作成日: 10/10/31  
修正日: 10/10/31  

いらっしゃいな感じ

人を見よう


町を自転車で走ってて気づいた。小学生の男の子は携帯サイズの2画面ゲーム機をみながら
歩道を歩いてた。OL風の20代とおぼしき女性は携帯を見つめて歩いてた。
ゲーム機もケータイも使ってなかったのは、50代以降であろうおじさん、おばさんだけなんだなって
改めて知りました。

「ただ、歩いてるだけ」ってのが辛抱できなくなっちゃってるんだな、って。
何か読んだり、なにか見たり、なにか聞いたりして「移動時間」をつぶすのが習慣になっちゃってる。
その時間を「ぼんやり考える」とか「なんにも考えない」ってことそのものが難しくなってきてる
世代が普通のようなのだ。

私が今住んでる町はおじいさんおばあさんが町の路地で喋ってたり、植物を愛でたりする様子が
多くって、ほっとする。人間の普通の営みが、普通のスピードで流れてる。それは部外者のような
人がフイにそこの生活に入って来ても「受け止めてくれる」予感のする暖かみがある。
表題にある「いらっしゃいな感じ」がするのだ。たとえ知らない相手でも。

一方で歩きながらケータイ、ゲーム、ヘッドフォンをしてる人たちには「他者無用」な、心の
シャットアウトを真っ先に感じる。目の前で人が転んでも、怪我しても、どこが「関与無用」な
殺伐を予感しちゃうのだ。「できれば放っておいてください」という一人称。
こういう人が多いと、群衆であっても「一斉に一人ぼっち共」という風景に見えてくる。
つまり、人間として、さみしい風景に映る。本人がどう思ってもね。