オーバーマンキングゲイナーにみたもの

情熱、とかいうヤツがあればあんまり事情や年令などの
「その他大勢」のものにガックリしないで済む生活ができる。
血のたぎるものへはグングン自分から突っ込んでいく気持ちがないと
いけない。

もちろんそれにたどりつけてない時の日々の生活の潤いのなさと
きたら、なんともはれぼったくてツマンなくて、張り合いがなくて
いけない。

んで、前にもそんな気持ちになって悶々としてた時があったんだけど、
そン時はお芝居のワークショップとかにでかけて、見事再起を
はかったんだけど、このごろの悶々はどーもそんなんじゃ解決する
類いのモンなねーなぁとは直感してたので、その発見に結構神経を
使っていたのだった。

そんな折り、WOWOWが無料放送する日ってのがありまして、
そのプログラム内に見事念願の「オーバーマンキングゲイナー」なる
富野由悠季監督の最新作が入ってました。この作品、ちょっと前から
気にかかることがありまして、そのくせWOWOW入ってないもんで
いっつもスクランブルにギリギリしておった次第ですが、このたび、
っつーか、ついさっき、やっとこさ見られたわけです。ふー。

気になっていたのはオープニングです。オープニング見なくちゃ!と
期待をパンパンにさせてたわけです。その理由は今月でたサントラの
タイトルが「ハラショー!」だったことと、その表紙のイラストが
主人公ロボットとおぼしきものが、モンキーダンスみたいなポーズを
つけてたことで、「?!」と尋常ならぬ期待ガムックムクと
ふくらみまくりまして、そのうえNEWTYPEなどの雑誌も
その表紙をほめる発言をしてたりして、オヨヨ、オヨヨとひどく
ノドの乾いた感じになってきまして、飢餓感にも似た状態でその放映を
みました。

ちなみに、ながやは気に入った作品部分は1時間くらいは平気で
くり返して見てます。おもしろくって仕方なくなってくるからです。
例えばそれが映画の一部分でもくり返しくり返しくり返し見てます。
ハタ目には恐いです。嫌です。かーなーりーオッソロシイ風景です。

そんな時、わたしは至福に包まれておる状態です。核戦争とか起こってても
あんまり感知しない状態に入りきっております。
そこに今まで触れてこなかった「なにか」があると、なんといいますか、
少なくとも記憶して思い返すだけで「うわぁ・・・」と気分が高揚
できるくらいまでには覚えきります。しぐさや表情を覚えこむまで
ひたっすら見返します。

オーバーマンキングゲイナーは案の定、富野演出の効いた作品でした。
作品そのものの展開、演出をわたしがみたかったのではなく、
「この作品を作ることで、どっちの方向に突破口を期待し始めていけるか」
をみせてもらえそうな気がしたのです。それはたぶん「野生」の方向と
推察してるのですが、んまぁそんなことはもうこの際どーでもヨロシイ。

オープニングよ!
あのオープニングはなんなんよ?!
イッカス〜〜〜〜!
そう、音楽合わせのオープニングにはあんまりふつうでないカタルシスを
みつけるワタクシですが、久々にビビッときました。
作品そのものよりも、このオープニングに「ブレイクスルー」されました。
見終わって「あっはっはっは〜」と大笑いして、もうそっこからは
ひたっすらビデオの巻き戻し、2度見てやぶにらみになり、3度見て
目が座り、4度見て音楽にようやく気が回り、パソコンに取り込んで
コマで送り込んで仕種をみまくって、少しづつ、肌の中にその作品の
エッセンスを吸い込んでいき、腹の底のあたりから「これだ、これだ」
なる得体の知れないうれしい気持ちが込み上げてきました。

うれしかったなぁ。こんな時代にあって、こんなモノが作れる人は
よっぽど世の中に離反してるのか、タフガイだよな、ってうれしかった。
つまり本気すぎては世の中にペシミスティックになってふてくされて
「もうダメなんじゃん」としみったれちゃうし、
かといって無分別に快楽を追うとか軽妙さにバカさを加えてお軽く
できるほどに演出上手でもないので、捨て去る思い切りもないときに、
「その他」ってカテゴリーのような顔つきで、こんなオープニングが
ヌケヌケと放映されてると、もうなんだか、うれしくってね。

ああ、そうか、いけるいける。まだある。手がある。
そーか、ふっふっふ、あっはっは、バッカみたい。ヨッシ!ウッシ!
と、いわれのよく分からないガッツばかり燃え立ってきましてね。
なんなんでしょうね。「スッゲーいい気分」あたりからスタートする
気持ちになりました。

あの、
わたし、エッセイでよくアニメについて語ってますが、
あんまりアニメとか邦画とか洋画ってくくりで映像をみてません。
おもしろけりゃ芝居でも邦画でも延々語っていたいアホウです。
アホウ結構!そのヒットレートが今の時代にアニメと小劇場に
見つけやすいってことなのよ。唯一、わたし、家庭用ゲームって
やってないので、そこがごっそり抜けてるんだけど、ま、この
ゲーム以外はそこそこ把握してる気分ではあって(意味ねー)
んでもって、ここで「オーバーマンキングゲイナー」をグリグリ
プッシュしてるのは、そこに今の病んだ日本のフキョーとか
リストラとかヤルキねー若者とかの「こだわっててもつまんねー」
ものをポーンとすっとばした視野があって、そこにスタートラインが
見えて、「ヨッシ、じゃあ行こう!」と一見無神経のように
見えてしまいかねないイキナリな「楽しさ」が放逐されておるから
なのですよ。

そう、いつもどきどきするものに出会う時の気持ちは似ている。
今、そこに立ってるだけでは見渡せるものが目の見える範囲でしか
ないときに、うんと、うーんと向こうの方から、目の見える範囲の
外から、威勢のいい、そしてむやみにたのしいものがひとつ、
ポーンと投げ込まれてくる。
今、そこで過ごしてて「ああ、ああ」とうつむきかけそうな時に
「ふっ。あるぜ、あるんだぜ」と意味深な笑みを口元に浮かべて
やってくるタフガイ。それがドキドキする気持ち。

案の定、期待したくらいにこちらの予測が出し抜かれ、
なおかつ期待してた以上にうれしくさせられて、
あああ、なんてことしやがるんだ!ありがとう!と心から叫ぶ。

あーん?「オーバーマンキングゲイナー」のオープニングごときに
浮かれ過ぎ、だとぉ?      いーや、過言じゃないね。
つーか、エッセイページにこんだけ書けてるだけですでにすごいじゃん。
うれしいんじゃん。
で、もしかしたら他の誰かもおんなじくらい嬉しいかもしんないじゃん、
そう思うからついついおせっかいみたく長々と書くのね。

アニメファンに向かってもいないし、若者にも向かってないし、
結局は富野監督が見つめようとしているものをみるわけで、
それが作品ってもののわけでさ、そのオープニングにあれだよ?
すっごいなぁ。うれしいなぁ。うれしいなぁ。
本編はまぁいい、オープニングみてよ、煮詰まってる諸君。
あれはいいぜぇぇ!!

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