作成日: 10/08/01  
修正日: 20/01/29  

アリエッティみました

ジブリ映画「借りぐらしのアリエッティ」




スっとしますね。猛暑続くこのごろだというのに、映画館でこの作品を見たら、スッと汗がひきまして、
背筋がピンとしました。音楽も動きも実に綺麗な作品でした。
内容について語っても意味をなさないので、自分にどう役だったか書いてみます。
ジブリというパソコンがあるとしたら、ジブリにはちゃんとOSがありますね。
ジブリOSとでも呼称しましょうか。監督がどなたが入っても、そのOSからはみ出さない
約束事をきちんと守り、その公開された夏というひとつの季節を「もたせる」だけの
魅力を発散し続けてくれる。毎回夏に「公開」されジブリ映画は、すっと涼しい気持ちにさせてくれる。

宮﨑監督自身の放つ「アクの強さ」やカタルシスはないかもしれないけれど、アリエッティのみせる
しぐさや姿勢、動きはジブリ独特の香りに満ちてる。そしてその宮﨑作品でないがゆえの軽さは
軽妙さとも映り、けっして悪いものでもない。

かつて「まんが映画」だったアニメーションは、とっくに「映画」扱いされて自然体であることこそ
うれしいこと。日本を舞台にして、「アリエッティ」という名の子が生きていられて、違和感がないことに
できていることが、日本のアニメの持つ独特の「無国籍感」の力量を感じました。
ポスターだけ見たら、外国舞台の映画だと思いますもの。

地元の一番の繁華街が「コスプレサミット」を開催してる地域柄もあるんですけど、その割に
「うっとこの町はこれが素敵!」と言い張らない気風・風土がありまして、「どこまでも言い張らない」ことに
きっとなにがしかの訳すらある、とにらみつつあります。このどこか東京大阪に似通わない「主張のなさ」の
あり方が、なんとなく日本のアニメに通じてる感じがします。

ほとんど日本の地方都市というのは「うっとこの町はこれが一番!」をあまり主張していないのが
デフォルトだと思うんです。主張べたとか言いたい事がない、とかいうんじゃなしに
「分かる人だけ分かっておるならそれでいい」というような気風であって、基本的に職人気質なのでは
ないか、と思うんです。

アリエッティの気持ち良さは「どこに所属してる」という「世間VS世間」になりがちな日本ドラマ独特の
「肩書き対決」「所属部署対決」みたいな「しばり」のなさに起因してるんじゃないかしら、とも思います。
日本を舞台にして、「アリエッティ」と外国名の家族がいて、「なぜ?」ではなく「それはそうなもんで」
以上の説明もなく、見てる側もそれをそうとして受け取り、ひっかかりもしないでいられる「帰属感覚の
薄さ」のようなものが、世界的には非難の的なのかもしれないけれど、日本人として、アニメに触れていられて
よかったなーって感じがするんです。

外国のどこかで、外国人として生まれ育って、家族の所属してる宗教宗派に属した視線から、「ニッポン」なる
国から輸入された「アリエッティ」を見たときには、今日見た「無所属がゆえの感覚」からスタートして
みることができたかなあ、とも思うのです。
もちろん日本人という所属意識はあります。バイアスがかかってアニメを見てもいるでしょう。
うーん、なんていうんでしょう。外国の方たちほどキョーレツな帰属意識を根幹に置かないでも
済ませられる生き方が前提である幸せ、とでもいうのかなあ。「自分はどこそこの誰それ」を
名乗らないでも、意識しないでも済む幸せ、っていうのかなあ。

田舎から都会・都市に出てしまった若者が感じる「自由度」は、「自分が育ち生きて来た所属が変わった」という
無頼というか、解放というか、「どこそこの誰子ちゃん」という常に近所の誰かから「気づかれる」生活にはじまり、
都会に出た事で、どこの誰だか分かんない人、「無所属感」ゆえの奔放さが、自分を「無色」に感じさせてくれる
ご破算ぶりに酔えるってことなんでしょう。
「今までなんやかんやあったけど、チャラね。はい、リスタート!」という都合の良さがある。

ジブリのアニメって「ジブリアニメで外国世界を見る」目であったものが、年々「日本寄りの見え方で
世界を解釈できる」ところに近づいて来た感じがする。それは見手(見る側)の客層がどんどん外国に
広がって来たときに、かつてのハリウッド映画ばりに「世界の解釈の仕方」を映画を通じて見せつけて
きたものを、日本はアニメがそれをにない、それを「日本独特の無国籍ぶり」としてうまくマッチしていってる
感じがする。日本人は外国人に比べて、こだわりがないわけではないし、主張がないわけでもない。
あるけど「察しといて」以上の要求を他者に求めない呼吸なんだろう。それを言葉以上に作品が雄弁に語ってる。
そしてなんだか世界に愛されて来てる。それはアメリカ映画が「フリーダム!」を叫びつつ、人種問題から
キャスティングにまんべんなくちりばめられた「多人種」構成を正しいが故に続けねばならない不自然さを
醸しちゃってる作品ばかりになってる「ホントは不自由さ」が、日本のアニメには制約すら予感できない。

日本のジブリだからこそ作っていて自然である作品を、自然体で見られる奔放さに感謝する夏でした。
世間は猛暑・水害・不況などといろいろ大変だけれど,ジブリの作ってくれた新作映画が夏に見れるって
ことだけでも、幸せなことだよねえ。

髪をおろしたアリエッティが自然と綺麗に見えるのは、ジブリアニメの長年培って来た技量だと思う。