なめたけを食べたら驚いた

白い美味しい御飯にはなめたけがよく合います。うまいもんねえ。
ある日特価になってたなめたけ買って、ごはんに合わせていただきまーす、って
パクリといって、むしゃむしゃいわせてたら、カーンとなにかいつもと違う
味覚が襲ってきた。

ムムム、
ムムムゥ??

ふおおおおお???

なんでからいんですかこれ?!?!


ふいに不安になってラベルをとくと眺めた。

とうがらし入り、ですと?
なんでとうがらしがなめたけに
入ってるんよ?


もう一度ラベルをとくと眺めた。




四川風味ときた!

そーかー
四川じゃあしょーがないよなー







ゴルァ!



なめたけだよー。なめたけを御飯と一緒にシックに食べたかっただけなんだよー
それをなんだよー、辛いってなんだよー、四川ってなんだよぉー

辛いもんなら中華でも食うわ!もう!なんでなめたけ食べて辛い思いせなあかんのだよ。
どなたか解説して、この不条理を。納得いかんのです。驚いたのです。
よもやまさかなめたけに四川が紛れ込んでくる時代が来るなどとは。全く想定外です。
びびりまくりです。こわすぎます。私の想像力をはるかに越えた結論過ぎます。

食べ物食べて心底びっくりしたのって初めてじゃないかなあ。
いやー、驚いた。たまげたよ。抜群にビックラゲーションですよ(英語じゃないよ)。

えー、世間では物価が上昇し、ガソリンが安くなり、教科書はどんどん愛国心に傾倒してゆく
そうで、どんどんいやーな空気がまんえんしてきてますね。

過ごしやすくない社会って壊されにかかりますよ。人って怒る生き物なんですからね。


気付いたら3月が終わってました。いつのまにか4月で桜が満開でした。びっくり。
ホントは東京で旧友に会えたかもしれないチャンスを3月に逃しました。忙しすぎた
からです。とはいえ全然残念でもないのです。

だって私の友人はちっとも変わってないからです。

いつ会っても同じなので、あ、いやいや、結婚してたり、離婚してたり、お父さんお母さんに
なってたりなってなかったりしますが、そーゆーんじゃなく、人間に変わりがないのです。
日本のあちこちにいて、それでいて大きな変ぼうはないわけで、ふいに10年ぶりくらいで
会ってみたところで、変わりがないので、「いつも通り」なわけです。
ホントにそう思ってます。

そうなると
「会っても、会わなくても」なわけです。
会ってなくても、心配とかしてない訳です。
連絡してないから、とかメールの返事しなくっちゃ、とか手紙のお返事をかかなくちゃ、とか、
全然思えてこないのです。

筆無精、ってんじゃないんですよ。
余計な気兼ねがいらない、ってだけです。

連絡のとれない友人もいますが、ほんとに心配してません。
30年経っても、かつてと同じリアクションでいられる自信にがあります。

友人なので、維持費なんていりません。工夫も努力もしてません。
友だち、だもの。
大丈夫、だもの。


この頃のネットのミクシィとかブログってやつの、どこか狭っ苦しい感じがどうにも
腑に落ちないのね。全国的に、繋がっててどうだってのよ?どうすんのよ。
ネットで仲よくて、どうなのよ、などと自分では思ってしまうのですね、きっと。

人って離れてても、大丈夫なんだと私は思ってる。
いや実際、離れてて駄目になったものっていうのもあるよ。
あるけどさ。
それは、そんだけのもんだよ。

だって実際私は信じられるよ。離れてて、連絡ができなくて、動向すらわかんない
人が、きっとうまく生きて楽しんでがんばってるはずだ、と。

んでもって、困ったり、弱ったりしたときに、ふらりと立ち寄る先に、私達があちこちに
入れば、当たり前に会って、話せるし、力になれると、当たり前に思う。

だから「たよりがないのは、よい知らせ」と私は思ってる。

3月に友人に会うって言うのは、普段は全国各地に散らばってて出会えない連中が
珍しく一同に会すから、ぜひ会おうってもんだったような気がする。

うんでもね、会わなきゃならないほど求めてる人には会ってるし、連絡もできてる。
懐かしいね、とか、今どうしてる?っていう類いの挨拶は、私の中では不要と思ってる。

だから何年も知人に会わないことが、私には苦痛ではなかったし、さみしくもない。
自分が過ごしてるところどころで、とにかく人のつながりは絶えないし、どんどん
増えてるんだもの。延々とね。

いったん「会いたい!!」となれば、会えるのが、友人、だと思うんだ。
思うんよ。
うん。
当たり前、なんだけど。

なんか、そうでもないのかな。

去年あたりから、なんだか知人が「人恋しい」感じになってきてる感じがする。
会おう、って。
うん、会えるジャン。いつでも。その気になれば。
そうでもないのかな。
このままどこかわかんないところに進んでしまいそうな予感でもするのかな。

ああ、そうか、そうかも知れない。
でも違うぞ。
こっからどんどん面白くなるんですけど。

だってここまで散々工夫努力忍耐してきたんじゃん。
こっからだよ、どんどんだよ。んでもっていったんこっちが「仲間」と思い込んで
疑ってもいない人たちは、きっとこれからつながっていくかんね。
それが予感されてるのよ、わたくし。なぜか。

世間はどんどん住みにくく、なっていくようなことをあおるし、ヤングですら
老後なんてものを話題につっこまれる御時世だから、嫌んなっちゃうんだろうけどさ、
そんだけじゃないぜー、生きるってのはさ。

もっと面白い方向ってあると思うよー。
論拠なく言ってるわけじゃないんだけど、今見えてるものだけでしか、予想ができない
閉息感みたいなものに、自分が取り込まれて、悶えて、迷って、うろたえるのは
いささか妙、ではござらんか?

なめたけだって辛い時代なんだ。
おっどろくぜー。
んでもって、それはやっぱり、面白いことなんだと思うよ。

じゃ。

他のエッセイへ