悔しいエッセイ

(前置き)
当エッセイは非常にしみったれてて、ふがいなくて、読んだ割には報われない気分で
パンパンな構成となっております故、ご気分のすぐれない方や、クサクサした気分の
方は読まない方が幸せというものですから、その旨、がってんの上で、それでもまだ
読みたい方だけ、お読み下さい。






近年稀に見る裏切りのドまん中に今、いる。裏切られる側として、突っ立っている。
複数の人間に、一斉に、真正面から嘘をつかれた。物凄くたくさんの人を、一斉に
裏切ることが、人ってできるんだと、つくづく嫌になった。
行き着いてしまうと、人間、感情が働かなくなるもので、「怒る」ことが全然はじまらない。
心のどこかが「無関心」を決め込んだようで、哀しめなくなってる。

なにに傷付くか、は自分で決められる。
自分が傷付いたことは、自分が傷付いてもいいと「自分に許した」分しか傷つけない。
それ以外を、人は、頑としてはねつけられるもの。

とかいいつつ、突然涙がこみあげたり、声がうわずったり、平気じゃないのは分かってるのに
自分でその具合が、とらえにくい位置に追いやってるようだ。うまく認知できない。

ただ「許してくれ、許してくれ」と請う者。
したい放題しておいて、そのツケを払うことを恐れるとは、アンフェア。
まいた種だ。全部摘み取っていけよ。それも取り分だろ。

いくら優しくしても「足りない足りない足りない」と真顔で言われ
できるだけを何度も何度も何度も絞り出してきたのに、無為に終わることが、世の中には
突然、当たり前に、やってくる。
この感情には慣れてきた。頑丈になったんじゃなく、「あらかじめ知ってる」ようになったのだ。
そうそう派手に落ち込んでもいられない。分かってるから大丈夫、ってもんでもないけど
立ち止まったり、座り込んだり、目隠ししたり、ないことにしたりしないまま、ずんずん
進むしかない風景だから、無機質に大股に突き進む。こういうときは止まらない方がいい。
それが今は分かる。

自分の側からは「送りだす一方」のような気持ちでいると、どんどん出て行った気持ち分だけ
自分というのは、しぼむ。
そのままにしておいて、健康になれるはずがない。
「埋める」か「入れる」かしないと、心は餓死してしまう。
大事にしないものは、壊れるのだ。大事にするほかない。

砂利を噛んでるような気分の最中でも、生きてることは続く。
途絶えない流れの中で、自分を傷つけるようなことに手を出してる人を横目で見やり
自分が精一杯でコツコツ積み重ねたものを、スイと渡さねばならないことのくり返しで
どうやって元気になれるんだろうかと時々思う。今、それを思う。

こんなやり方でいいのか、と悔しい。
それを許したのが、自分だから、自分がいけない。
周りの誰のせいじゃない。

この「平気じゃない具合」を私は、放っておかないだろう。
なにがしかの行動か言動かをする。「そのまま」を嫌って、いつも動いてきて、それが私を
救ってきた。

誰にも傷付かない人は、誰にも頼れないし、頼らない。
それは  いいこと   なんだろうか。
傷付かない  ということは  いいこと  なんだろうか

そうはいかないよな。
なんにもなしってわけにはいかないもんな。
嫌だよな、本当に。

迷ってる真っ最中なんてのはこんなもんだ。ぐるぐるしてる。
ここでのこらえ方、が今後の「動機」になる。どう凌ぐか、その観覧者は、まっ先に自分。
ピンチや苦境に、自分はどうふるまったか、こそが「自分」の幅をぐいぐいと押し広げる。

この感情もいつか決着がつくだろう。
そのときには、私は、形を変えている。今の自分では、ない。

なんで人のことばっかりやってんだろ
やりたいからだよな
に、しては、悔しいばっかりだ。がっかりだ。
俺は悔しいよ。悔しい。

他のエッセイ