フリクリと富士通と松田優作

フリクリがついに6巻にして作品が完結しました。
時を同じくして、新聞に載ってた話で、富士通が「成果主義」を反省しはじめてると
言ってました。競争力を引き出すつもりが、実際には失敗を恐れて思い切った企画が
できなくなった弊害が大きいんだそうです。
んでもって、同じ日の新聞に松田優作が韓国籍だったことが載ってて、彼がそれを
隠しつつ、戦っている話だった。

で、この3つのことはは私にはひとつのことを訴えてきました。
フリクリでハル子は「知ったこっちゃねーんだぁ」とヌカします。ハル子のやりたい
ことのために、たっくん(主人公)を利用しまくってやろうと隠さずにヌカします。
道徳の時間ではきっと、「ハル子はわがままでいけません」なる結論にゆくでしょう。
でもそんなラインでしか物語をつかめないとしたら、もっと大きな輪郭を見失います。
この場合、見失うものの方がはるかに大きいのです。

フリクリの物語のスタンスからいけば、やはり「たっくんの兄は?」とか
「メディカルメカニカって?」とか「N・Oってのの説明は?」「アトムスクって?」
問題は山積みなのですが、やはりガイナックスはここに全く答えを示しません。
それでもこの作品は描きたいことを忠実に描き出しましたし、視聴者にインパクト
するものを出しています。

ナオ太はいってます。
「あたりまえのことしかない世界に、ぼくはゆっくり慣れてゆく。
 ゆっくりと死んでゆくような毎日。
 だけどハル子はここにいる。
 だから、外にも世界があることを僕は忘れない。」

これはアニメの台詞なんでしょうか。これはSFの台詞なんでしょうか。もうなんだか
詩ですね。音楽ですね、舞台ですね。

私は喋りについて自信があります。言い包めるとかけっこううまくできる方だと
思います。いいことも、悪いことも、けっこう上手に弁護できる言葉があると
思ってます。ゆえに、いい加減な流すような言葉ばっかり使っているものには
ものすごい怒りを覚えます。そして、言葉でうまく言えてしまうがためにダメに
なってゆく感性ってものも自覚します。言ってしまえばチープになってしまいがちな
ものを、フリクリは上手に両手でゆっくり出してくれました。
「はい、これでしょう?」って。

人と喋っていても、時々自分のペースに誘導することってありませんか?
口慰みに、雰囲気に、人と喋っていて自分の分かる話題になると、人は盛り上がるじゃ
ないですか。話してる相手と一番もり上がれるときは、その相手と自分との共通の
友人について話てる時じゃないですか?
聞きやすい質問をして、聞きたいと思ってた言葉を聞き、安心をする。
そうですよね。そうなんですよ。

人と盛り上がってる時には今ある自分のストックたちの中で、間違えがなく、
分かり切ってる会話の時なんです。同意しやすくって、うなずけて、お互いに
言葉に詰まらないときです。

で、そのまま仲間とは「分かりあう」ものだけで構成されていきがちです。
そして仲良くなってゆくほどに、同じ道をぐるぐると走ります。
何度も同じことで笑い、同じことで怒り、泣く。話す。うなずく。

ゆるーいものでつながっていってた人間たちは、いつしか「仲良し」ってことで、
言えること、言えないことってのができてきて、暗黙のルールも完成させて、
やたら静かに器用になる。

そんな風に器用であることは、「当たり前」らしい。
だーがね、フリクリはここにも一石投じてると思う。

知ってることの確認のために、友だちと話してるってことに違和感を覚える
人にはフリクリって作品は救いだろう。
私達がなんの気なしに、居心地のいいところを作ってゆくときに、同じサイズの
牢獄も作っていることを勘付かせる作品。

おさまりのいいことばかりの中でいきてゆくってことのヌルさを、フリクリは
こっそり見せる。ハル子も、マミ美も、独善的にふるまうことで、街がめちゃくちゃに
なってゆく。それに対して罰も与えないし、罪悪感も示さない。
マミ美に至ってはイジメにあってても、救いなんてこない。いいことも、悪いことも
同じウェイトで作品の中では描かれ、それはそのまま現実でもそうだ。
いいことも、悪いことも、同じウェイトで起こっている。

そうした上で、なにかするってこと、どこかに飛び出すってことは、
わがままであることを肯定する。わがままでいいじゃん、と言う。
「たっくん・・・私の欲しいもののために力を貸して」とハル子はキチンという。
なーんだ、ながやさんは「わがまま万歳!」っていってるのか、ってんなら
そんでもいいけどさ、そのわがままの向こうに見え始めるものに予感できる
気持ちを持つことを、もっと僕らは高らかに叫んでいいのではないか?!?!?

こんな作品が今までどこにあったよ?うれしかったです。

最初の話にもどりましょう。
富士通が成果主義を唱って、出来高払いみたいに給料を変えてみることで、
思い切ったことができなくなる人が減り、長期に渡る高い目標に挑戦できなくなり
ヒット商品が生まれなくなったことは、なんだかまるで「仲間と楽しく話してる」
ってことと、私にはダブるのです。

松田優作さんがどこの国の人でも私にはかまわなかった。
小学生のころの私をもっともはじめに魅了したことだけが本物だ。
そのうしろにしまっていた気持ちがどんなものであっても、はじめて俳優として
松田さんはインパクトして、威力があった。人間として、威力があった。
同じ俳優を称する人たちの中にあって、あの人には他の人から飛び出す魅力が
あった。

飛び出すってこと、しでかすってことは、人間の中のことで、触れなくって、
そのくせ人を魅了するほどの威力のあるものは、まったく他人に真似もさせず、
交換も効かない。安穏としたところからは生まれず、高いだけの志しだけからも
生まれない。でも、その方法を予感させ、見せることはできるんだと、フリクリは
教えてくれた。

自分の今知ってるだけのものの中からだけしか、選ばないで生きてゆく。
そのことに焦りを覚える人はいませんか?
もっと、自分の知らないところに、そう、ほんのちょっと先に、もっと選ぶに満足する
ものを期待すること。そんなことは「夢見がち」なだけとはとても思えないんです。

このエッセイはひどく片寄ったニュアンスを言ってることは自覚してます。
まるっきり、これと正反対のニュアンスだって、まったくの正論でしょう。
しかーし、いいたいのは「正しいこと」ではなく、例え大間違えで、勘違いでも
いいから「飛び出す」ってことへの後押しです。今、時代がやたらめったらに
畏縮ばかりして、敬服して、反省して、ちっちゃくちっちゃく内向きになってます。

飛び出すのはさ、まぁ、まずは自分なのよ。
環境待ちとか、状況が「そろってから」なんて言ってるヤツに、なんかできた試し
なんてないもの。飛び出したあとのあなたに味方がこないだなんてどうして
思えるのさ?飛び出したあとのあなたに力になるものがあらわれないとどうして
言えるのさ?

「じゃあ、なに?それはなに?必ずやってくるの?保証できる??」
できねーよ。しらねーよ。でもやれよ、ってのがわたしの言い分。

君の事は君が知るんだもの。だからやってみな。ちゃんと、飛び出した先に
地面があるよ。ぬかるんでたり、急勾配だったり、デコボコしてたりするけど、
君が今恐れているような突拍子もないようなトラップはほぼない。
そして「今、まだ知ってない」こと知りなよ。面白いからさ。凄いからさ。
広がるからさ。もりもり湧いてくる感情の大波小波に揺れてみなよ。

フリクリが勇気を与えてくれるのは、そうした点のような気がする。
いやぁ、人によってはまったく異なる感情をもつでしょうが、私にはそれが
一番の収穫でした。うれしかった。他人ごとでなく、自分のことが作品で
流れてるって思いました。そう、他人ごとでなくさせる作品。これは私の中の
ことを示す作品。だから、作品を抜け出したあとには、拾ったものを試す
だけのことはしたくなってのが人情ッスよね。

うわー、なんだかタイトルとは大違いな結論に辿り着いたような気もしますが、
ニュアンスは出せたかな。せんえつながら、このごろの私の座右の銘をひとつ。

「状況の如何(いかん)によらず、幸せであること」

これは本音です。自分の中で「これだー!」って言えることがうまれたら、
人はものすごいガッツで満たされて、ムンムンしてきます。
今、がどう、を上手に言えたって、ダ〜メ。
今まではこう!をいくら引き合いに出したってダァ〜メ。
君はこれからを予感して、やってくんだもの、ハナを利かせていいものを
探して向かうだけのフットワークを持たなくちゃ。

ハイ、まず「フリクリ」全巻(6巻)見て下さいな。そして、自分の中のものを
どんなものが渦巻いていて、どれだけは本気なのか、ねじあげて、しめあげて、
絞り出してごらんなさい。そして、飛び出す先を見極めるために、「わがまま」も
使って御覧なさい。ずいぶんといいものですよ、ええ、ホントに。

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