ワークショップに参加してみた!

知人にワキヤマくんというお芝居やっている子がいる。お芝居やりたくてしかたない
なかなか楽しい男の子である。ながやとしましてはワキヤマくんとこのお芝居は笑えるので
みにゆくことが増えてきていた。
そんなある公演日、愛知県芸術劇場で観劇後、「鴻上さんのワークショップ」ってのの
案内がチラシになって置いてあった。鴻上さんとは世にいう「小劇場」という
お芝居スタイルの真っ先に立つ、演劇世界ではハッスル系の人です。
「第3舞台主催」とか「オールナイトニッポンのパーソナリティ」といっても
ワカンネーひとにはワカンネーままの、ま、スゲーひとがいると思ってくださいな。

ながやのいとこが演劇にハマったのもこの人のおかげだし、わたし自身は知人のチケットで
「ビー・ヒア・ナウ」ってのを大阪にいたころ、みたおぼえがある。

かの人の作品は独自の笑いとパフォーマンスで人をいい気分にさせるものなので、
テレビでもラジオでもなるべくチェックはしてきた。
面白い人物でもあるし、名古屋にまでわざわざ来ていただけるってんだから、
これは是非とも参加させていただきますかな!と高飛車なことを
考えていますと、ワキヤマくんがバイト先まで遊びに来た。

「ワキヤマくん、こんなんあんねんけど、やってみいひん?」と
誘うと快諾したので、さっそく応募することにしたが、申込み用紙が1枚しかないので、
ワキヤマくんにコピーしてもらった。

しゃにむに記入して、応募してから気付いたが「演劇経験者」とか「定員30人」であった。
「経験」についていえば、学生の頃に「スーパーマンタ」というイロモノの役をやった
キリだし、定員っつーことは、参加できなくなる人もいるってことかぁ!!と戦慄も
覚えたが、いかんせん今年のテーマは「勝つ!」なので、ともかく挑むことにした。
職業欄にも「まんが家」とキチンと記入し、「ンナロ、落としてみやがれコンニャロ!」と
鼻息を荒くして待っていたら、なんと受かった、と通知がきた。


マンガにしろ映画にしろ、モノ作りというのは心に刺激がないといいものができない
職業なのである。「演技」についていうなら、わたしは自信なんてない。ないからこそ
お芝居は見て笑えたらケッコーいい気分になれてしまうくらいにはアホなものでいいや、と
考えてるような輩なのである。

さて、その「ワークショップ」とかいうものについて少し話そう。うちの母は「まさきが
ワークショップがなんたらとかいっとるで、てっきり働きにいってるかと思っとった」
とあるように「ワーク」な「ショップ」、すなわち「乗馬ズボン」や「軍手」を商うような
、まーそんなようなものと思われても、わたしは笑わない。トーゼンな想像であるとも
思うね。名前がそうなんだもの。
わたしの「ワークショップ」ってものの捕え方は「お芝居をやっていく上でのノウハウを
理論と実践でもって、実際の舞台上ではなく、けいこ場でもなく、筋道たてて分かりやすく
知り合ってゆくセミナー」みたいなものだと感じていた。


だから「演技」して「発声」して「腹筋して」ってなレベルとは別の、心のスタミナを
つけに、わたしは参加を希望したのだ。自分がいまやろうとしてるマンガってものに、
うんと、トビキリなスタミナとボリュームをもたせるために、わたしは参加したかったのだ。

それも、自分の専門のテリトリーから離れたものがよかった。でも離れすぎてても
こわい!こわいがゆえに、演劇のワークショップというのはてきめんだった。
ワキヤマくんも受かった!といい「こんなにドキドキして待てるものがあるのは久しぶりですよ」
とわたしと同じことを感じていた。


さーて、そのワークショップは週末の3日間の開催で、前日2日は劇団東京オレンジ主催の
横山さん、補佐の牧山さんが教えてくれました。芸術劇場の地下2階で連日昼1時から
夜8時まで、ワークショップは展開されました。

ワークショップに参加したがるって人達が愛知のアチコチから来るわけですが、多くは
やはり地元劇団の役者さんたち。ときどき「先生」とかいるけれど、まんが家はわたしだけ
みたいだった。いざ初日に参加してみると、みんな地下リハーサル室で各々の柔軟体操を
始めていた。わたしにはこれがすでにガビーン!だった。柔軟体操をするなんて
何年ぶりのことだろう。それもこれからやってくるワークショップってもののことを思うと
得体がしれないだけに、柔軟でもしてねーと、気持ちが高ぶってしかたないので、
ともかくやってみることにした。イキナリクビがいたかった。みんながやってる柔軟は
きっと毎日けいこ場かなんかでやってるありふれたものなんでしょーが、わたしは
まんが描きのバイトくんなので、どーんな柔軟やったもんかねー、ってとこから、すでに
どきどきしていた。芸大の頃にやってた柔軟を思い出しながらえっちらおっちらやってみた。
気休めだった。



初日
自分のペースでリハーサル室を歩き回るってことからはじまりです。自分の体と気持ちを自覚
するってことにウェイトがあったようです。てんで知らない人ばかりのなかを
ウッキウキして歩いたり、落ち込んであるいたりしてから、そのうちに人とアイコンタクト、
すなわち「目を見合う」ことから、軽い挨拶のような会釈をして訓練に入っていった。
知らない人同士のなかで、あいさつをするのだ。するにはするが、最初ぎこちない。
ぎこちないなかでも「挨拶しやすい人」「挨拶しにくい人」ってのができてくる。
「またあの人と挨拶」しちゃいやすい人ってのもできてくる。その逆もある。
そこに人との心の開き方、通わせ方を予感できるようになる。これは面白かった。

8人くらいの車座になって、横の人に向かって「拍手」を送ってゆく訓練もあった。
人の中で「間合い」をつかんで、「リズム」を把握して、時には「反対方向」へも
任意で回していける訓練。
これには「モーション(動作)」を回してゆく、というものもあった。
叫んだり、わらったりが、人づてにまわってゆくごとに誇張されてゆく。
男の子もおじさんも女の子もみーんなが同じモーションを少しづつ大きくしてゆく。

車座でやった訓練は他にもあって、てんで知らない者どうしで、ウィンクを送りあったり
目線を送ったりするもの。誰にそれを送ってもいいのだが、送る側はたっぷりと愛情を
含んだウィンクや目線を送り、受ける側はいつ自分にそれが回ってみてもいいように
心を広く、優しげなものにして備えている、というものだった。
気持ちができてないと、せっかく人が送ってくれた目線やウィンクに気付かないし、
こっちが送っても、相手に気付いてもらえない!なんてなことにもなるので、
一生懸命にやることになる。
これも非常にここちよかった。車座の8人まるごとおだやか〜な顔つきで待っているのだ。
自然、雰囲気もまぁるい感じになるから不思議だ。
他にもいろんなことをやったので、箇条書きにしてみる。

● 二人組みでたっぷり時間をとった柔軟、体中の力を抜ききるためのジャンプジャンプジャンプ。

● 目隠しをして、ふたり組みだけにわかる「合言葉」を作り、47人の人が一斉にその合言葉を
  叫びつつ、相手を探すゲーム。最後のペアには拍手が起こった。なかなか感動のゲーム。

● まったくの初対面の人と真っ向から向かい合い、最初に握手。その片方の人がその人を誉めたたえ、
  最後に「あなたを〜〜〜で例えるならば、△△のようだ」と誉めたたえをしめくくる。
  もう片方の人はなにを、どうほめられても「ありがとう。」と返し今度は自分が褒める側をやる。
  こっちはほめてるつもりでも、相手がカチン!ときてることを意外に言ってしまっているもので、
  顔がひきつってる人もいた。肉体的なことを言うのはけっこうタブーになりがちなので、
  服そうやら印象に話しが逃げがちでした。意外に人を褒めるのは難しい。

● ジブリッシュ
  デタラメな外国語のようなものだけを使って、人とのコミュニケーションをはかるもの。
  ある動作を相手にゼスチャーで伝えるにも日本語を使わずに、「ジブリッシュ」という
  架空の言語でなんとか、なんとか伝える。「あにゃそみたらそこんたく、たたくちゃんとく・・・」
  ってな感じで、『しゃべってはいるが、意味はない』音としての会話である。
  これは難儀!いかに言葉に頼っているかを自覚できた。それでも意外にニュアンスは伝えられる。

● 8人でジブリッシュ
  デタラメ単語の8人の車座で、1周するまでに「ももたろう」をゼスチャーまじりで、
  語る、というもの。すさまじい形相できびだんごをあげるしぐさや、海をわたるシーンが
  展開された。

● 自分の辞書シリーズ
  あることがらについて、自分なりの解釈を人に説明してゆくゲーム。
  自分の言葉で、自分の解釈を人に理解してもらうのは、意外に難解。
   例・・・「車」・・・・「タイヤというものが4つ用意されており・・」という人もいれば
          ・・・・「デートの必須アイテムとして俄然威力を???」という人もいる。

などなど。
自分のものの考え方やら、発想の源泉、盲点がハッキリしてきて、自分の性格の特性も
おのずからわかってくる訓練がたくさんありました。


1日目の最後には「エチュード」と呼ばれる即興劇がありました。
これは8人1グループでやるのですが、決められているのは8人のおかれたシチュエーションのみ。
無作為にカードで「人間の順位」が決められ、お互いにその順位をしらないまま劇の登場人物にされる。

例えると「テニス部の合宿」というお題だと、一番最初に舞台に入って行く人は何者でもなく
「・・・・あれえ、、みんなおそいなあ・・」ってなノンキ大将でやってくる。
ところが次に入ってくる人物がハナ持ちならない態度ではいってきて「オ・は・よ・う
なんてやられたときに、その第1に入って来た人物が「順位」が低ければ「あっ!オハヨー
ございますぅ!先輩!!
」などとやるし、順位が高ければ「なんだヨ?その態度?!後藤!」と
切り返すこともできる。相手はこの場合、他の人にいわれた役まわりでアドリブを続行
しなくてはならない。
お互いに相手の順位は知らない。でも会話のなかでそれを
推察して、アドリブを続けるのだ。身てる側にもそれは推察でき、エチュードのあとには
みなでそれを当ててみる、なんてな趣向もあった。ちなみにシチュエーションは以下のもの。

● テニス部合宿
● 劇団けいこ場
● お中元会社の打ち上げ
● 町内会
● 家庭
● 三味線のおけいこ場

ちなみにわたしは「家庭」編に参加し、「おとうさん!」と誰かにいわれたので、
お父さんに徹したのだが、順位は「4」であったため、「気の弱いお父さん」であった。
ちょうど真ん中の順位なので、いくら『年配役』であっても、4番目相応の演技をこころがけたのであった。



2日目
このワークショップに参加している人達らしい会話のイントロがある。それはお互いに
見知らぬ者どうしで開口一番「どこの劇団ですか?」があいさつになる。

みんなは演劇をやっているので、トーゼン演劇関連の人材がそろっていると思ったのだろう。
このワークショップってのがすごいなあ、と思ったのは申込用紙に「まんが家」と白状した
わたしすら、参加させてくれたことである。「演劇を俺がなんとかする!」といきまく人々の
なかで、わたしはヌケヌケとまんが家のこころもちのままでいた。気負いもなかった。
そしてそうして「興味があった」くらいの気持ちで参加した人すら、邪魔あつかいに
するでなく、各人の動機によらずに「イエス!」といって、受け入れてくれてることは
実にいいものをこのワークショップに与えてくれたと、わたしには思えた。

ワークショップに参加を試みるだけの挑戦魂を感じることのできる人の集いは心地よかった。
2人、3人、4人、8人とトッサに言われても、見ず知らずの人がすんなり組めて、
メソッドだのエチュードだのをやれるって事実が嬉しかった。少なくともここの人達は
何かを見つけにやってきていて、そして見つけてやろう!って気概に満ちている。

自分のハメをはずすのも大事だし、それを許す場にいる、というのも大事。
でも外さなアカン「ハメ」以上のチャーミングさを自分に認めさせるのがどうやらワークショップ。
肩ヒジはらずに、醸し出すための自覚を得ることだ。それは快感だし、自分を真正面から
見据えるチャンスなのだ。

芝居をやっている人はどうして自分は役者なんだ!と出してしまうんだろう。あの「自分への
不正直さ」は気になった。その人本人であるより先に「役者」たろうとする。
相手への態度であったり、目つきのサシコミだったり、そぶり、しぐさにそれは出る。
気負い、にすでに負けてることをどう考えているんだろう。ま、そんなことはいい。

さて、2日目。冒頭に昨日やってた柔軟体操をした。この日の柔軟で「人間ローラー」というのが
あった。二人組みでやる柔軟で一人がうつぶせに寝て、その上をペケを描くように
人間が横になったまま、下の人の上をゴロゴロ〜と縦断するのである。意外にもこれが
心地よい!柔らかさ、重みが非常にここちよいのだ。

休憩後はエチュードの嵐!おっと、エチュードってのはね、「即興劇」。アドリブの積み重ねです。
ふたり以上で組んでやるのですが、小さなルールがある。それは「相手がいってきたことに
対して『知らない』『アンタ誰?』とか一切いわない」ってこと。相手の言ってくることに
対してすべて「Yes!」と受け止めて、会話ふくらませてゆくのである。これを
『Yes,・・・and』というそうである。
相手が「君のような小さな犬は・・・」と言ってきたら、その時点からわたしは犬を演じる
ことをし、なおかつ物語の進展に寄与してゆくのである。

まずは片方の人がいろんなお願いをひたすらする。それに対し相手はことごとく「OK!」をする。
「今度遊びにいこうよ!」「よい!行こう!!」
「服、かしてくれよ!」「ああ、どれがいい??」
「金貸してくんない?」「いくらでも!」
相手に合意してもらうことの心地よさを体感するのだ。この逆もあり、ことごとく「嫌!」と
言われる不快感も味わう。みんな演技することにまったく躊躇しない人達なので、やってても
楽しかった。

ふたりで1人の人格を演じる、というのもあった。「わたしの」「名前は」「田中」・・・といった
具合にひとりの人間の喋りをセンテンスごとに相手とわけあい、一人の人を作るのだ。
そんな「ふたりでひとり」コンビのまま、コンビ同士で会話なんてのもあった。

この日は「コンビネーション」に重点があったように印象した。わたしは一人で喋るのには
なんら頓着なくガンガンいけるが、人とのやりとりでは独走しがちになって、相方さんに
苦しい思いをさせてることを発見した。少しくらい、周りをみて自分を出すことにも留意
しよう、と反省した。


ラストの1時間で「あいうえお」と「紙を拾ってそこに書いてあるセリフで会話をはじめよう」
ってのをやった。
エチュードである。即興劇でやるので、決められているのは「状況」だけ。
わたしがやったのは「家族」というお題。
「『あ』〜あ、今日もいい天気だった・・・」
「『い』やですよ、おとうさん・・」と
会話の出だしをすべて50音順にして8人くらいの人が即興に参加してゆくのだ。
なーぜか、またもわたしは「お父さん」にまつりあげられたので、お父さんキャラで
いくことにした。考えてみれば、ろくろく「演技」してることに頓着してなかったもんだから
いつも同じようなキャラでぼんやりやってたな。しまった、もっとヤングや2枚目気取ったら
よかったかな・・・・・・
いや、できねーな、。

「紙を拾ってそこに書いてあるセリフで会話をはじめよう」ってのはシユチュエーションを
「病院」とされてるだけで、各々がかってに「先生」になったり「患者」「看護婦」に
なったりしていった。そこで即興劇をやるのだが、会話につまったり、物語が行き詰まって
きたときに、床にばらまかれた紙片を拾い上げる。そこにはいろいろな「文章」が書かれていて
「これで勝ったとおもうなよ!」
「旅にでます。追わないでください」
「アナコンダ」
「カラーコンタクト落とした」
など。シチュエーションに関連のないセリフをとにかく
喋る。喋ったあとでもそのまま「しっくり」つながるように会話をアドリブつなぎ
していかなくてはならない。これは笑えた。喋る側は大変だが、見てる側は笑える。


この日のあと、有志14人で飲み会に参加してみた。「役者がやりたくて」「何かみつけたくて」
「飲みたくて」な人と話してるのは楽しかった。「劇団ショーマ」よか「生瀬さん」とか
普段してないような演劇のターム(用語)をつかってもスイスイ会話がすすむ飲み会は
すごく楽しかった。そうなのだ、ここには愛知の中でも「お芝居やってる」人たちが集まって
きてたんだよなあ、と再認識。
日頃できてなかった会話がバンバンできて大笑いして大騒ぎできてうれしかった。
終電の都合から、途中で帰ることになったのがヒジョーにくやしかったので、明日は
車でこよう!と決意した。ビールうまかった・・・



3日目
ついにみんなのお目当て鴻上さんの講演を1時間聞く。
テレビのようなニコニコ表情とテレビのようなミニミニギャグのトークだった。
ここでは主に「感情の教養」について聞く。どのくらいの助走時間を用意したらいいか、自覚
しておくことが「感情の教養」を知っているか否かであるそうだ。フム。
精神状態を「何をしたら」まずニュートラルに持ち込めて、
「どうしたら」目指す感情に達するか
という
コントロールに至るための考え方。フムフム。
質問の時間があったので、何人かの人との受け答えがあったが、印象的だったのは
意外にサックリと気に入らない人に対して「切り捨てる」ことだった。
「君はさっき話しきいたから、もう聞かない」とばっさりいえる人だった。
テレビやメディアでいってることの復習だったので、いよいよこのあとのワークショップに
期待が高まる。

みんなで会場の片付けをしてから、いつものように柔軟をやっていたら、なんの前置きもなく
「さー、各自勝手に柔軟しろー」とあたりまえのよーに鴻上さんが入ってきた。
まあ、そういうのでいつもの様に柔軟してた。わたしは連日のワークショップで体の
あちこちがギッチギチになっていたくて仕方なかった。曲がらぬ体をグーッと前に落として
いたら、このワークショップで仲良くなった「ジョー」こと岩谷くんに後ろからグーーッと
押された。「いたたたた・・・・ふ〜〜〜〜っ(息を抜く音)」とやってるとにわかに目線を
感じた。ム?と前を向くと鴻上さんがズンズン歩いてきて「背中で押し返してみろ!」と
背中に回っている。おおお!
あの鴻上さんがまんが家の背中にまわってる!
ハッ!「バックをとられた!」とかいろいろ思いながらいわれるまま押し返してみた。
「お、意外に力あるなあ」といいつつ、鴻上さんも押してる。なーんとなしに、会場の
みんなの目線も感じつつ、わたしは力まかせに押し返してた。とたんに「よし、もういいぞ」と
いって「もう一回やってみろ」という。ひとりで柔軟やってみるとアラ不思議!体がニュ〜ンと
気持ちよく曲がるではないか!「おお!」と声をあげるとジョーくんが「マジック?」と聞いて
きた。うむ、まさにそれよ、マジック!

鴻上さんのワークショップは「歩く」ことから始まった。直線で歩く。目的を持って歩く。
目的地に向かって歩く。曲線を描いてあるく。歩く、歩く、歩く・・・・
「自分の持ってる素養がいくつあるのか?」、その自覚こそがこのワークショップの仕事
といってた。「自分の感覚を味わうことを忘れるな」「自分の体と会話してない!」
「リラックスした体とは、横になってダラーンとしているものではない。自分が立ったり歩いたり
するのに『ちょうど良い』状態であり、『必要最小限』緊張状態であること」


講演があったぶんだけ、鴻上さんのワークショップは爆弾みたいなハイペースで進んだ。
前の2日に対し、この日は「理論」の勉強が多かった。「スタニスラフスキーシステム」やら
「ラヴァンシステム」の解釈、実践なのだが、とにかく速い!速いが「容赦はしない」し
どんどんつめこんでくる。生半かな演技、作った演技などしようものなら見抜いては
「やってて楽しいか?」とかツッコンでくる。けっしてやさしくはない。

「嘘くさい、にはビンカンになれ!」「動き=クセではない!」「お腹で感じろ。頭で考えるな」
「演技は『決めたこと』の復習ではない」

とにかく「見透かしてくる」人だった。油断してることを許さないペースとテンションと
ボリュームを持った人だった。人がやってる演技に、その本人は「すっかりその気」で
あるのに、「おまえ・・・・それはちがうだろう?・・・・・本当はこう感じたんじゃないのか?」
といわれると、本人が自覚してなかった本心にめぐりあってたりする。
ものすごい切れ味は、「容赦のなさ」「ものすごいスピード
大量の理論のバックヤードを抱えて、参加者ひとりひとりに切りつけてきた。
みんな静かな恐慌状態だったとわたしはみていた。
「正論」だし、当たってるし、妥当だし、本気だから、鴻上さんのワークショップは
ピリピリしていた。

ここにその理論の内容をかいてもいいのだが、それはこのエッセイの趣旨にそぐわないし、
いささか専門的で「体験」が伴えない分、片手落ちになるのでひかえます。
とにかくラストの1時間は講演であった。詳しく、速く、深く、できるだけたくさんのものを!と
鴻上さんはキリキリしながら教えてくれた。



その後飲み会になる。「村さ来」で飲む・・・ってときに、恐ろしくビールが来るのが
おそく、みんなのイライラもたまりまくり、鴻上さんがシンボーたまらずその場を
仕切ってくれた。「質問にこーい!」といってくれたので、ひとり5分くらい質問を
ぶつけにいれかわり立ち替わり飲みながらみんな話した。

名古屋のアマチュア劇団員とコーカミさんとでは、はなそうにも名古屋の分が悪い。
わたしは演劇ってことに対して皆さんほどの含蓄も質問もなかったので、いろんな役者さんと
お話ししてて十分たのしかった。ワークショップに参加してる人で性根の悪い人はひとりも
いなかった。気持ちのいい人ばっかりだった。個々の悩みはありこそすれ、みんないい人
だったので、ビールがうまかった。一人でしゃべってた。アホみたいに喋ってた。
ワキヤマくんが言った「今日はながやさんのこと発見したことがある。ながやさんは飲むと
早口になる」・・・・・すまん、そーかもな。

終電を気にして何人かが帰路につくなか、ながやは前日のケーススタディから車できてたので、
最後の最後までねばった。

で、鴻上さんが「次ー!」と叫んだの最後に質問に挑んだ。
「映画とお芝居のちがいについて」を3、4つ聞いてみた。おそろしく殺伐とした
返事
があったようにおもうけど、酔ってたし、気にせず聞いた。そんなことより、私が
気になったのは、コーカミさんの目つきである。あんな三白眼で人を見て話す人ははじめて
であった。あの垂れた眼もとの奥にギラリとするつぶらな瞳が、わたしにはなんだか
ものすごくいいものを見たような気持ちがした。すごい眼してるんだ。ものすごい眼。

うたぐってるし、切りつけてくるし、見逃さないし、なんでも言えよって眼でいってる。
愛想一切なしに、人をギィロリと見やる眼。お母さんがみたら「そんな眼つきおよしなさい!」と
しかるに違いない眼。でもそれはもの作りを本気でやっていく人の、「なんだよ、やんのかよ、
コンニャロ!」という戦う眼。初対面でヌケヌケといろいろ聞いてきちゃう連中への防御と
威嚇と軽蔑の入り交じった複雑な眼。あれがみれただけでもこのワークショップの価値はある。


飲みは12時の閉店でおわった。みんなで写真を撮った。
明日から働いたり、けいこしたりする、いつもの生活に戻る時間になった。

さみしかった。この3日間がいとおしかった。
帰りの車中、ワキヤマくんと「参加してよかったね」という話しをしていた。
彼はお芝居で、私はまんがと映画で使えるものがうんと増えてた。
役者も劇団も知ってるところが増えてた。
人間、やはり出るとこに出ないと、いろいろ出会えないのである。ワークショップに参加ってのは
本当のところ、不安だらけだった。腹筋も発声も自信なかったし。
でもそんなんじゃなかった。
翌日、いつものようにバイトにいった。寝不足だったけれど、私は自分の声に張りを感じた。
「元気」だったのだ。「いい気分」だったのだ。なんで?とか理由、のものでなく、
私はいろんなひろいものを 、このワークショップでしていたことに気付いた。
それは日常の生活からもの作りという糧にまで応用できる、幅の広いノウハウのようなもの
だった。
だから私はみんなにもこれの参加を進める。進めますし、応援したい。
こうして愛知で催しを組んでくれた人に。参加を試みた役者さんたちを。横山さんと牧山さんに。
鴻上さんに。
どんどんふくらませてほしい企画ですって、これ。これ、すげーいいよ。すげーすげー。



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