作成日: 10/09/16  
修正日: 10/09/16  

なんでもあるよ

ほとんど有料でね!


世間的にも激しく不況ってんでもうほんと大変よ。ほんとほんと。
喰えない、住めないほどの苦しさじゃないけれど、裸足で過ごしたり,服がないよーってほどの
事態ではないけれど、「衣食住だけが足りてるだけなんです」という心根の貧乏ぶりってものも
世の中にはあると思う。で、おおむねのひとはそこにひもじさを感じてるんじゃないだろうか。

ぼーっとしてても、ツイと手に取れるところにインターネットがある。
ケータイもメールやネットができる。買い物だってできる。アマゾンで地元の店にないものを買えるし
動画で自分の町の天気を見たりもできる。その気になればブログでもホームページでも、世界に発信する
ことなんてのも、ネット環境まである人にとっては可能なのだ。

そうした揃ってそこにあるインフラに、面白いくらい「当たり前」で済ましてしまう、慣れてしまう自分たちが
「楽しく過ごす事」をドンドコ忘れていってしまうのは,ドーユー「カラクリ」なんでしょう。
電気もあって、水道も通ってて、寝るところもある、のは「トーゼン」ではなく、ものすごく複数の努力が
実ったものであるのに、いったい何に追われてこうも閉塞感を好き好んで味わっているんだろう。

かつての偉人・・・そうだなぁ、じゃあ「坂本龍馬」にしよか。「徳川家康」でもいいや。
誰もが知ってる日本の向きを変えた「大偉人」の誰一人だって「水道」のある生活も、
「電気」のある生活もしてないわけで、「ケータイ」「ネット」ひとつとったって、現代人の一般人一人の
持つインフラを想像すらできないわけじゃない?新幹線で東京ー大阪間を3時間くらいでピューなんて
ことが「当たり前」だなんていう時代はすごいと思うのよ。偉人さんはなにひとつとして味わえないんだよ。
すごいことじゃん。ねー。

なんでもあるけどさ、なんでもあるんだけど、欲しいと思うものは有料なんだよね。お金の話。
このお金のあるなしで、「できる・できない」の分岐があるわけだけど、このごろは自分のご両親が亡くなっても
その年金まで使ってしまう子息のいる時代な訳で、そこまで「自分の可能性」をつきつめちゃえる行動がとれてしまうのが
もう、なんか、おかしくって。

なんでもあるのに、有益なものはほとんどが有料で、それは一面当然なんだけれど、それって、正確には
「なんでもあり」ではないんだよね。発展途上国の子が、お金がなくって薬が買えなくて、水が飲めなくて
「死んでる」を選ばなくちゃならないってところにあるほど、お金ってものが生死をわけるものだよね。
だから殺人をしてまでお金お金ってなってる。お金がなくって、死ぬ事があるんだよ。
生きる・死ぬってことにお金の有無がリンクしてることがあるわけです。「お金がなくたって生きていける」と
おっしゃる人もいるだろうけれど、「お金がないので死にそう」って人にはそれは言えないでしょう?
お金は馬鹿にできない。無視もできない。ないがしろにはできない。大事な事。とても大事な事。
でもそれを「怖れて」過ごす事、これは、なんか、嫌なんだ。

インターネットの嫌なところは「見つけたいもの」にたどり着けても、「目の前にぶら下げられる」だけで、
「見るだけー」にさらされる回数を増やされてる感じがする。どんどん知っとけ、どんどん見て聞いてしておけ、と
突き進んだ挙げ句、「ただ、渇く」回数が増えてる。その渇きを癒すには「お金」のかかる仕組みになってる。

「知ってるもののほとんどは、知ってるだけで終わりましたとさ,オシマイ。」と現代人の物語は締めくくられるのでは
ないでしょうか。
足るを知る、という言葉もあるじゃない。そういうソフトランディングを促してくれるものって少ない。
「若さ」「おいしさ」「かっこよさ」「健康」「美しさ」「セクシャル」・・・渇くわなあ。渇くもの
ばっかりで心根がくたびれちゃうわなあ。くたびれちゃう仕組み、満載だわなあ。くたびれるわけよ。
くたびれるものでかこまれてるんだから。なんの防備もなし、日々を過ごしてると、心がひどい目にあうよ。
かといって、常々備えのいる生き方ってのも、消耗戦なんだよなあ。

なんでもある、がイコールいいもの、というのも思えばバカらしいね。選べる楽しさはあるだろうけれど、
「ないよりはマシだから」くらいの浅いスタートラインではじまる手合いのものに、人はずいぶんと手間ひまかけて
しまってるんじゃなかろうか。術中にはまってる感じがする。「分かってるんだよ,知ってるんだよ」といいながら
術中から出方が分かんなくなってる。

水道ひねったら飲める水が出て、スイッチ押したら部屋の明かりが点く、これだって有料。
まずこれに感謝しなくちゃね。自力じゃできやしないんだから。上下水の処理をしてくれる公の機関があって、
水道管がにゅーって伸びてて、家に備えつけの蛇口があるから、水が出る。ボイラーがあってくれれば
お湯にもなる。マジック!
中東から自分に成り代わって石油をタンカーで運んで来てくれる人がいて、ぼんぼん燃やして発電してくれる
人がいて、自分の部屋まで電線引いてくれる人がいるから、テレビもラジオもネットも明かりも楽しめる。
ありがたいありがたい。これで気持ちが済まないってのが、腹立たしい。

「便利」って言葉であんまり振り回さないでください。多少不便でも、平静な心持ちで過ごしたいのです。
気づいたら、渇いてた、みたいな生き方に巻き込まれるのは迷惑です。暴力です。

あれこれ書いてみたら、散文みたいです。あらあら。根底には怒りがあるな、これは。