野澤あや

 

歌手です。知ってます?野澤あや。うたばんとかテレビ番組では
お目にかかったことはないのですけれど、ワタシの中では
「ピロウズ」「菅野よう子」に続いてこっそり並ぶ「狙い目」の
アーティストです。

出合いはアニメです。それも「緑川高校/甲子園編」なる「野球アニメ」の
劇場版・エンディングです。作品そのものはやたらめったらに濃い作品で
大笑いしてちょっとホロリとして、そのエンディングが流れたときに
「お!」と硬直しました。
作品そのものの持つ「周りのことなんてシラネー」ってなテンションが、
なんといいますか、このエンディングの曲によって、ただのハチャメチャでなく、
きちんと立ち位置のある「冒険者」に仕立てなおされたのです!

「遅れてきた勇者たち」とクレジットに乗ってたので、さっそくそのCDをば、と
探しにいきますと、いきなり「廃盤」でした。つーか、メーカーが消えてました。
歌手の名は「野澤あや」までわかってるのに、店での注文でも買い付けられないと
あっては、ながやお得意の「中古めぐり」に突進するしかありません。

私は一旦買うときめたら10年くらいは延々探してる人柄です。
そのおかげで最近もジョージルイスの「世界は日の出を待っている」を入手
できましたし、AECの「Old Time Southside Street Dance」も入手
できましたし、生産が中止されていても必ず手放す人がいると信じているので
野澤あやさんもきっと見つけることができるもんだ、と決めていました。

アルバムの名前も「あやっ?」だったかと思ってたのですが、それより先に
他のアルバムを見つけまして買いました。その欲しかった曲からかれこれ
三年くらいしてから、中古屋でフイにお目当てのアルバムを見つけました。

聞き直しました。
「遅れてきた勇者たち」というその曲からは、どんどん歩いてゆく人間の
気負いない元気さが歌われていました。ま、そんな曲なら他の歌手だって
歌っています。その歌手の歌ってる歌はどれも他の歌手の放ってくるものとは
別のような、ひいきに値するガッツを感じてました。

「おもいカバンに詰めた
 堅い表紙の参考書よりも
 天まで駆け上がった
 あの頃の虹が欲しい」

ではじまるその曲は、ただこの歌詞だけでみるとキザに歌ってしまいそうな
ものなんですが、この野澤さんのボーカルにかかって、その曲にのせたときに、
人が「ヨーッシ!」と意気込んでガッツだしてハッスル奮発して走り出す
瞬間の感情でパンパンなスタミナいっぱいの感じがみなぎってくるのです。

「奇跡 起こせ
 あの汽車に 遅れてきた勇者たち」


ああ、そうか。遠藤響子さんと似てるんだ。
世間で「勝ち組」とかいう表現がありますが、まぁそれは、きっと社会でうまく
勝ち抜くって話しなんでしょうが、まぁきっと、そーゆーのを気にしてれば
勝てるんでしょうが、そうしたスタンスでは「見過ごす」歌なんです。

私は、そこを見のがしたくない。一番おもしろいのはここなはず。
人がただ、スックと立って、ちょっと高ぶる気持ちを抑え気味に「ヨッシ!」と
鼻息を荒くしてる姿勢は美しいでしょ?その姿を私は目の当たりにしたい。
そしてそこに居合わせたい。

それはね、「勝ってる人間」ではないし、「元気な人間」でもなくてね、
「今、そこでようやく手に入れたばかりのガッツや元気」に心底喜んでる
人の姿。そのうれしそうな瞬間にしか放てないものが人のオーラのようなものかも
しれないんですが、それを真横で見たい。それは誰もにしょっちゅう訪れる
ものではないし、よほど気にかけてないと見のがすものなんだけれど、
期待して、探して、出会ったその瞬間は他のどの感情にもなしえない
「満たされた」気持ちになれる。

野澤あやさんの曲にはいつもその風景がある。

「巻き起こせ 熱い風
 冷めかけた 地上に」


周りの状況が今、どうであるか、ではなく、
ただ立ち上がって、鼻息ムフー!な人は、周りの事情や状況以上に「オレイズム」
パンパンな状態なんだけれど、そんな人だからこそ、どこからでも歩き始められる。
どこからでも、どんな方法でも歩きだせる人間こそが、もっとも「強い」と
呼ばれるに値する人間。腕力でも知識量でもなく、自分と自分の周りに依存することなく、
スックと歩みを始められる準備と思い切りが、「いつでも」ある人はある人を
見かける時に、私達はこっそり「畏怖」の念を感じるはずだ。

そーゆー人は、いつ、どこから、フイにいなくなるか知れない。
だから継続してなにかしていかないといけないコミュニティにあっては「無責任」な人、
とかいうカテゴリにしか入れられない。
あいつには大事なことが任せられない、と組織では言われるかも知れない。
ま、どっちの非難も、その「歩きだせる」人にはピントがあわない。

その人の中に、歩き出す理由が見つかった時点で、もうまわりののこと以上に
歩き出す理由があるのだ。さんぜんと、ギランギランの太陽のような巨大で熱くて
明るすぎる目標が光り輝いてしまっているのだ。それを追える人間を非難できる人って
いるのかな?

私はうれしそうに、ただただまっしぐらに進んでる人間をみてるだけで幸せな気持ちになる。
それが「正しいか正しくないか」は、ここにあってはその人を計るモノサシにならない。
その「気持ち」を発露させてる奇跡をただとっくり味わうほかないじゃないか!だろ?
みなぎるような、ただただ「本気」で「うれしそう」な人は見るに値するよ。

野澤あやさんは他にも「バトシーラー」などの子供アニメの曲に歌っています。
子供の頃にこそ聞いておいて方がいい「気持ち」をやっぱり作品を変えてでも歌って
います。野澤さんの曲には姿勢があります。それを歌にできて、それを出しつづけてる
気持ち良さは、他のどの歌手にも変わりがつとまりません。

いずみたくさんの「進め!アンパンマン号」という曲もそうです。
病床にあって、死を前に完成させた曲とは思えないほど、たくさんの明るく元気な
気持ちを放ってくる作品です。この曲が「ただの子供アニメの挿入歌」である人は
もったいない。人が死際にあっても、まだ見据える光に気をとられることができる
ことを、この曲を聞くたびに感じるのです。

このごろの音楽、売り上げが全体的に下がってきてるそうですが、それでいいと
思うんです。やっぱり音楽そのものの持ってる面白みや素敵ぶりに、メーカーは
もっと力を出して欲しいですし、見つけだす目を感じさせて欲しいものです。

野澤あやさんはきっとこのままマイナーなところから歌いつづけてくれるでしょう。
私はなんの力にもなれないけれど、大好きだ。いい歌だ。これからもずっと聴く。

なにか見失いかけて、調子がはずれまくってるときに、正気を取り戻させてくれる
大事な大事な曲をたくさん作ってくれてありがとう。応援しております。

 

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