作成日: 10/12/09  
修正日: 10/12/09  

先行投資か、先食いなのか

やってる本人は精一杯なだけ


今年は最初っから自分の手に負いきれないような事の連続だった。ここ数年はずっとそんなことの
連続だから、今更のたまうほどのことじゃないんだろうけど、今年のは「何年も培ってきた」
ものまで、ごっそり失ったりもしてるから、無力感が強い。

失う事ばかりが続くと、新しい事に挑む気力が萎える。
おびえる、とかいうより先に、モチベーションが上がらなくなってしまう。
それは「どうせ」って考える心が作る。

事実、新しいものもいくつか育んでもこれた。
それがどう育つのかもわかんないまま、自分なりには大事にしてるんだけど、それが自分にとって
本当に必須なもので、喜べるものなのかも、疑ってる節がある。

迷ってたって、世の中は進んでいくもので、ひとつひとつの検証に時間をかけられない。
決断ばかりが先にきて、決断するたびに、自分の中の「持ち出し」が増え、疲弊していく。
持ち直せるだけの分だけ出すのが本来だろうに、心のどこかで「先行投資」と割り切ろうと
したがる弱さが、自分なんだと分かる。

余力がないと怪我をしやすくなる。
すっきりとした身辺というのは、「空(から)」に似ている。
いつでも、どうとでも動き出せるというのは、誰でもできるものではない。

漠然とした不安を相手に「怖いんです、駄目なんです、嫌なんです」と百回千回叫んだところで
自分のしてる「妄想」を暴露してるだけであって、実際に「不安」なんてものは存在していない。

運の良さってものは信じない。
頭の良さってものは怪我しやすい。
考えのない行動は無駄なものも呼び込む。
なにやったっていいけれど、自分に全部跳ね返るってのは、本当。

自分の身の回りに起こる事を観て、結果を怒るだなんて馬鹿みたいだ。
招いてるんだ。自分に起こる事は、自分が種をまいてる。

どんな種を蒔くのかを決めて、やることはできる。
それが思い通りじゃなくても、いい。
結果は全部自分のもの。おなかの底に、どすんと落として、洋々といていればいい。