まぁこんな世の中だ

一蓮托生に、共に滅びてゆくことはない。若者は老人を忘れて走る瞬間も
大事なことだ。家族というものを持つと選択した人たちはその責任を
負うときめた人たちだから、それはそれでいい。

このごろ切に感じるよ。いろんな先人達のしでかした失態のしりぬぐいを
後発の僕らは負わされるだけの未来ってのがよく見えるよ。
真の意味で責任を負わなければならない人っていうのは、その責任が
発生するころには他界してやがるんだ、ちくしょう。

敬いやねぎらう気持ちが大事で大切なことを重々承知で敢えて叫ぶぞ!
それでも僕らの人生の先輩どもはうさん臭い失敗をたんまり残していきやがった!
ツケは若者が支払うんだとさ!!ばっかやろう!いい加減にしろこのやろう!!

なにかを抱えた状態から走り出すことをうまれた時から強いられた私達の生き方が
どんなに窮屈で退屈で起伏に乏しい些末なものか、一斉にみんな気付いているから
かえって大声で叫ぶのがかっこわるいみたいな雰囲気なんかにしやがって。

ぼくらの気持ちがこんなに不愉快で発散不可なところに追いやられるのは
どう考えたって不自然だし人為的だよ。だろ?そーじゃないの?

僕らは正当に怒るだけの不愉快を押し付けられているんだ。
「怒らない、というだけの温和」なんてのは優しさじゃない!アホに等しい!!
「人を殺(あや)めない、ってだけの平静さ」で生きてるようなもんじゃないか。
悪いことはしません、ってだけの、そんなやましい程度の心持ちで毎日毎日
生きてるだけに疲れ切った人たちが自殺に突っ走ってる。

自殺なんかするな。
本当に怒りをぶつけるべきものを見定める方が先だ。
みんなわかってるはずなのに、一斉に黙ってるのは一斉に加害者の加担をしてるからなんだろ。
社会でちゃんと生きてますっていう「一斉に加害者」である静かな確信犯。
地球温暖化?津波?森林伐採?オゾン層破壊?滅びるよ、人類。こんなまんまなら。
間に合わないことをやってるもの。手にあまる「好き勝手」をしていながら
あわてて見えてるだけの傷口にバンソーコーを貼るようなもので、実際の
患部の肥大さは「見えなかったからわかりませんでした」っていうつもり。

ここに書きたいのはね、憤りっていうのが正当な感情であって、その直感によってなら
たどりつけるところがあるってこと。
それは「正しい」とか「合っている」とかいうものなんかじゃなくてね、
「理屈はわかんないけど、まぁ、そうだよな!」っていう直感にたよる視線。

どうしてこんなに感性が許されないんだろうって思ったことない?!
おかしいよ、実際。生きにくいもの!!!!だろ?生きにくいだろ?!?
「言っても無駄だから言わない」程度の「無言」も役に立たない。
「言っても無駄なのに言う」のはエゴなのかもしんない。
「言っても無駄なのに、それでも自信満々に言う」というのもありだろ?
「言っても無駄だろうけど、聞けー!!」って言ってみない?

わたしたちが一斉に感じてるこの「波立たない不幸せさ」をば放置すんのはやめにしないか?
静かに、ただ静かに「少しずつ、いつも、気づけないくらいの量、毎日悲しい」のはオカシイよ!!
絶対!!

そういうものに、目が向いていたい。
そこに与える感情の言葉なら私は信じられる。それは新しいものじゃないけれど、
それにあてはまる言葉は「詩」でしかあらわれてきていなかった。

んー、なんか得体の知れないことをながやはのーのーと意味ありげにホザいていやがると
いうのならそんでもいい。
そうさわかってる、自分のことなんてすっかり棚にあげられるからこんなことも書けるのさ。
でもネットにこんなこと書いたら誰か似た感情を知ってる人がいるのかもしれないと
思って打ち込んでるんだろうな。今。

一番、見なくちゃいけないものを、まっ先に「なかった」ことにしてる側にいるのは
なんだか疲れるんだよ。直感で薄々分かってる自分達のぶざまさは、自分自身では
騙せないから、そこに毎日毎日私達は傷付いているのだ。だから、悲しい。
だから、子供は傷付かないところから発言できる。
だから、老人は言葉を多くつむがない。
だから、若者は言葉が足らない。
だから、成人以後は下手な役者のような大人ばかり増えるのだ。
ほとんど気付いておいて、なんにもできないことを赤裸々にできないのだ。
その正視に耐えない。

「気付いてることは、あんまりない」なんてヤツ、そうそういないよ。
いろいろ気付いてるから、黙る、のだ。

それは、逃避、と呼ばれる。

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