毎週温泉に入りに行くようになってけっこう時間が経ってると思いきや、意外にも
まだ1年経ってないのでした。ホントに毎週毎週欠かさず行脚しておるのです。
私の中の性格のどこに温泉をかくも求めているのか!・・・・疲れてるからよね。ははは。

前は「温泉なんかに入ってゆったりしたこと言ってる暇があったらビシバシ動け!」って
うなってた人柄なのですが、動こうにも動けないくらい体と心がしなりまくる時が
あると、壊れる前に手を打て!という意識も働き、強制的に「頑張って休め!」って
判断がなんせ極端なんです。

実際、疲れってものは自覚しにくくありません?
体のあちこちに、ストレスは感じることがあっても、それを気にしたまま生活するなんて
ことはできないし、実際ストレスになってる体の部位そのものは「緊張」してはいても
それが「疲れ」につながるとも限らない。ましてやストレスを感じてた部分そのものでは
なく、その部分を「かばおう」とした優しい周りの部分が余波を浴びて壊れたりもする。

イチローがテレビで足裏のツボ刺激マシンをアメリカまで、旅行鞄に入れて使っているのをみて
「ムムウ!足の裏にはなんかあるに違いない!」と直感したのと、好きなお坊様の本に
「体と会話しなさい」って旨の言葉がありまして、さーて、この思いやりの気持ちの少ない
ながやってヤツが、どうやったら「体」の発してきてる「言葉」を受け取れるかな?と
思案した次第です。

体の方は、今この瞬間にもなにがしかの「言葉」を私に投げかけているはずで、
エッセイを打ち込んでるからには「腕ばっかり使って難儀ですわ」とか「目、もう少し
こまめにまばたきしてくれんと、ドライアイとか心配なんやけど」と身体の部位たちは
信号を発してる。これが身体の「言葉」なんだけど、調子づいて打ってるこっちとしては
「無視」して「今思い付いてることをなるべくニュアンス殺さずに打たねば」って
気持ちが最優先されて、キーボードに向かってる。

つまりは、まずたいていの人は「自分の思い入れ」ってやつを最優先にしたがいがために
体の発する言葉の多くを「無視」し続けることになる。自分の思い入れ、思い込みの
きつい人ほど、周りが自分が思い通りに動くことで発生したストレスを無視するトレーニングを
慣らしていってる訳で、結果的には「体と心を壊す」とこまで行き着かないと、分かることが
できなくなる。

でも本当はあらゆる行動の端々で、ちゃんとストレスは発生してくれてるんだよね。
小さくとも、弱くとも、ちゃんといろんな刺激の形で体は自分に巻き起こってることを
心に伝えようと必死にやってくれてる。
なにかをしでかす人というのはね、こういうのを細かいことだといって、無視することで
「自分のしでかしたい」ことを手に入れることができる。見返りに、健康は失う。
それは対価でしかない。無理をとおせば道理が引っ込む。引っ込められるから、簡単だから
「少しくらいの無理」を本人は通してるつもりなんだけど、対価はかなりでかいのだ。

人が心労からでも体に癌を発生させるのは、ある意味自分の体なのに、その言葉を無視
し続けてしまうと、体の方も黙ってはいませんという確固とした決意を見せつけてくるのだ。

人類は99.99パーセントまでは構成される成分は一緒なんだって。
どんなに個性的な人でも、黒人でもアジア人でもアリアン人種でも99.99パーセントまで
一緒なんだって。同種なんだよ。むしろ「差」を見つけだす方が難しいくらいの
「ほとんど一緒」観なんですけど、実際「脳」の方の機能の発揮は、全体の3パーセントに
至らない程度ではないか、という話しもあるそうです。残り97パーセントが解明されてない
脳を持ち、体の成分構成が99.99パーセントが一緒の私達なのに、発揮できるものの固体差が
あるのって不思議だよねー。
ある学者さんの説では、その固体差を生むのが、その「脳の分かってない97パーセントに
探りを入れた人」ではないかっていうのがある。

これよ。
これなのよ。

「体の言葉」ってのを反すうしてきてたのは、こうした無自覚な部分をどうやって知り出すか?って
方法がとんと私には分からなかったがゆえの、求める気持ちだったんだと思う。
恐がりだし、好き嫌いが激しいし、冒険も旅行すらも億劫になる性格の私は、どうやって
外部の「新しいもの」を取り込むかが上手にできない。

そういうのをなるべくシンプルに、かつ実直に「分かる」考え方ってのが「体の言葉を聞く」
って考え方だったのです。
体とのやりとり、その発端が私の場合、スポーツとか、研究とか、感性とかではなく、
「温泉」だったと思います。

人前で裸になってあー、もう!っていうくらい温泉って嫌いだったのです。
それが去年末、友人と入った温泉で面白いくらいに「体の弱ってるところ」が分かったのです。
その上「疲れてなんかいないはずだ」ってなってた自分が、いざ温泉からあがると
「ぐったり」してるではありませんか!おおお、なんだ俺、疲れてんじゃん!!とか
後付けで思い知れたって次第です。自分の体なのに、「疲れてなかったことにしてる」という
自分の、自分への思いやりのさなもびっくりしました。

これを発端に、「いかに自分は自分のことがわかんないまま突っ走ってるか」に勘付き、
まずは「体が発するもの」をどうにかして、日々の生活の中で気づけるようになれないものかと
探してみると、ひとまず「温泉」が有効だったのです。まずいったん入れば、弱ってるところが
「血の巡り」が良くなって、痛さとして出る。おお、ここか、ここが弱ってるのかよ俺!って
なるのです。
この面白さは独特です。自分では気づけていないことが本当に多い。

温泉に入るようになって、「サウナ」にも惚れ込みました。自分の「我慢弱さ」は前から
気付いていたのですが、サウナで頑張れる、頑張れないっていうのは、ほら、他人との
どーのこーのじゃなく、「自分が自分を」見るってことではすごく分かりやすいのです。
我慢できるのか、できないのか、ですもんね。そのうえ大量にかく「汗」は、なんでしたっけ?
水銀とか体のなかの毒を出すんでしたっけ?デトックス?そうそれですよ。ざくざく汗かくわけ
です。

んでね、そのついでに気付いた魅力が「水風呂」でした。
最初は「水、だよ?水は湯、ですらないのだよ、諸君
それがなんだね、水一杯を風呂桶にたんまり満たして『風呂』と称するとは
『水風呂、何様也や!!』」と
激怒していた(なんでこう俺は敵を作りたがるのか)次第です。
ふっふ。
それがね、サウナに入るようになると、「きゃー、水風呂ーーーー!!!」って
喜んでザブンですよ。
サイコーですよ。
夢見心地ですよ

水風呂そのものは冷たくてたまらないのですが、その後に入りなおす温泉で「体内」へ
じわーーーーってしみてくる刺激は、スポーツとか、薬とかでは味わえない「働きかけ」な
わけです。アルコール飲んで体内と心に刺激を与える人も世の中には多いでしょうが、
私はこの働きかけがあまり上手でも好きでもないので、アルコールに匹敵する働きかけが
ずっと欲しかったんでしょうね。

体っていうのは、自分、なのに、自分の中、なんてほとんど触れない。
体の中へ働きかけるのは薬か、病院業務くらいのもんでしょう?
水風呂ってのは体全体を、その外側も、内側も刺激を一斉に発生させます。
しびれます。うろたえます。ジーンとします。こうして体へ「リターンマッチ」する
手段を得た訳です。スゲえ!たった1年の間に、こんなに自分へ働きかけることができるように
なったんだね、俺!って思いきや、
ちょっと待ちな、まだこんなもんじゃないぜ、ってのが
昨今の「岩盤浴」だったのです。

あったかい石の上に乗っかって、ごろんとトドのように横になってお金
払ってるなんて、あんたら正気じゃないよ
、くらいに憤ってたので(なぜ俺は
こうも自分の知らないものってのに対して、毒をもって応じてしまうんだろうね)
こないだ発見した岩盤浴の素晴らしさには「拙者が未熟で不勉強でござった。御無礼つかまつった。
御免!」と心から謝る心づもりです。はい。岩盤浴は素敵に素晴らしいものです。

ゲルマニウムにせよ岩塩にせよメノウにせよ黄土にせよ、たしかになにか出てますよ。
ジトジトと体が奥の方から「うづいてくる」ものを感じます。イオンなんですか?
それとも遠赤外線の類いですか?まぁなんでもいいんですけど、これがこれまで
「お風呂」「サウナ」でやってきた「わたしが体の外から、体の中へ『応答して下さい!』っていう
力づくなドアノック」だったものが、たっぷり時間をかけて、体の方から、静かーに
「はい、ながやさん。こうです。体の弱ってるとこ、じんわりとこの辺りです。
あと芯の方がらもなにかこっそりとしたSOSを感じます。あら、頭ん中の側面のあたりでも
なんか違和感ありますね、あらあら、無理してますね・・」って、ゆっくり、ゆっくりと
伝え聞けるようになったのです。

体のどこが本当は不調なのか。
体がいうには痛いところは足の先っぽ、であっても、原因は腰の方であったり、心臓の方で
あったりと、目先の「痛い結果部分」だけでなく、「自分でなんとなく手繰(たぐ)る」ことで
本当に気づかわなくちゃいけないものを考えるようになりました。

自分というのは「心」と「体」でできあがってて、「心」ってのは「知恵のない感情」で
見えるもの、聞こえるもの、感じるものをねつ造、してしまいがちなものだから、
安逸(あんいつ)に信じきれないものでもある。その点「体」は外界と日々接し、物理的に
答えをすでに孕(はら)みもっててくれるものだから、誤解なくその言葉を聞き取れれば
大事に自分の「体」を扱う方法が具体的に、手を打てる。難しいのはむしろ「心」の
コントロールだ。これがやっかいなのは、「まず自分が自分をだましにかかる」てことが
あることだ。「俺はこれが好きでたまらないはずだ。だからやれ」っていう声なき声に、
人はコロリとだまされる。

でもほんとはそうじゃない。

「心」は心底「自分そのもの」とはいえないように思える。
人が「思い立つがまま」で動かないのは「心」と「自分」は別のものだからじゃないかしら。

温泉でもサウナでも岩盤浴でもたどり着けてないのが「心」でしたね。
体の方から働きかけていくことで、ゆらぐ「心」の部分も感じはするんです。
そういうのって、体が元気であってのことですから、まぁ楽しくメンテナンスしてるうちは
このままいこうかと思います。

温泉温泉といってますが、観光地ほどのものではなく、地域の大衆浴場で十分です。
毎週入るだなんてのも、今の私のコンディションだからやれてるだけのことでしょう。
でも、わたし、楽しそうですよ。かなり。

そうそう、最後に一つ。

イチローが使ってた足坪を刺激するマシンは、温泉地にはもう少しグレードアップしたものが
わんさかあるんですよ。お風呂入ってから使ってみたらね、それはもうぐったりと疲れが
出てきて、帰りの運転が危ぶまれるほどぐったり、ぐったりしきってしまったのです。
この件でもやはり「俺の体なのに、足裏刺激ごときで、全身がぐったりすんのは一体全体
どーゆーことだ???」って怒りのような(なぜ怒る?俺よ!)ものがわき上がり、
足裏刺激マシンも購入しました。疲れを取るには足裏はポイントです。すごくポイントです。
加えて「ふくらはぎ」の緊張もほぐれると、極端にリラックスできます!ホントです!
ミラクルです!
今日入った岩盤浴の説明にこうあったよ。
「足裏は第2の心臓といわれるほど、重要なものです」
これかぁぁぁぁ!!
はい、私も信じます。それはきっと本当だとおもいます!!
足裏の血流量は、体全体の調子を左右します。実感します。メノウ岩盤浴で足をあっためたら
すごく気分よくなりました。今日行った岩盤浴場にもうっとりしまして
「ああ、俺がもし億万長者になったら、こういう部屋を自宅に作ろう・・・」とうっとりした目で
岩盤浴してた男がひとり、今日いたんですよ、みなさん。ほほほ、バカね、ほほほ。

疲れたら温泉は入りな!みんな!
次はサウナ。最後に岩盤浴!いいね、覚えたね!チャオ!

 

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