続・運河の話

本日私の暮らしている町に大雪警報が出てました。さもあらん、実際雪は
てんこもりになってつもっている。愛車ジムニーのワイパーも立てておいたよ。
(その実ワイパーを立てておく理由は知らないときてるから私ってば!)

さて、「続」と表題にあるのは、今2005年12月18日現在、パリとも
トップページは以下の文章が載っているからです。

運河、というものが気になる。

陸上で重いものを運ぼうと思う時、重いものをそのまま抱えればその重さを
すべて受け止めることになる。

そんなとき、水に浮かせて運ぶことができると、ずいぶんと軽く動かすことが
できる。

私は世の中の発展というのは、水に浮かべて運ぶようなものだと思っている。
運ぶ、そのことにも理由や美意識みたいなものがあると、もっと意義深い。
その点、運河は風景も美しく、誰がいてもなじませる魅力がある。

実際の世の中は、重いものをその重さのままにしてホラがんばれ、やれ運べと
運ぶ手立てばかり増やしているように見える。
車や飛行機や、力づくのものばかりが増えているように見える。
見てくれも悲壮さがあったり、エゴイスティックなごう慢さを感じる。

優雅じゃなくてもいいんだけど、姿勢よく生きることができたらいいな、と。

んん。
とまあせいぜい2ヶ月しないうちにトップページは更新されるのでここに再度引用
しておきました。トップページにはなかなかその時々に気の利いたことを書いてる
つもりなんだけど、エッセイみたいに継続的に記録残してないし、どんどん消えていってる
のね。

アメリカの湾岸戦争のことがテレビでやってました。
アメリカの軍産複合体の成長をアイゼンハワー大統領は恐れていたそうです。
どんどん管理国家、全体主義国家になっていくアメリカを、アメリカは自力で
立ちなおせるのか、っていう危惧をその番組は発信していました。
ま、この際アメリカなんかどうでもよくって、イラクの一般住民の言ってた言葉は
心に残りました。
「アメリカはあれだけの力を持ってるんだから、大国として相応の振る舞いをして欲しい。
今みたいに好き勝手をふるまうだけでは、誰も味方になってくれないし、敵ばかり
作っていってしまう」といった旨のことでした。

うんそうよね。「他人の国に軍隊を持っていく」ことはそれがすでにひとつの答え
だと思います。
さて、今回のこのエッセイではそんなこともどーでもいいのです。

この軍産複合体とやらに、湾岸戦争以後、もうひとつ力が加わってきた、ということを
その番組は言ってました。
「シンクタンク」というものです。
ブレーンです。情報や、計略を専門的に分析、引用する人たちの集まりですね。
軍隊や政治家の人に「情報」や「戦略」を提言する人たちですね。(たぶん)

で、情報そのものはピュアに入ってきたり、集まってきたりしてるんだって。
でね、それを使ってもらおう、とか、情報を加工して使いやすいものにしたりして
シンクタンクさんたちは世の中に役立つことをしようとしてるわけです。

んでね、実際起こったことは「偉い人たちや、軍隊の力を持ってる人たちが
『自分に都合のいい部分だけ切り出して、誇大にして、宣伝に使っただけ』になり、
正確な情報や、もとの役立つ『本当さ』はかき消され、使いやすい状態で
自分勝手で一方的な見方を助長するようなもの」になっちゃったんだって。
ふっ。
ちゃんちゃらおかしいですね。

話がそれてるついでにもう一つ。
同じ日にテレビで「グレートマザー物語」がやってて、フジコ・ヘミングさんの
話だったの。どこかふてくされたようでいて、どこか不満げでいて、面白くなさそうな
表情の多い人でしたが、それが1年2年のものではなく、その生きざまそのものに
ずっと続いてる人だったんです。

うん、そんな顔してたらみんなも優しくしにくいよ、って感じすらしたんですけど、
彼女はそれを隠したり、上手く見せたりしないで、ただ正直に貧乏も非難も受け、
それらに「勇敢に立ち向かったりせず」に、ちゃんとふつうの人のように逃げ出し、
それも何度も何度も、オーストリア、スウェーデン、日本、アメリカととにかく
コテンパンなところを真正面から請け負ってしまい、本当に悲しくってシンドくって
面白くない生き方を「がんばったり」せずにうちひしがれながら、生きてきた
話でした。

ただ、その正直さは信じられた。
そうした生き方のぶざまさは、フジコさん本人には本当に過酷だったろうし、
自分ががんばってもがんばっても報われなくって、悔しくって、悲しくって、
なぐさめられなくって、貧乏で、砂糖水飲んでふて寝して、たまにやってくるチャンスも
ことごとく派手に失敗して、そのたびに逃げ出して、逃げ出した先でもいいことなんか
なくって、それでも生きてなくちゃいけなくって・・・・・

そんなことの繰り返しを一切合切隠さず、なかったことにせず、そのまんま
持ったまま、ただピアノを弾いたフジコさんのピアノは、
俄然イキオイがいいのだった。
心打ってくるものがあった。
正気でいさせない感情が、ピアノの後ろからあふれて波になって打ち付けて
くるのだった。

そうだろう。
普通じゃいられない気持ちをうんと、うんと、うんとたくさん抱え込んだまま、
正気じゃいられないくらいたくさんの気持ちを含み溜め込んだ人の業を、
ピアノが代弁してくるんだもの。インパクトが全然違うよ。

そしてそれは、猛烈にかっこよかった。

さて、フジコさんの生き方がピアノに流れ出る時、
アメリカのシンクタンク、というスマートな連中の集めた情報で、イラクの
石油欲しさに始めたアメリカの湾岸戦争の大掛かりな、ぶざまで、あたまでっかちな
進み方が、猛烈にいやしく感じられたのだ。

頭がよくって、上手に生きて、切り抜けてしまえる、そういう「器用さ」が
アメリカのシンクタンクに感じたの。
それを上手に使うアメリカって国もいっしょ。フジコの正反対にあると思う。

さあ、ここでやっと表題の運河の話にもどれる。

商売の基本に「南極で氷を売る」というのがある。
「買いたくない俺に、さぁ、売り付けてみろ」を可能にするのが商売の基本です。
つまり、ふつうに考えたら「全然欲しくもないもの」を、人様の知恵でもって、
「うわー、モーレツに欲しい〜〜〜!」って気持ちにさせるのがうまい商売と
いうものです。

アメリカは、そういう商売の上手な国なんです。
重いもの、たくさんのものを「車」や「電車」や「飛行機」で上手に、
遠くに運ぶ方法を発明して、販売しています。
それが欲しくて、たくさんのよその国がそれを買います。

重いもの、たくさんのもの、の重さはそのままにして、運んでいます。

重いのにね。

ちょっと考えてみて。

水、に浮かべると、ものは少し軽くならない?
浮かべて運ぶと、楽しくない?
そう思うと「運河」ってちょっと素敵じゃない?
風景もきれいだし、そこにうまれる「生きて過ごす時間の流れ」も優雅じゃない?
なんかね、そこには人が感じ受けるための「時間」が生まれてると思う。

力づくで動かしたり、すすめたりすることも、できるとは思う。
知恵をつかって、上手に、うまく、早くすすめたりすることもたくさんあるとは
思う。

でもそこにはフジコさんのような「感情の蓄積」も、運河のような「そこに過ごす
時間の価値」や「ものを軽くしてから動かす」という単純で、永遠にも使えそうな
雄大さ、っていうゆとりがなさすぎると思う。

誰か彼かの希望にそってしまえるような「時間」や「便利」なんて、やっぱり
どこか、不自然なんだと、私は思う。

人や国の「利害」の上にある「便利さ」が窮屈でつまらないといいたいのかな。
んー、予測可能なものばかりを増やすだけの生き方、ってのかな。
予測は可能だと、そりゃ安心しますよ。
安心しますとも。
安心。

安心。

ただ、安心



それもいいんだろうけどね。
そんなもんじゃ、どこにも、なににもなりゃしない。

フジコさんも、運河も、どっちもなにかを拘束したり、思い通りにしてやろうという
シャカリキさがあんまり感じられないのだ。
ただ「こうである」という、まんぜんとした正直さに、みんなが自由に触れられて、
みんなの方が勝手にその魅力に魅了され、自分の生活に取り込むべきものを見つけられる
ゆとりがこんもりあるように感じられるのだ。

生きる、というのはうまくても、上手でもなく、
かっこわるくてもぶざまでも輝くものを落としてくれるものなんだと思う。
アメリカのシンクタンクってものも有用とは思いますけど、なんというか、
ただ、眩しいだけに見えてね。
それは子供がおいしいものだけを食べてる幼稚さに見えてしまう。
子供には、野菜も果物も要るのを大人なら知ってる。

運河の話、と表題したけれど、したい話はこういうことだったの。
あんまりうまくないかな。うん、まあ、でも、いいの。そういうことなの。

P.S
ああ、雪、もそうですね。
どんなものもおおってしまう。
白、一色で。
すごいよね。
誰も、なにも逆らえない。
山も、川も、その影響を免れない。

私の部屋の窓から見える「風景」までまるっきりかえてしまうなんてすごい!

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