顛末

6月の末、今日から4日前に起こったことを書く。
今年3月末に社員になりたいって言ってきた男の子を育ててきて、あと1週間で
社員になれるってところまできた子がいた。21歳で1歳と3歳の子供もいるから
がんばるしかない子だったから、仕事も早く、しっかり覚えてくれたし、
なにより手抜かない。トラブルにも分からなくたって突入してゆけるフットワークは
信用のおける子だった。

最近になって、その子がガンダム好きとわかって、話がしやすくなった。
雨がふれば車でおくったし、その子が笑うと、作り笑いっぽいところが
どこにもなくて、安心できた。

もう1週間だった。
入社1ヶ月で異例の準社員への昇格。あとは号令として「今月から社員だよ」って
言うだけの子だった。

その子が逃げた。
お金を持って逃げてしまった。

でもね、誰も信じなかった。
みんな、一斉に「誘拐」を怖がって、どこかに殺されていないか、とかそんな恐がり方
しかでなかった。面白いくらい、誰も疑わなかった。
でも警察と刑事さんは犯人だね、と当初から言い続けていた。

私は調書とか実況見聞をやり、正直苦しくはなかった。
でもみんなが「ながやくん、顔色悪いよ」って言う。

前にも火事で爆発部屋から焼出されたときも同じことを言われた。
「大丈夫?」って。

大丈夫、ではないけれど、自分では普通に淡々とやってるんだけど、なんかオカシくなって
いるのかもしれない。全然自分では分からないらしい。

今朝、目覚めに電話が入り、その子が逮捕されたってことを聞いた。

一方
その子と同期に入社した子がいて、その子を社員に昇格させる機会を得た。
もう一人の新人さんはコツコツとトイレ掃除をすることを手抜かない子だった。
今度はそれを見抜いて、助け切ってやる上司がその店にいなかったことを、昨日知った。

体調が崩れる程怒鳴り散らした。
気持ち悪くなるまで叫んで机たたいて帰ってきた。

真面目に一生懸命やってる子がいて、それを評価しない   という愚か。
真面目に一生懸命だったけど、全部捨てて逃げ出した    という愚か。

そういったものが一挙に一点に流れ込んでばかりの昨今で、さすがに胸が悪くなってきた。
それはいい、別に普通の感情だから、それはいいんだ。

しきりにこのごろ、自分の思ってもいない「くたびれた感」「ガッカリ感」が
表に出てるっていうことを、みんなのリアクションからでないと気づけなくなってきてる。
「休みなさい」って言われたり、「目が潤んでる」って言われたり、そんなことないよって
自分では思ってる時に、泣けてきたり。なんかよくわかんなくなってきてるんだろう。

逮捕された子を期待のホープと称してみんなに披露したりしてたから、まわりの態度は
「ながや、がっくりするなよ」ってものがとても多い。
そうですか?そんなにがっくりしてますか?

言われてみて、よく考えると、ぽっかりたしかに穴みたいなものを自分には感じてる。
でもまあこんな程度の大きさの穴はなんどもあったし、「人を信用する」なんて声高に
言ってるわけでもないし、機能停止しちゃうような落ち込み方の予兆も自分に感じない。

自分の人を見る目の節穴ぶりの1ページは増えた、くらいでいいと思う。

正直なところ、がっかりしきれないのは、その子が逮捕されようと、まだ詳細が分からない
から、どっか、なんか、信じちゃってるのかもしれない。

立ち直れないかもしれないと、思う程のがっかりっていうのは1度しか体験していませんので
どういうショックもその大きさとくらべてしまう。てんで今回の事件なんてのは
身体も心もゆとりたっぷり。ごはんものどを通るし、人を避ける気配も自分にはない。
「平気」に近いまま、がっくりしてる、その程度のことなのだ。

そう、そう思いたがってるだけでしょうか。
そんなことない、って思いたがってるだけでしょうか。
少し、身体の中から毒を抜かなくちゃって思い、わざわざエッセイにしてみました。


追記


一方で、今回警察刑事さんにお世話になったことで気付いたのは、こうした事件が
自分の身に降り掛かり、実際の生活の中で、そういった事態にそうそうかかわったまま
過ごしていられないのが本当のところであるときに、警察っていう機構が
請け負ってくれることで、私達は「普通に過ごす」ことに専念を心掛けることが
できるんだ、とも思いました。

事情聴取は五時間かかったんですけど、その時の警官さんもものすごく一生懸命
パソコンと格闘してたし、お昼御飯抜いたように見受けました。

刑事さんはテレビよろしく「キョーレツな本音役」と「なだめ役」の配置が鮮明で
ややこしく考えがちなシロウト判断を一刀両断し、事件の最初からおおむね事態の
傾向を掌握していました。やはりプロの目線は違います。

当初、事件の犯人は全く別にいると勝手に推察したがっていた私でしたが、少しだけ
時間を置くと、犯人はその子かも・・・と思えるところも出てきてました。
金庫に他の子の給料袋が目立って置いてあったのに、手付かずだったのです。
目の前に映る給与袋に手をつけない泥棒がいるでしょうか。

いないよね。

うん、誰のか分かってるお金は、手が出せないってことだったのかな、と
少しだけ認めた気持ちにもなりました。

信じきってる人に対しては「疑う」準備なんてしないのが人ですね。
疑う理由も全く持たないで、人と一緒に過ごす、過ごせるという「当たり前」を
疑いはじめるなんてことは、あまりにもつまらない。

「人を疑って安全」であるより「疑わないで損する」方がマシ、とか考えるのは
偽善なのかもしんない。

刑事さんに「犯人はあいつしか考えられません」という調書を夜に書かれて印鑑を
押すように言われたんだけど、これじゃ押せませんって言いました。
信じてた、とか綺麗なこと言ってるんじゃなくって、てんでそういうふうには考えて
いなかったからです。本当に。ばかみたいに。マヌケみたいに。
「でもねえ、あいつだよ」って刑事課の部屋の奥からベテラン刑事さんは仕方ないなあ、って
顔で言います。

「分かってるんです。プロのあなたたちがそうおっしゃってますんで」って言ったけど
「あいつかもしれません」という文面に刑事さんは変えてくれました。
・・・ばかばかしい変更、なんでしょうね。こんなの。
偽善なんでしょうね。それ持って令状とってきてくれる刑事さんたちは味方なのにね。

信じたい、とかいう自分の態度を肯定するためのつまんない見栄、のために
これから捜査しなくちゃなんない刑事さんたちの手を煩わせて書き直した調書。


みんなが一斉に「大丈夫?」「しっかりね」「元気だしていこう!」って
ふだん使わない言葉を私にかけてくれてる中で、私自身がずっと感じてきた違和感は
今日の夕刻気付きました。

大丈夫も大丈夫じゃないも、私は全く持って今回のことがまだ「渦中」であり、
事後処理も解決にも私自身が終わりきっていないのだ。まだこれからがうんとある。

だから今回のことの整理も判断も、なにかしようにもなんにも手の内にないのだ。
迷っているままただ突っ走ってる最中なのだ。

その最中の、みんなからの「元気出して」とか「今回のことは忘れて」という助言は
え?なに??なによ?なにを忘れんの?え?それこそ大丈夫なの?放り投げられないでしょう?
と半ば喧嘩腰みたいに擦れた心持ちで応じてしまってるってことなのかもしれません。
全然途中じゃん!まだなんにも終われて
ないんだから「大丈夫?」って聞くのは
堪忍してくれ
、って、思うと、安易に相手を元気づけるつもりで
なぐさめの言葉を使ってしまうのは、本当に酷かもと気付きました。

落ち着いて考えたら分かるんですよ。みんなが気づかって、少しでも早く元気を
出そうねっていうことへ目を向けさせてくれてる。

じゃあ自分なら、同じ目にあってる人に、なんか言えるかなあ。
言えないです。言葉が、ない。

今回のことは、私が傷付いたり、悲しい時にうずく「心の中の部分」がずっと
無傷なのだ。ほら、人って自分が悲しい目にあったりすると、心のある部分が
ズーンって重くなったり、じんわり湿ってきたりして「手ごたえ」みたいに
そこへ見て取れることができる。

ああ、そこに気持ちが格納されてるんだって場所があるから、
分かってるから、そこに触れたり、そこを避けたりできるのだ。いつもならね。

今回、それが分からない。
悲しいのか悔しいのかもわからない。なのにみんなの言葉から察するに(自分のことにも
関わらず)どうやら自分は悲しかったりガックリしているらしい。
じゃあ、私は、自分のこの気持ちを、今回、どこにしまってしまったんだろう。

捜せないし、あるのかどうかすら釈然としてやしない。まったく子供じみてる。

この違和感こそが、表に出ているものなのかも知れない。

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