作成日: 10/06/01  
修正日: 10/06/01  

止まる思考

こんだけ頑張ったら文句なんかねーだろ!もう!!


ネット上でぼやくというのはみすぼらしく、かっこわるく、残るから、
やらない方がいいし、なにより他人を不快にさせる。悪い気を寄せてる予感すらする。
このエッセイはそうしたぼやきに満ちてるので、疲れてる人や気持ちの折れそうな人は
この文章のこの行を読み終えたら他のページに行ってください。

こんな書き出しをしておいてまだぼやく訳は、普段ネットしててもその多くが
「そこそこ嫌な事」「そこそこ楽しかったこと」「綺麗でかわいいこと」「かっこよくて美しいこと」
に満ちてて、なんだかどーも一斉に「役に立ってくれない」感を強めてて、そういう
「なんだか不正確な感じ」な平和感がどーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーも居心地
悪いんだけど、誰かに不快な思いをさせたいんじゃなくて、んー、なんていうか、バランス、ですよ、
バランス。いい人じゃないし、悪い事ばっかりでもないけれど、ここにこう書く事で保てる
バランスがあるように感じたので書きます。こんな小理屈いらんってな。


本当に追い込まれると、いや、追い込まれる前に、直感として、人は自分が思考も行動も
ぼんやりかすみがかってくることを知っていたかのように、シンプルに生きておくようになる。
この5月は本当に「食べて」「寝て」「働いて」おしまい、な月になった。
厳密には旅行にも読書もしてるはずなんだけど、何一つ心に入り込まなかった、そう、上の空だ。

半月ぶりくらいにポストを見た。宣伝広告すら受け付けない「情報の断絶」をしなくては、
自分の中にあふれかえる不安に、堰が切れそうな感じがしていた。夜も3~4時間で眠けが
スッとひくのだ。体も元気なのに、振り払えない獏とした予兆のようなものに、体の方が先んじて
スタンバイしてくれてる毎日だった。

もめたり、忙しくなったりする時期を見抜く連中というのがいる。
普段帳消しにしたいと思ってることを、「どさくさにまぎれて」処理しようとする人がいる。
それは本人に言わせれば悪意のない、偶然のタイミングと言いたいんだろうけど、こつこつと手抜かずに
やってる人には、そう見えない事を、そういう連中は「知りませんでした」と言い張るだけの無神経さを
皆一律に持っている。自分は好きな事をする。だけど周りの人の要望には応えない。その上自分の損には
敏感で、予兆を見つけると即断即決で対処できる。基本的に「狡猾」のしみ込んだ人間には
もう、近づかないことしにます。ほんとうに、嫌な思いをしました。してます。
なにかの罰か?とも思えて来ます。疲れてる証拠です。

それらと同じくらいにいい思いもしました。ここでは書きませんが、人間が信じられるもんだって
つっくづく感じ受けることです。いい事と悪い事の高低差が極端に短い波幅で上っ!下っ!って一日のうちに
何度も押し寄せる生活が続いて、私はすっかり今疲弊しきっています。なーんも判断に自信が持てません。
うん、これはがんばり過ぎってやつだ。少なからず、他人のために過ごしすぎた。こんなに疲弊してるのは
間違ってる!絶対間違ってる!!

そうなると、人は、思考を止めますね。
ちゃんと止まるんです。
それでいいんです。進まないでいいんですよ、そういうとき。
ちゃんと、止まる事。

次にやることは、休む事。
休む事にします。よくがんばりました。文句なんか言わせません。言ってみやがれこの野郎!!!!!
そう言い張っちゃいますよ、もう。リフレッシュしたら、再登場いたします。しばし、撃沈。南無ー