遠からず僕らは

そんなに悲観しきれる程の想像力はないわたしですが、それでも世の中は
きっとそんなに派手に素敵な方向には向かわないと思います。
このごろ急に増えたかのように報道される天変地異のような天災は
昔から続いてたものであって、社会資本がどんだけ都市を潤わせた
雰囲気に見せかけても、地震も台風も水位上昇も間違いなくくるわけですから
インフラの整ったところで「快適」に今過ごしててもあんまり意味が
なくなってくるわけです。

今、持ってるものをあきらめきれない生き方をしてきてても大丈夫だった
時代が終わろうとしています。
そもそも真夜中、深夜に「おなかへったー」といって開いてるコンビニが
わんさかある、というのは「便利」じゃなくて「異常」。
夜中に寝ないでおくためにしてる社会インフラの投資分が、困窮極まる
世界各国から許され続けるとも思えない。

食料危機はすぐそこまできてるだろうし、朝起きて、夜寝る、という
たったそれだけができないでいる今の世の中の異常さは、きっと近い将来に
「無理」になると思う。

今、持ってるものを手放す想像力がないのです。
今、持ってるものは、そのままにした将来だけが見たいのが人情でしょう。

でも、今ってのは異常なのだと誰かがちゃんといわなくちゃ。
実際人が狂ってきてるでしょ?殺人して人を切断する「フツー」だった
事件の多発、親族が子孫を殺す事件の多発は「一過性のなにか」ではなく、
「象徴」に思えてならない。
一言で言えば「生きにくい」。

じゃあ、死んじゃいましょう、なんてな話でもない。
生きにくいのに、それを「生きにくい!」って声高にできないこのヌルくて
不明確な御時世に、今、全世界規模の「天災」「食料危機」が重なって
くるところに、私達はいまだ手塚治虫先生の「明るい未来像」ないし
フリッツ・ラングの映画「メトロポリス」程度の未来像しか、いまだに
持ち合わせていないままではいかんのではないかとおもうのだ。

台所のガス警報機設置の義務、車の後部座席のシートベルト着用義務、
裁判への参加義務、ガスも石油も電気もインフラが、食料が、一斉に値上げを
全世界規模でおこなってる最中の義務の厳格化、多発、そして間違いなく
起こる地震、極端に異常な勢力の台風、明るい未来の想像は、少し軌道修正
しなくては、どこかでみんなが「こんなはずじゃなかった」と憤らせる
ミスマッチな未来を一斉に背負い続けてしまう怖さがある。
早めに「すいません、未来はあんまり明るいほうじゃなかったです」と
正直に白状して「すいません、まぁこっちの方です。・・・んで、申し訳
ないんですけど、まぁ『石油なんかばんばん出るぜー』って頃の
さもしい未来像は早々にあきらめて頂戴」って出す方がまだ健全じゃ
ありませんか。

つまり未来像が古臭いのだ。数十年前の人たちのイマジネーションを
越えるだけの、覆すだけのスケールで想像力が働いてないのだ。
若い、ヤングな連中が「うん、それなら信じられる」って言える未来も
提示できない貧相な想像力の大人連中に一蓮托生で共倒れしてくれるだけの
バカヤングばっかりじゃねーんだから、もっとしっくり自然体で信じられる
イマジネーションを準備したいのだ。

中国やインドが今の日本やアメリカのような発展をしようものなら、
地球が滅んでる未来が見える。これから発展を目指す国は、今発展してる
国をモデルにできなくなる。まずそれを支えきれるだけの石油は
そうないんじゃないの?

今、まだすがるように「持ち続けたい」としているしみったれた方の未来像が
手放せないのは、もっと他に「こーゆー未来ならありえる」という想像の選択肢が
大人によってちゃんと示されてないからだ。
日々生きるのに精一杯な僕らは、本当に貧相な予感だけで、頼りな気に生きてる。
大したもんだ。
ホントに大したもんだ。
こんなに貧相な材料だけで未来を想像し生きていかなくちゃならない僕らの
なけなしのバイタリティを使うに値するものが欲しいんだと思う。

今持ってるものをいくつかあきらめてもいいから、と、
せめて自分が死ぬまではなんとか上手に生きられそうだと勘違いできる
想像力の材料が要る。早急に。大量に。
子供のいる家族は「せめてわが子が生きてる間は」と思うだろうし
御孫さんのいる年配の方は「わが家族が安泰であるように」と願うだろう。

それには想像力が要る。
心は、自分の意思とはまた少し別の判断をするから、心が信じられるだけの
想像力が要る。心を満たす量と質を持った想像力が要る。

遠からず僕らは
今持ってるもののいくつかをあきらめることになる。
かわりに、新しく持つものを、予感してるものと少し違った未来を
追い込まれるように手にすると思う。
明るく元気なだけが未来じゃない。

もう一度言うけど、悲観してるんじゃないよ。
ちゃんと生きるとすれば、わかってる想像力だけでも、今知ってる
未来には向かわないことを、あらかじめ知っておくべきだ、ってこと。
「話が違う!」って怒るに値する相手は、きっと未来にはいない。
頭のきれる人は、すでに準備してるんだろうしね(黙って、ね)。

「ちゃんと見る生き方」を自分に課しておく事。

 

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