当時は私も映画作りがなかなか思う通りにならないわ、書いてる最中の
まんがも自信ないわで、こうした軽口がとっても心の糧になったりして
しまうものでした。 で、 池内君も私もひねてましたから
「表立って『秘密結社』とバラすのはヤバイんじゃない?」
そこで世間にむけては仮設の団体、旅行団体と銘打ち、さっそく
団体名の模索へと話は移っていったのです・・・・。
Let’s Have A Party!
池内君は当時、会社の都合で岩手県にいけたとき、その上も下も横も
ひたすら真っしろ、真っ白!しろしろしろ〜ってな異世界にすっかり
魂を抜かれ、「ながや!!岩手はいいぞ!」と、ムヤミに推すのです。
私には何がどういいのか、てんで彼のボキャブラリーでは伝わって
こないのですが、とにかく熱っぽく、いいぞ、いいぞと言ってくる。
催眠術のごとき彼の連呼に次第、私の頭もモーローとしてきて
「そうか!岩手はいいのか!!」と。
二人の合点のいく名前で決めようと、モメてた団体名(仮名)も
ここに「岩手ともの会」と正式に決まり、略称「いわとも」と
なったのでした・・・・・。
なぜに仮称か?
うっむ。実は「団体」とか「組織」ってのはこのメディア乱立の時代に
あまりに「かたすぎる」んじゃないかと思われました。じゃあせめて
「りんかく」で、ここいら辺に集まろうと、うじゃうじゃしてくる
人たちを称しておくだけに、便宜上の盟友の呼び名を作ることに
しました。
入会できるのは「プロを目指してる途中の人」で、その中の誰か一人
プロになったら、その人の名前の付け方に従おうぜ!という、
この二人の移り気を肯定してゆくやり方を選んだのです。
我々二人は「矛盾」していることを「それでもいいじゃん」と肯定して
許しあってゆくことを決めたのでした。「誰もプロがいなくても
『プロ集団!』のフリをしよう。その過渡的な存在として『いわとも』
という形でスタートしよう。」これがはじまりです。
このメンツはゲームセンターの閉まるまでさるのごとくゲームに没頭
する輩でしたので、「新しい血を!」僕も池内君もみんな思いました(きっと)。
そこで池内君と「機関誌やろうか?」と話し、「やろうよ!」と、まるで
某ビールのような間合いで、「LesGND」の発刊の運びになったのです。
(著作権のせいで、自由な表現を制約されるのは、伸び盛りの製作欲に毒だ!
と判断し、ふんだんな引用、借用がありますゆえ、ネット上での公開は
はばかられます。だから秘密。現在4号まで発刊済み。)
これまでに決めてきた目標はざっと以下の通りです。【ごく一部】
1 みんないつか「あべのベルタ」に住むくらい実力のあるプロになる。
(理由:ここはお城のような外見に、各種テナント、デパートが雑居してる
上に、アパート、いや、マンションもいっぱいあることで「外に
出ないでも過ごせそう」という自堕落な期待があった。)
2 FM局「FM大臣」を結社して、メディアを味方につける。
3 LOFTを7億(で、売るって何かに書いてあった)買い取り、住む。
4 みんなが集えるアトリエ、車をもつ。
5 着々とサブリミナル効果のように社会に浸透してゆくために、各種雑誌
(ジャンプからMOE、各種政党機関誌や、主婦の友まで)の読者のページに
各スタッフは「いわてともよ」の名前で投稿する。etcetc・・・・・
と、まぁ、基本的に軽口で世界に挑んでゆく心意気をいっそう厚みのあるものに
しようと、日夜パリともは本気になっているのです。
一体どーなってんだ?
パリともには大憲章(マグナカルタ)がある。それは
「ぶんだら・くれうそ・さんき」である(ヤング向けに略してみた)。
いずれもパリともの心意気をあらわす3つの言葉だ。
1 文化の堕落
そもそも「文化」的なるものに元気がない。だらけてしまっている。
文化のくせに堕落、なんて矛盾してるよねってなパンクな気持ちを
大切にしてやろうってな気持ち。
2 「クレタ人はみな嘘つきである」
ヨーロッパの方の言葉。クレタ島の住民が全てみな嘘つきのハズも
なく、この台詞をのたまった本人こそが嘘つきなのか、誰が嘘つき
なのか?どー嘘つきなのか?あらゆるこうしたイタチごっこ、矛盾を
とがめたりせずに「まぁそれもいいじゃん」と肯定する気持ちを
大切にしようって気持ち。
3 山月記
この古典は大切なことを教えてくれる。いかにカシコく、勉学し、
努力し、向上した者も、行き着くところは獣、という人としての
野生を大いに尊重する姿勢を明確化。いかにもベティ・ブルーな
心意気である。
以上の3項「ぶんかのだらく・クレタじんはみなうそつきである・
さんげつき」を略して上のマグナカルタとなるのでした。知ってた?
どうしたらパリともに入れるのぉ?
まず自らの術で食っていくことにチャレンジ中な輩であってください。
このページのここまで読み進んできたからには、あなたにもその下地は
あると推察されます。ことさらマンガ、小説に限りませんので、幅広く自分の
芸に自負を持ちつづけて下さい。パリともなメンツが「あいつパリとも
らしいなっ・」と勝手に選定する方式になっていて、強制郵送される本が
LesGNDの役目だったのです。入りたがるような人はなかなか
入れないでしょう(痛くもかゆくもないでしょ?)。
なーんてね、仲間なんて次第に腹割れる奴とどーにもダメなやつの
どっちかさ。だんだん仲良くなっていけたら「パリとも」なのさ。
互いの励み、こころの糧になるためのはずみ車。それこそパリともなのだ。
ゆえに
さしあたりみんなで過ごせるような「アトリエ」持ちたいし、
人的スタッフの交流も深めたいので「車」。[FAX」欲しいな。
(この文章を書いた当時、車もFAXもなかったけど、いまはある。あとは
アトリエなんとかせなね)
「パリとも」やる上でことさら気を使うのが、だらだらとたむろする仲間
以上に「生み出す場」の力として、人々が集い、交差するように、という
点であった。
生み出すという思想の産物は心覚えのない他人のイデオロギーをドカン
ドカンと大雑把にぶつけられるときに飛び散る花火にインスパイアされ
ちゃうことに他ならない。
ふだんから自分が用意しているものは持久力を保つための自助力には
なるが、気持ちをすっかり虜とする決定的な要因はやはり「自分以外」の
ところにある、そしてまだ自分に入ってないからこそトキメクその感情を把握する
点にあるんだ。
だからまず、人が集まって勝手に喋っていられることが大事なんだ。
いろばた会議をしてててんで差支えが無いところ、は意外どころか、
とにかく少ない。だから思想を育てるのはけっこう「場」という人工的な努力を
要するのだ。それをつとめてやる人は尊敬できるし、それを支える思想は
うらやましい。そういうひとが提供する所は「ひとが集まっているだけ」に
させとかなかない演出が行き届いていて、ともかくもただ「いたい」所に
なれるものだ。それは何かを手に入れる能動、でもある。