アリーテ姫

ある種の「そう明さ」というものをわたしはとってもほしがって
いるわけでして、それはやっぱりなんだか自分に欠けているなにかだと
思ってるわけでして、それを気にしてるから、どこかにそうした
「そう明さ」を予感させるものがあると聞くなれば、よいとこさ、と
近付いてみて、せめてなにかをと、うろうろしてしまう。

アリーテ姫という作品が単館上映されている映画で、極めて短い期間に
こっそり上映を終えている、までは知っていて、それをジャガが見てて
ほめていたし、地味な作品だという話にも大変気になるものを感じて
いたので、やっぱりどうしても見たかった。

地味な作品で、単館上映で、わたしがそう明さ、ってものを期待してるという
複数の理由から、アリーテ姫という作品を見ました。

童話でした。童話って昔、読みましたか?わたしは幼少のおりに父も母も
童話を読んでくれた記憶があります。アリーテ姫を見終わって、その童話を
思い出しました。随所にCGによる高い映像表現がちりばめてあるにも
関わらず、この作品は地味な色ばかりを使っているし、派手な演出も
ないし、露骨な「どうだい!この映像美!」なんてな無駄な誇りもなく、
ただ「見やすい」、そして「よい、作品」でした。

主人公のアリーテ姫は本が好きで、人々の生活を思い遣ることのできる
少女で、ゆえに世界から魔法の宝を持ってくる騎士にも、あまりふつうでない
対応をみせますし、そう明な解釈を語り、言われた方はいつも
自分のことをすこし顧(かえり)みるのです。

きちんとした言葉で、少なく、ものごとは語ることができます。
それには聞く側というものにも、相応の想像力とか、解釈とかある程度の
そう明さがいるものですが、ただそれは一見退屈な形をしていますので、
その地味さやのんびりさに「つまんねー!」ってかたづけやすくもなって
ますから、なかなかみんながそうであることは期待できません。

言葉が増えてしまうのは、相手か自分かに壁があるか、怯えがあるか、
その取り壊しからはじめないといけない手間に時間がかかるのです。

アリーテ姫はその年令からは大人びた言葉を使いますが、つまらない
遠慮やかけひきのない分、忌憚(きたん)なく本音に近い言葉で
スイ、と人様の気持ちに入ってきます。柔らかく、短く、人の気持ちに
入っていける言葉を発する人は、そう明なものです。

そう言った意味から、私は暴力より、大声より、ある種の「そう明さ」の
方が威力があると思ってます。そう明さは多くの人に長く潜伏して、広く考える
視野を与えて、その人のやり方にあわせた豊かさを発想させます。

アリーテ姫という作品に感じるそう明さは私にはうらやましく、
好ましく、豊かだな、とうれしかったです。日本のアニメが世界を
席巻し始めている時に、スタジオ4℃ってところがこうした作品を
みせてくれたのは実にうれしかったでです。

わたしが親ならアリーテ姫は子供にみせます。自分が言葉を探し出すあたりから
子供の着想はグングン伸びることができます。

童話のもつ威力は「子供向け」なんてなたやすいところのものじゃなく、
もっと生きざまの奥底に届く場合が多いでしょう?この作品はそこに
すとん、と立っている作品なのです。柔らかく、2時間過ごしたい人は
この作品を見て下さい。

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