だいじょうぶ

ふとひらめいたて、前々から気付いてたことを書いてみる。
なんとなく世の中が住みにくくて、つらいと感じたら、それは多分
正しい。君が感じた苦しみやつらさこそ本当なのだ。

老人が生きにくくなってるなら、それは本当に生きにくい世の中に
なっているのだ。
見ているテレビがつまらなく感じたら、十中八九、つまらないものを
見せられているのだ。
仲間とうまくいかなくなったり、仕事がうまく運ばなかったら、それは
きっと周りにおかしなことがあるのだ。

むろん、君の落ち度を自分で自覚できるひとにしか、このことは通用しない
コメンタリだ。無闇やたらに他人のせいにする人間には、このエッセイは
害にしかならないので、即刻読むのをやめて、マンガでも読んでてくれ。

多くのことに、その首謀者というものがいて、思うに世の中がおかしいのは
そのおかしいことを邁進してることでホクホクなヤツってのが必ずいて、
それも複数のメンツで結託してやがるから、首謀者のもくろみは日々でかく
なっていってる。そんな最中にポンと社会に放り込まれる大人はツラくて当たり前
なのだ。学校でも同じで、こんなに学校が嫌われているのに、その要点も
わからずうろたえる大人ってののぶきっちょさに、子供がつきあってくれて
いるのがむしろ奇跡に近く、子供はかなりのストレスを強要されている。

リスクをまったく負おうとしない連中に囲まれて生きていると、どうしても
ミニマムな、小さなことにしか挑めない自分ってものに嫌気がさしてくる。
さりとて、自分になにができるのかもよくわからないでいることに、今の今まで
なんら手を打ってこなかったことに、小さな罪悪感を感じるかも知れない。
そうだな、そうかもしれない。なにもしないできたのはあなたのせいなのかも
しれない。

わたしはここにいいたいのだけれど、何もして来れなかった環境にしか
僕らの圧倒的多数は放り込まれているのだ。のびるものをのばそうとする
人に、あなたは今まで何人会えてきた?あなたの人生にそんな人は一体何人
いた?そんな大人を、あなたは見渡して、「あの人」といえる?

そう、人がのびるにはそれなりにリスクを負う。そのリスクの分散を一切
配慮しない日本って国の中で生きてゆくには、けっこうなガッツを暗に求められる。

そして、僕らは自分を責め過ぎている。あなたがもし、環境が悪いと感じてたら、
それはきっと、その通りだ。あたってる。つらいと思ったら、そう、つらい。
そして、なんらかのプレッシャーも加えられている。思ってることがこんなにも
うまく言えないのはあなたのせいじゃない。あなたが感じてることのほとんどの
ことが言葉にならないのはあなたのせいじゃない。

おかしい、つらい、と思ったら、それはきっと正しい。
「それが世の中じゃん」とかいう得体の知れない言葉遊びにつきあうこともない。
あなたの直感が正しい。

かといって、わたしがどうにかできる、誰かがなんとかする、ってな話をしようと
してるわけじゃない。肝心なのは「おかしい」「つらい」ってことをそのまま
まに受けた上で「君のせいじゃない」とまず考えること。
強調したいのだが「君のせいではない」

あなたがなにもしていないうちから、世の中のしきたりや、因習で苦しんだ
ことがあると思う。「え?そんなことがまかり通ってるの?」と感じることは
社会人になってる人には特にたくさんあるとおもう。
おかしいのである。つらくされているのである。それらにはその首謀者がいて、
そいつらが生きている限り、もしくは考えを改めないかぎり、おかしいままだし、
つらいままなのだ。

だから、だ。あなたはあなたの感じた気持ちの方を信じていい。
「おかしいのはお前らの方だ」とどんどんいっていい。
「おかしいのはお前らだ!」いえなかったら、黙って思ってていい。
「おかしいぞ!お前ら!おかしいってば!」

そして、あなたはあなたの信じてることがなんだったかを思い出してくれ。
ぼんやりしかかった、あなたがかつてはっきり、鮮明に気付いてたことを、
もう一度、今一度、深く、がっちり抱え直してみてくれ。
それはもう、かつてとわずかに形を変えているかも知れない。でも、あなたが
かつて感じた「直感」を信じることができるときは、ものすごいガッツを
抱き直す瞬間なのだ。あなたが元気を取り戻すときというのは、あなたが
かつて信じてたものを、キチンと抱き直すときに感じるときなのだ。
あなたはあなたの持っているものを「だいじょうぶ」と言ってもらえるときを
どんなに待ち望んでいることか!

あなたはあなたがまだ知らないことってのが世の中にあって、もしかして
ある日ドーンとものすごくいいものに出会ってしまってものすごい衝撃を
感じて、トートツに元気になるとか思っているかもしれない。いいね、そんなの
いいね。

いいものってさ、とっくに心の方にできあがってて、それに触れてくるものでしか、
いいものにならないんだ。つまり、あなたはとっくにいいものが分かってる。
でもあまりにもたま〜にしか、見たり聞いたり触れたりできないものだから、
ボンヤリ待つことばかりに慣れさせられて、たいそうつらい時間を過ごしている。

あなたはもう、自分の中に「いいもの」を感じることができるものを、とっくに
持っているのだ。それは外からやってくるものかもしれないけれど、それを感じる
ことができて、うれしくなってしまえるのは、あなただけ。
言葉にできないし、人と共有もできないから、うまくそれを認めることができないだけ。

さあ、おさらい。
「おかしい、つらいってことを感じたら、その通りだ」
そして
「それは周りがおかしいってこと」
んでもって
「君のせいじゃない。」
そのうえで、総括。

君はおかしい、つらいものに囲まれている。
 
だからなんだ?

 逆らってみせて、そこでなにかするのもいい、
 逃げ出して、他でなにかやるのもいい、
 なにもしなくなるのも、君がそう決めたならそれでもいい。
 
 でもそんなのは君のまわりのこと。
 君はおかしいもの、つらいものに傷付いてしまわなくてもいい。
 君は君の中にとっくに気付いてるいいものの形を知ってる。
 それを大きくすることを、僕は勧める。
 
 すると、「まわりがおかしいこと」に頓着してる時間が惜しくなるはずだ。
 自分がなにをしていきたいのか分かってくるはずだ。
 なにからやったらいいかは分からないかもしれないけれど、あなたの信じてる
 価値観のようなものの方を信じることができてくるはずだ。」


ん〜、うまく言えてるかな。うまく書けてるかな。
「自信を持て!」とかいう本やらセミナーやらあるけど、自信なんて滅多な
ことではもてないものだ。不安さ、不安でいっぱいさ。日々不安の嵐だよ。
吐き出し切れないもので自分がパンパンになることしきりさ。
でも、それはそれのまま、見つめるんだ。本来それはよくも悪くもないものだ。
天気のようなものだ。天気に「つらい」も「おかしい」もない。
でも君の解釈がそれを「おかしい」「つらい」と思ったのならそっちを信じていいんだ。
それをそう信じる君の気持ちが太く大きくなったことを感じて、君は安心
できるだろう。すると、だ、人は不思議に次への足どりをすすめることができるんだ。

自分のせいにばかりしないこと。おかしなことは世の中にゴロゴロあるのさ。
ひどい目にあったり、泣けたりしちゃうこともたくさんあるんだ。なぐさめて
くれる人が近くにいないこともあるさ。でもね、きっと君はだいじょうぶ。
君の感じてることでだいじょうぶ。そっちでだいじょうぶだからね。

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