作成日: 10/03/10  
修正日: 10/03/10  

「お水をください」

児童虐待断固反対


このごろ児童虐待のニュースが心が痛い。自分のこどもを洗濯機の脱水槽に入れたとか
ご飯を一日一食とか、想像だけで涙が出る。

こどもの頃にご飯が食べられない、というのは心底悲しい気持ちで、こどもだから
自分でなんとかなんかできない、という負い目もあるってのに、そこに圧倒的優位の
大人、それも親が、圧倒的不利のこども、逃げ場のないこどもに痛烈な、生死に関わる
虐待を加えることは、それはもう、人じゃない。そういうのは、人じゃない。

ニュースのなかでフイに聞いた台詞だったけど、虐待があった部屋の隣の住人が
「お水をください」と叫んでるこどもの声を聞いたって。
もう、ご飯とかじゃなく、水。水をください、って。こどもが。この日本で。
アパートで。蛇口をひねれば出る水を、飲ませないだなんて、お水をあげないだなんて、
あんまり、あんまり、あんまりじゃないか。
あんまりじゃないか。
ひどいじゃないか。

なんで水をせがまなくちゃならないんだ、この日本で。
ないわけじゃないじゃないか。あるじゃないか。あげることのできる水をあげないってのは
どういうことだ。嫌いだからか?こどもが嫌いだからか?嫌いならご飯も水も
あげないってのか?死んじゃえってのか?死んでしまえってか?嫌いなら、なんでも
していいのか?なんでもありか?

そんなの人じゃない

そんなの人のすることじゃない

こどもが
こどもだよ
こどもなのに
なんで水をせがまなくちゃならなかったんだろう

親にお水をくださいっていわなくちゃならなかった子は
その小さな胸の中で、どんな気持ちをためこんで、それを言おうってしたんだろう
のどが渇いてて、のどがからからで、お水が欲しかったんだろう
お水、飲みたかったんだろう

お水

お水


お水



小さい頃、入院をすることになって、初日に検査の関係で、一食目のご飯を抜くことに
なったことがあります。相部屋で年配の方や同じ年くらいの子らが、給仕されたごはんを
ぱくぱく食べて、飲んでをしている最中、私はおなかがすいているのに、みんなはおいしそうに
食べてて、私は、私は、なんというか、それそこまで悲しい気分で「ひもじい」を
実感したことがなかったので、一種の「ショック」のような悲しさに打ちのめされた
ことがあります。氷嚢を乗せた状態で涙ぐみながら、傍らにいたお母さんに、氷嚢をみつめて
「この氷、食べれんかやあ(食べちゃだめかなあ)」と真剣に泣いてた記憶が鮮烈に
体験記憶に残っています。
ただの一食を抜いてるだけなのに、弱音を吐き、気が弱り、泣いてたこどもの頃の自分。

私は空腹で悲しい、ということが心底怖く、心底つらく、他人のそれも受け入れるのに
非常に困惑と焦りをもってしまう質があります。
これに「幼少の子」となると、もういてもたってもいられない、なんとも切なく
やりきれない気持ちで一杯になります。
いったん生まれたそのやりきれなさは、どうあがいても消えず、漫然と私の中に宿って
消えるタイミングを失うかのように、延々うろうろします。


私はこどもの頃、わがままで自分勝手でよく泣く子だった。全然思い通りにならない気がしてて
自分の言うことを聞いてくれないだなんて、周りの連中は悪い奴らだ!とか思ってた。
それでも「大人」は信じてた。
大人は、こどもを守る人たちだから、少々怒りっぽい人がいたって、いざというときは
こどもを守ってくれる側の存在だと信じられるくらいには、良い大人に囲まれて来た。
基本的には私は大人を信じて成長して来れた。これは幸いなことだ。

いったん大人になってしまうと、実に自分が頼りない「かろうじて」の大人であることを
日々身にしみる毎日で、大人の人たちは偉かったんだなあ、とつくづく思う昨今ですが
一方で「どうしようもない大人」を見つけることもできるようになった。

大人の事情、ってのもあるんだよね。

あん?

なんだよ、大人の事情って。
勝手に生きて、勝手にやっていけるくせに
だからいいの、大人はいいんだよ。責任とらされるから。

でもこどもは違う
こどもはちがうよ
大人じゃないんだよ

ご飯とお水と睡眠するところを大人が用意してあげなくちゃいけないよ
勉強とかお金とかはあとのことでいいよ。なんとでもなるから。
でもご飯とお水と寝るところは大人が用意しなくちゃいけない。
ご飯はおなかが空いたときにもりもり食べたい
お水は喉が渇いたときにごくごく、喉を鳴らして飲ませてあげたい
食べて飲んだらよだれたらして、口を開けたまま、たっぷり寝たい
それがこどもだよ
こどもってそーゆーもんだよ
食べて、飲んで、寝て、遊んでいられるうちがこどもだよ

そのこどもに向かって、水を飲ませないとは
なんだよ
なんなんだよ

飲ませろよ、水
あげなよ、水
水飲ませろよ
みずあげてよ
お水あげてよ
お水のませてよ
なんだよ
なんであげないんだよ
なんであげないでいられるんだよ
お水あげなよ
お水飲ませろよ

こどもに「お水をください」っていわせるなよ
いわせんなよそんなこと。
そんな馬鹿なことってないぞ
そんなのってないぞ
あんまりだよ
あんまりひどすぎるよ

こどもを虐待するな
大人がこどもにイラッとする時があるのは認めるよ
でもこどもだよ、こども相手なんだよ?
対等な相手じゃないんだよ、こどもだよ
こどもがこどもであるときは、こどもでいさせてあげないとだめだよ
全部覚えてるんだから、人って。
虐待の記憶は、大人になっても、去らないんだよ。
その気持ちから生まれたものは、激しい威力の毒になる
他人を蝕んで、自分も蝕んで、不幸になる。

こどもは、こどもでいさせてあげようよ
こどもは、こどもであるときは、こどもでいさせてあげようよ
こどものころに悲しいことがあった人ならなおさらだよ、気持ち、わかるでしょう?
嫌なことはしちゃだめ
だめなんだよ
やられたから、やる、ってのは、やってきた奴以下になりさがるってことだよ
そんなごみみたいな奴に並ぶな。嫌なことがあったのなら、自分でストップする
タフさをもてるようになろうよ。そこでストップ。

女は男がいるから女をやってる、とどっかのまんがで読んだよ
こどももそうだと思う。
大人がいるからこどもはこどもでいられる。
ただし、こどもはこどもでいることを自分でやめられない。
だから、大人が、こどもを、「こども」でいさせてあげるんだよ
こどもはそれを「ありがとう」って、きもちでわかるんだから。
それが人なんじゃないの。
こどもも、大人も、人。
人でいようよ。一緒に生きていようよ。