外を見ろ

半年くらいの間にとにかく怒って怒って叱って叱って他人に
仕事を教えているんだけど、何回も何回も「辞めます」って言葉を
聞いてる。「言わせてる」という方が的確かも知れない。

それは私以外の誰かが上手に怒ってくれればいいんだけれど、
「怒らない人」というのは存在するもので、それは比較的「他人」が
理解できないってことが普通みたい。

だから「他人が怒れない」人は優しいんじゃなく、「他人がわからない」
ことが多い。話してて「お前じゃ話にならない」って片付けられることが多い。
自分も言わないから、あなたも言わないで、というスタンス。

可哀想だと思うからなんとかしてあげたくて一生懸命伝えるんだけど、
なんせハナから他人を許容する(受け入れる)準備がないから言葉が入っていかない。

もうひとつ加えるなら「他人を怒れない」人は「自分はできません」と言い放つ。
「もう限界です」とか「みんなはきっと私のこと、いないほうがいいと思ってます」とか
本当に他人に触れる前の想像力だけで話を自分の中だけでもりあげてる。盛り上げた
挙げ句に、自分で自分に負けて「もう嫌んなりました」という。
正直だけど、意気地がない。事実、こちらの「実際に」思ってることなんて聞いてもこない。

自分の頭ン中でうまれたものに、自分で負けてしまう。実際に身の回りに起こっている
ことに目も向けられないのに、想像の中の「自分なりの現実」とやらに勝手に負ける。
実際の他人や実際の現実がなにもその人に迫りかけていなくても、その「想像の現実」に
さっさと負けたがってる姿勢でいるんだなあ、とまでは分かった。

そういう人は「どうだめであるか」とか「ダメである理由」などのデティールが実に
緻密で、話せばちゃんと全部話せるんだけど、ダメなものをどう上手にていねいに話せたって
聞いてる側にしたら疲れるだけだし、まず、面白くないのである。

わたしが特にいいたいのは
「お前の分かってるもの以外のことはどうでもいいんだろ?!」ってこと。
自分が知ってるものの中だけのものでとりまわして、過ごして、「困らなければ」それで
いいって人は驚く程多い。悪い、とはいわないけれど、正直なところ、迷惑に思うことも
ある。「自分はこうなんで」とか「悪いのは分かってるんですけど」といった言い回しを
してくるんですけどね、これも聞くに耐えない言葉ばかりだったりする。
なんかね、
その想像力のなさに、実際の「生き方」が露骨に危機に向かってしまうもなんだ。

自分の知らない世界、ってやつにむける想像力がないことで、実際の生き方が小さく小さくなってる。
現実が、想像力の量によって方向も、センスも違ったものになる。

自分の知ってるものの外からやってくるものがある。
自分が今知らないところに出てゆくことがある。
なのにそうしたものを「なるべくない、ってことにしておいて」って人がいる。
んー
まー、
いいけど。
周りが困らない程度であるならいいけれど、
困ってるんだよなー
それでいて
「自分はこれでいいと思います」なんだよな。
よかねーっつの。

「わたしは」「ぼくは」と自己主張するのなら、自分がしてる主張分くらいは他人の
主張が入る余地があるべき。
他人の話は聞き入れないけど、自分の言いたいことは聞いてほしい、のは
なんといいますか、なんといいますか、
かっこわるいです。ぶざまです。

とか書いておきながら、私はノーノーと他人にあまりある主張をがんがんするほうだし、
いったん怒ると相手が泣こうが困ろうが止まらない方だし、いったんきめると10年
20年のスパンで曲がらなくなるという偏りが人の数倍あるわけで、
上に書いてきたようなきれいごとを書くには値しない人間なんだという自覚もあるくせに
のーのーと書いてしまえるのは、こうした言葉のどこかに、他人の誰かが心覚えのある
感情が共有できるかも、というかすかな期待があるからですね。

思い込み、とか狭量な判断材料だけで生きてるってのは、もったいないです。
知ってるもの、は、ほら、あなたが今触れる頭。はい、ほら、さわってごらん。
両手でホールドできるサイズの頭骸骨程度の大きさがわかる?そんな大きさの中にしか
入ってないんだよ?そんな量のことだけで決めていっていいのかしらん?

考えるんじゃない。分かる、のが大事。
知ってる(Know)と分かってる(understand)の違いは”経験””体験”を経て入手した
知恵であるか、ないか、の差。
体験が少なすぎるまま、いろんなことを決めることばっかりの現代っこの不幸、なんてな
言い回しもありかもりんないけどね。それじゃ、正直、面白くないのよ。

言葉にまける程度の生きざま、じゃ誰にもものなんて言えないもんね。
戦争経験者の雄弁さに、ヤングが「戦争反対」とやわらか〜く同調しても
やっぱり、目に見えない威力が、備わっているものが違うことが、わかるものね。

ま、面白くない経験もたくさんあるし、とりかえしのつかない経験も気持ちを傷つけるけど
へこたれたり、悲しめる、という気持ちを知るのも、そう、悪くない。
それは他人を理解するのには絶妙なスパイスになる。
うん、それは本当。

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