すりきれきってしまうまえに
ナディアパーク写真

アジアンカンフージェネレーションの曲の中でも「遥か彼方」は
特別いい感じがする。カーステレオにつっこんでいてもこの曲に
さしかかると自然と手がリピートボタンにかかってて、30分くらい
ひたすら聞き返すくらには好きなんですね。

負けこしてるんですよね、この歌詞。てんで負け越してる。
加えて、勝算もあんまりない感じなんスよね。それでいて、
力づくでなんとかなりそうなことじゃ、本当の自分の気持ちに
役立たないってことも見越してるんよね。

なーによ?じゃあ、いったいどうしたら満足なんよ!
とか、いうんじゃなくて、ああ、嘘をつかないで、テキトーに
答えたくないときには、こういうスタンスに立ち戻ればいいのかも
知れないや、って、思いました。
はっきりさせちゃうんじゃなく、鈍く、憤るようにみえながらも
それを保持し、本来自分が期待してたものを見据える目線のようなもの。

どこに「立っているか」が気になる歌だったんです。
なんだかどこか怒っている感じがする。もがいてる感じがする。
傷付いてる気もする。疾走感もあるけど、それは力任せにしては
なんだかいろいろ考えてる気がする。考えないわけにはいかない
理由を持ってる気がする。

そこいらのバカヤローやロックだーパンクだーの音楽と区別したく
なるのは、その「力づくじゃどのみち納得いかねーんだ」の感じが
ひどく共感できるからなんでしょうね。

自分の心根の中に、ある期待があったとしても、それを実行に移すと
なんだか別のものになることってのが現実にはある。
んで、その結果にガッカリすることが多かった人間は、その
期待してたものと、実際に手にしたもののギャップの大きさ、多さに
随分うんざりして、今度は「失望しないために」もう実行をしなくなる。
実行しないとなると、今度は「しても無駄」な「期待」をしないように
心掛ける。それでも、どこか自分が見送ってしまったものが本当は
心底欲しかったものだとも脳のどっかがぼんやり覚えていやがるんで、
人間はイライラしちゃうんだよな。

そんな辺りをアジカンの「遥か彼方」は歌ってくれた気がする。

私は本来怒りっぽい方だし、忘れないでいる人間ですが、ヤンキーども
みたいに「ただ短気」なのが大いに嫌い嫌い大嫌いでして、「自分の
思い通りにならない!」って怒り方は、なんか、下品な気がするのです。
(ごめんな、ヤンキーども。)
それでいて、この、震度1以下の微震みたいな怒り方に誰か言葉を
くれないか、って思ってましたところに、このアジカンの曲が
うまーいこと、合致させてくれました。

怒ったあと、がっかりしたり悲しくなったりしきってしまうのは
私は嫌なんです。怒った理由を、はっきり使いたいわけです。
あの「キョーレツに怒りまくった」あとの虚脱感や、へこみきった
気分は、本来私が怒り心頭した気持ちを、どこか、なにか、別の感情で
ごっそり隠しちゃってる気がするんです。

「たっぷり怒ったろ、もういいだろ。さあ、その感情を横に置いて、
ほら、さあ、気持ちを持ち直そう。さあ、泣いて。さあ、悲しんで」
そんな「相殺」みたいな感情の使い方が、どこか、しっくりこないのです。
ゆえに、「怒った」感情をもっと、もっと大事にしたいんです。

怒ったろ?俺。
めちゃめちゃ怒ったろ?怒った理由がたんまりあるんだろ?
でもまあ理由なんてどんなにうまく言えたって「あとづけ」の
テキトーなモンだから、理由なんてどうだっていーんだ、この際。

でもね、「怒った」ことをわすれねーかんな!
絶対わすれねーかんな!
怒った、その感情の、本物さを薄めるような「他の感情」で
水増しすることになれちゃうと、なんか、どんどん、失うんだよな。
なにを、ってんじゃないけどさ、うまく「しのぐ」生き方ばっかり
覚えてると、ホーント、自分で自分のダマしに気付かなくなることが
たくさんあったもんな。
怒ったら、なるべくピュアに、その怒りを混じりっけなしに、そのまんま
覚えるんだ。そして忘れない。理由付けしない。

なにをされたか。なにを感じたか。

そのまんま覚えておくんだ。

怒った後、悲しくなったり気持ちが擦り切れることがある。
それはもう、本来怒った気持ちとは別の感情だし、擦り切れるところに
自分を追い込めるのも自分だけなんだと思うと、なんか下手な役者
みたいで、借り物の感情を取って付けでみせてるような滑稽さを
覚えるのだ。

怒ったら、怒った自分を信じてもいいんじゃなかろーかね。
擦り切れるような感情へ行く前に、たっぷり「怒った」事実を
自分のものとして、見据えるのが、よほど本当だと思う。

アジカンの「はるか彼方」にはそのスタンスがある。
拳を振り上げろ!的20世紀ポップスよりも正直なブサイクさがあって
とても励みになるんだ。そしてうれしい気持ちになれるんだ。

 

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