな方向にまで運んでくれてしまうものなのか、を見せるのは、痛快でした。

ペコそのものの人格、とか才能、ってのよりも、そんなそのままの彼を見やりつつ
ペコに期待しつつ、「まけるもんか」だったり「いつかどこかで」という期待だったり、
彼、って人がひとり、そこにいることで、彼にいろんな「感情」をみつける周りの
人間の「ヒーロー観」。その感情があるってだけで、人は動いてしまう。
その感情があることで、ある岐路に「決心」ができるようになる。

ペコは主人公でありながら、常に「見上げられてる」存在として、実際は多大な
失態も含んでてもやはり輝いて見え、「実は彼に憧れてる」っていう感情を
含みもった人間達こそが、この物語を見せている。最後に、ペコのはつらつさは
爆発し、暴走し、ギランギランに輝くわけですが、そのノビノビさもさながら、
やっぱり、まず「憧れてる」人がどんなことまでしちゃうものか、を見せてくれたのは
嬉しかったです。ペコはただ、天才のまま、そのままであるのもいい。

才能、てもののありかたはこれでいいと思うんです。
天才ってものの生み出すものは、その「結果」そのもの、と同時に、そうした
「彼」「彼女」ってものを見てる人間達の中に芽生える「感情」も、それに
含まれる。天才や才能を目のあたりにできた人間は、その感情を忘れないし、
自分が到達できるラインってものを推察するようになり、実際自分がどれだけのものかを
試す気持ちくらいは芽生える。

だから、そうしたものを「見せる」作品は、なんて気持ちいいんだろう、と思った。
小細工な「物語」や「登場人物の描写」に凝るのでなく、作品の底辺にこびず、
えばらずに、ただ「はい、天才」「ほら、才能」と自然体であってくれるのは
なんといいものだろう。

脇山氏をこの映画に誘ったのは、この映画には「憧れる」人間が描けていて、
それも従来の邦画やテレビにあるベタな「あこがれ〜」芝居でなく、普通の人が
こっそり心に期待する姿、をしぐさ程度におさえるだけで、かえって思い入れてる
様子になることを確認したかった。それは芝居を作るサイドの人間が常々気付いて
いられた方がいいものだと思えた。そうしたニュアンスの話がどーしてもしたかった
のもあって、観劇に誘ったのであります。

この夏「スターウォーズ」でも「猫の恩返し」でもたどりつけなかった感情が
「ピンポン」にはあり、それは見終わったあとの人間に「生活にとりいれるはずの
なにか」を生みだしてくれる。「スカッとしたエンターテイメント!」ではなく、
私は私に「欠けてる」部分を埋めてくるこの作品に参った。

誰にでも誘える映画、ってのとは違うんだけど、邦画はこの方向で進んでくれると
かなりいい雰囲気になるんだけどなぁ、とオススメしたい1作品でした。

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