思った通り、より、でっかく!

心底嬉しくって嬉しくって「死んでもいい」って思えることって滅多にないんだけれど、
それでもそーゆーのってホントにあって、うれしくってうれしくって、どーしよーも
ないくらい嬉しくなれていられる、ってことあるんです。あるんですよ。

人は、なんでもできるって思ってる。ほとんどなんでもできる。自分が許したぶんだけ
なんでもできる。できないと思った分だけ「できない」ということにもできる。
意外にもこの「できない」ってことにしてる自分、を直視しない人は大勢入るけど、
そーゆーのは話してても全然好きになれないので割愛する。ざっくり。

世の中は解釈である、と鴻上尚史さんがどこかエッセイで書いていたと思うのですが
この言葉に触れた時、私の人生は激しく揺さぶられていたころであり、随分と心の支えに
なった言葉ともいえます。

そーか、解釈でしたか、と思った時に、自分が悲しかったり、苦しかったりしたのも
「自分がした、そーゆー解釈」に自分がドボンといってたのか、と自作自演を予感したり、
自己憐憫に溺れるアタクシ、という下手な一人芝居でしたか、と我ながらクサイ芝居に
手間ひまかけてましたかと、うなったのです。

誰にもほら、御覧と差し出したり、見せたりできないのに、たしかに自分はそのときに
逃げだせない悲しみ、苦しみを抱えており、だってほら、実際こんなに苦しいのに、
こんなにひどいのに、どーーーーしてみんなまとめてわかんねーーーーーーーーんだ
コノヤローーーーーーーー!!的義憤でパンパンなわけです。

よく見ろよ?よぉく想像しろよ、わかるだろ?人として分かるでしょう?!?と
自分一人が抱え込むものをどうにかして捕らえようと、四苦八苦七転八倒五里ムチューな
わけでした。それはもう目も当てられぬ狼狽ぶりで不細工でぎこちなくてスマートじゃなくて、
大変だったのに。だったのに。
あン時の俺はよくやった、今でもそう思う。
苦しいのも、嫌なのも、まず、見る、とした、弱っちい、なにも持ってなかった自分がした
判断が、今の私には、「よくやった、よくやったぞ、俺!」とモロ手をあげて歓迎するのです。
大きな音をたてて激しく拍手してあげちゃうのです、俺に。

解釈、です。
事態そのものを「どう、とらえるか」は事態そのものではないのです。
事態そのものは、もう微動だにせず、流れ去っています。

世の中に「やったもんがち」と思ってる人がいますが、
「やっちまったこと」が「その時の自分」には切羽詰まった、最善の、最良のものであったと
しても、「その時の自分」は後年成長した「今の自分」とはてんで勝手の違うもので
サイコー!最善!最良!の「やっちまったこと」だったものが、今や「動機」となり
「その人のその後」の道を作るものとなり、見ないふりをしてみたところで
忘れ得るものではなく、戻ることも、なおすこともできない道となって、つらつらと
歩くことになる。つながってない道はなく、いろんなものが複雑に、入り組んで
「今の自分」になってきている。

だから、なにが起こったか、はいじれないけれど、
なにが起こっても、にすることはできる。

それは、後年の自分に、うんとひびくものだ。
生き方を、死に方を、うんと変えるものだ。
その最初の大事な点は「解釈」だったんだ。
スッゲー大事なことだったんだ。

後に「玄侑宗久」さんというお坊さんが「いろんな御縁で開花してくる自分を愉しむ」と
テレビでおっしゃられた時に「なに!流されて人間なにができるってんだ!」と鼻息ムフーな
憤りをみせた私は、一方この言葉が「聞き流せなかった自分」も感じ受けてて、そのわけを
のちのち知ることになる。

頑張って、自分の思い通りになる、ことを若いころは至福のものと感じられた。
年を追うごとに、それはさほど幸せってものとも違うと感じられる自分もできてきたし、
「思い通り以上のゴール」にたどり着けたりすることを知るには、「思った通り」程度の
ハードルでは低いっていう「見え方」を手に入れたりするようになってきたりもする。

思った通り、というのは
自分の分かってる通り、せいぜいの大きさであって
「自分が分かってない」、ことがどういうものかを知りたがったりしない人には存在すら期待しない。

なにがわかんないかなんて、知りたくもないよーというのは、若者ならではの馬鹿もの具合なわけで
御年配になるほどに「自分の預かり知らない」ところからも、人間ってつながりや御縁で
いろんなものに放り込まれたり、放り込んできたりと、無縁を装ったところで、自分が知ろうと
知るまいと、生きてる限りは人とまじわり、まみれ、流れるものなのである。

だとしたら、たくさん知っているほうがいいもののようにも思えるが、そーでもない。
知っちまったことで、がっかりしたり、絶望したりすることもあるのだから、一概に
知れば知る程よい、ってなもんでもない。

だから、だ。
だから「なにが起こっても」自分の方でその「解釈」をどう、とるか、で
生き方の流れや、味方達の顔ぶれが、ぐんと変わってしまうのだ。
その周りの味方たちが放つ熱烈な「縁」が、その人をとりまいて、「開花する自分」に
至る場合がある。これが若い内にはなっかなかワカンネー。ホントは御年配がけっこう
アドバイスしてくれているが、これが聞き覚えていられないのが、若者のいいところだ。

一方で若者の「無茶だなー」の行動に、分別が付き過ぎた御年配が「無茶も大事よね!」って
発奮しちゃうこともある訳だから、これまた一概なことは言えない。

直感だけでうまく生きられるほど、人生は甘くないので、のちのちせいぜい理由をつけるのは
もうちょっと年くってからに残す。

この頃、人が優しく見えるようになった。実際、なんだかみんな優しいのだ。
私の周りの流れが、なんというか、優しいのだ。それはあきらかに自分が招き寄せた努力の
なにか、ってものではなく、「まわりから流れ込んでくる」ような感じなのだ。

実際の私自身にはこうしたエッセイでは書ききれないような恥じらいや、無分別や
不実行がうんとこさと、こんもり山をなしているわけだが、それでも「なんにもしてない」ことは
なく、でもかつての自分から見れば「お前は今、なんにもしてない」と叱る対象のような
怠惰さに映る自分なんだけど、今は少し分かるんだよ。

自分が用意したものだけで、人生のテーブルを飾っても、知ってるものだけで飾るだけだから
全部知ってるものばっかりなんだよね。
それって、全部好きなものを集めたってことなわけで、自分の好きなものだけを集めたってね、
そのテーブルの上のものは、他の人から見ると、雑多にいろいろ「アイツの好きそうなものが
乗っかってるなあ」程度のものであって、あんまり歓迎される類いのものじゃないようなんですなあ。

んで、なにより、じつは自分が自分で、本当はそのテーブルが好きじゃないんだ、っていつか
告白することも予感しているんだ。

人生のテーブルを彩るのは、自分以外の人たちと、テーブルをシェアすることが一番いいみたい。
もちろん、自分の好みは忘れちゃいけないけどね、でも譲ってかまわないところは、じゃんじゃん
譲ること。人の味わいは、一瞬のものなんかではなく、じわんじわんと永くしみるものです。

私が幼少の頃から通っていた床屋さんに、おとついも「サンドウィッチ」をもらった。
「ながやくーん、これあげる。ダイエットだと思って、我慢しちゃう」と床屋のおばさんの
お昼御飯と思われるサンドウィッチをいただいた。私は単純なたちだから「ありがとうございますー」と
もらってしまった。「コーヒーは自分で買うんだよ」と笑いながらおばさんは店に戻って
行きました。なんというか、ただ、無作為に優しいのが、すっごくうれしくって、うれしくって。
うれしいなあ、しあわせだなあ、と思ったのです。

私になにか引き寄せる力は、ないと思いますけど、大器晩成の器なので、これからどうあっても
面白くなってくる自分を予感できるのは、なんとも言えず、虎視眈々と周りの人がなにかどうも
用意してる感じがしてて、疼(うず)く感じなのです。どきどきしてるのです。

それは「思った通り」なんかじゃなく、「思った通り以上」という、自分一人ではお膳立てできない
なにかであり、つながりであり、絆だと予感されるのです。

いろいろ我慢してきた甲斐って、どうやらあるみたい。

思った通り、になったときは、思った時、にはうれしいだろうね。
その場その時に、いい、ってだけじゃ味わえないサイズの面白さって、あるんだよ。

自分が預かり知らないところからやってくる「思った通り以上!」の準備のしかたを
知ってるかい?人生はそーゆーものの方が多いんだよ、数としてはね!
とっ捕まえにいくもんじゃなくってね、流れ込んでくるんだよ、そーゆーのは。
だからいろいろ準備をするの。

なにが起こっても、ってね。

 

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