作成日: 10/03/14  
修正日: 10/03/14  

全世界規模の不正直

ネット


今回は私の中ではかなり偏ったことを意識的にエッセイにしてみます。
前々から感じていたことですが、ネットに出せる情報が限られたり
静かな制約を感じ受けていることについて、です。

ホームページ作りをやってて、ブログだのツイッターだのと名称が変わっても、
インターネット経由でなにがしかの発表をするというスタンスに変わりはない訳で、
日々更新したりするとおっつけ自分の生活スパンや思考パターンが発露したものになっちゃう。

ネット上で正直に書いてしまうと「炎上」などのように身内からの突き上げで
大けがに至ってしまう事態もありうる以上、さほど正直にネット上にものを
言わなくなるようにもなる。
とはいえ「あまりに触れない」ことで、かえってその人が隠しているものも正直に
輪郭が出てしまうのもまたネットならではなんだと思います。

実際、日々人と話す生活をしてるんだけど、「自分が言ってない」ことで自分は秘密を
隠しきれている、と勘違いしてる人があんまり多すぎる。触れなすぎて違和感のある
自分の態度に気づけない人っている。いや、自分で自覚したくないからいっそ
「そんなことないよ」という小芝居を延々続ける人もいる。もっとエスカレートすると
「分からない」と連呼して、自分では実は気づいてる感情や隠し事を「どーしても
理解できません」で突っぱね続ける人もいる。ま、いいのよ、そんなことは。

ネットしてて、個人サイトを読んでて、ある日あるとき、「ああ、もう読むのいいわ」と
飽きてくることがある。たくさん読んでても、どうしても一線を突き抜けない
「無難さ」ばかりで出来上がってるホームページやブログに、直感として「疲れ」を
覚えるのだ。

ネチケット、とか言う言葉ってあったじゃない?
ネット上のエチケット、でしたっけ。お互い守るべきルール。
うん、それも大事。
それはわかるんだけど、そうなるとネット上には「なんでもありそう」だけど、実際の
ところは「ネット上に出してもいいもの」の集合体、なわけですよね。
出したくない、触れられたくないものが、あらかじめ気配を消してて「そんなものないよ」って
ことにして、言いたいこと、伝えたいことだけをつらつらとやる、ってことです。

その不自然さがこのごろどーも疲れて来てまして、幸せばっかりで友人たっぷり目の
日々素敵素敵素敵の連続である不自然さが、ちょっと疲れました。
全世界に発信できるインターネットを使ってるのに、発信できるものが「見せていいもの」
ばかりであるというのは、片手落ち、と思うの。

いやいや全部正直に行こうっていってんじゃないよ。
ネットで正直に書くなんて恐ろしいことだからね。そーゆーんじゃなくてさ、
なんといいますか、インターネットという全世界を前にして、こうも遠慮がちに
振る舞わざるをえないものかと、嫌んなっちゃうんですよ。こんなもんしかだせねーのか、と。
全世界を前にして、こんなもんなのか、と。自分にも、他人にもそう思うんです。

心底仲のいい仲間なら、メールで近況報告したり電話でやり取りしたりして、実際の
仲間の状態を知ってたりするじゃない。その仲間がネット上では特段弱っても困っても
いないのに、その実苦しんでいたりするっていう「仮面」のような道具としてネットが
使われてるっていう体験、誰もがしてると思うのよ。

ネットって「出してもいいもの」の集合体だけじゃなくて、とある巨大掲示板のように
匿名でリビドーがドーーって出たコメントたっぷりの面もあって、世間で知られない
情報を手にする機会も増えてる。ウィキペディアなんてスッゲー便利だし、グーグルの
おかげで調べものは昔に比べて格段に便利になった。
手紙や電話以外で人とやり取りするつながりも豊富になった。
なった。
なったはずなんだけど、
幸せじゃないんだなあ、これが。

こーゆーのが増えるってことは「便利」は多彩になるけれど、迷ったり困ったりするのも
格段にふえてるんだよね。どーもなんだか幸せに向かえてない。むしろ悶々と邪念が
渦巻く機会も多い。妄想たくましくなるケースも多い。

ネットを使っておいて結局のところイロバタ会議なみの会話に終始しちゃうのだったら
会って話すまで「楽しみ」を膨らます方が豊かのような気がするんだよね。
人の中で「醸される」ことの魅力が厚く膨らむと思うのよ。

あっちこっちに点在してる人たちが、ネット経由でつながれてしまうことで、
そこそこの情報を小出しにやり取りできてしまうのは、人の中の「醸し」を
阻害してるんじゃないかと感じる。

仲良しってのはずっと一緒にいることじゃないでしょ?
たまに会っても変わりなくつきあえることがうれしいんじゃない。
ネットで「お互いに怪我しない」会話くらいをのらくらしてるのなら、いっそ話さない方が
気分いいんじゃないかな。そう考えてます。

「アイツの近況を、ちょっと知りたい」くらいが限界なのかなあ、ネットって。
「つぶやき」くらいの正直さがちょうどいいのかなあ。
なんだか好きになりきれない媒体なんですよ、ネット。使ってるくせにね。
自分が抱え持ってるほとんどのことが、ネットに書けないもん。
みんなも書いてないもん。
それがスタンダードだとしたら、
ずいぶん異常な「でかさ」の、不正直なんだなあ、ネットは、とか考えちゃったわけです。
それはそのでかさゆえに、でっかいさみしさも内包してるように思います。
こんなにあって、こんなに不正確なの?こんなに部分的なの?一斉に「見せてもいい、
ちょっぴりだけよ」の集合なの?    なのかなあ。そう見えるときがあるんだよなあ。