作成日: 10/07/31  
修正日: 20/01/29  

近況

なんにもない、ということに潜むものの報告




夏なので暑いのはまあ当たり前なんです。雲が空一面に広がってて、どんより雲模様な今くらいは、せめて
涼しくなってくれないものかと期待しますが、「なんちゃってサウナ」級に暑い。暑い上に蒸してる。
蒸し暑い。ああけしからん。けしからんですよ、夏の暑さってやつは。んもう。

エアコンつけてると寒くなって来て、止めるとむしむししてくる、そんな繰り返しのこの夏ですが
「いい加減」の温度になかなかとだりつけないもんですね。「夏は暑いのは当たり前!!」と
凛としていたいものですが、今年のは我慢してると簡単に健康が「ポッキリ」と折れてしまいかねない
凄みを感じます。「我慢?あー、いや、しないしない。いや、だって絶対無理じゃん」と早々に白旗を
掲げる次第。

最近のエッセイと昔のエッセイを見比べてみると、このごろはあまり冒険をしていないように読んでて
感じる。おや、ながやさん、ずいぶんしょぼくれて、とも受け取れる。うん。まぁ、それで。
派手に何かになってないと「なにもしていない」気がしたり、なんにもしてないような気になるときも
確かにあるけれど,「なんにもしてない」ことはない。まずなにかしてる。まずなにかしてても
赤裸々にネットに示す訳じゃないのがデフォルトなので、正味な話、直接会って話すまで、話さない話の方が
昔より増えてるんじゃないのかなあ、と感じます。これは私個人の話ではなく、人と会うたびにそう感じます。

なにかしていないと、なにもしていないような感じがして、慌てだす、ということが私の性格にあり、
突然仲間に怒りだしたり、没入できるものを探し始めたりすることがある。根っこには「なにか結果を
出さなくては」という切迫があるから、たとえなにか達成したにしても、うれしいより先にホッとした、
なんてな事も多い。

それは「楽しめていない」ことでもあるから、もったいない。
よくよく見ると「なにもしていない」なんてことはない。
昨日今日なんてあんまり暑くって自室にこもり、エアコンつけて、ごろんごろんしている。
ごろんごろんに疲れたら、生活必需品を買いに行ったりする。あーもったいねーって思いつつ、
何もしていないかと言えば「DVDのプリントを20枚くらい印刷する」「アリエッティを見に行った」
など結構動いているのである。洗濯もしてるし、冷たいお茶の準備、自炊とこまごまとこなしてる。
本も紀伊国屋で3冊買ってるし、今これを打つまでだって,黙々と読んでる。
こうした「けっこういろいろやってる」は成果としてカウントしにくいせいか、無駄に日々を浪費してると
自分へ叱責することが前提のようなきつさが、知らず知らずのうちに傷つけてることがある。

自分を傷つけるのは自分ほど上手な人はいない。弱点を知り尽くしてるし、何を隠したかも覚えてるし
役立たずだと思い込めるのは「その人が自分に許した分だけ」しか思い込めない。他者からの罵りや
叱責なんてものは所詮自分の方が「馬鹿馬鹿しい」と一笑にふせれば、なんてことはないのだ。
他人に言われて「そうだな・・いわれてみれば」って件だけが、自分を傷つけられる。自分次第。

そう思うと「なんにもしてない、ってことはないよな」とまず考えることにしてる。
「なにかはしてる」それが有益とは限らないけれど、少なくとも「自分はそれがしたい」をしてることの
積み重ねで一日過ごしてる。たとえ仕事であったとしても、それは自分が「どーーーーーーーーしても行きません」
なる決意ができれば、行かないのが人だもの。やはりしたい仕事をしているんだと思う。このごろは特に
どれこれをしなさい、と命令される訳ではないのでいよいよ「要るもの」を見越して淡々と動くことも
増えて来た。

なにかしてれば、いいかというと、人間そうもいかない。
要る事をやってるだけでも、やはり人はどこか傷つくのだ。
「こんなはずじゃないのに」とかしみったれたことを振り返ろうとする。
できなかったこと、間に合わなかった事を探し出して来ては「はぁ~~~」とため息を「つきたがってる」感じが
するのだ。これが実に生産的じゃなくてね、なんにもなんないのよ、この思考って。
でも心許すと、すぐにこうした「しまりのない、脈絡のない、がっかりしたがり」が人には出てくるように
仕上がっているようだ。やれてることはやってるし、やれなかった事、間に合わなかった事なんてのは
そもそも思い悩むものではない。次回にまわせばいいのだ。思いのほか、こうしたとりとめのない
「自信のなさ」に心を蝕まれる人が世の中にたくさんいる。

常々自信満々でいる必要はないし、確固として続けるような自信なんてのは他人に取っては無作法で無遠慮なものだから
「人には迷惑をかけませんでした。今日も一日ありがとう」くらいをボーダーに生きればいいことなのだ。

先に挙げた「このごろなにもしていない」はやはり不正確だった。なにかするには、バネに力をためる必要がある。
ビヨーンってバネが仕事をするために、日々ためなくちゃならないものも変わってくる。少なくともそれをはじめては
いるし、少しづつ、我慢をする回数や品目が増えてはきてる。やっかいなのは今てがけてることが、私自身が心底
求めてるものに至るのかどうかに、迷いが生じてること。つい目先の葛藤にやきもきしたがってる自分の器の小ささが
気にかかる。

なんにもしてない、とも言えるし、なにも起こらなくてよかった、という最中でもある。でもホントは
なにかはしてます、とも言える。ネット上で言うか言わないか、言えるか言えないかを勘定に入れると
ネット上では「なかったこと」に入るんだなあ。自分の事でそう考えると、ずいぶんネットというのは
「自分の都合」の方で出るもの出ないものがバイアスかかってるよねえ。みんなが一斉に似通った発信で
あるのなら、いよいよネット世界の片手落ちに汲々としてる場合じゃありませんよって気分になってきますねえ。
もっと人に会わなくちゃ。話をしなくちゃ。