作成日: 11/01/13  
修正日: 11/01/13  

通勤時間の車いすの人

思いやりはどこにでも発揮できる


朝の通勤ラッシュは地方の拠点都市でも混み合う。人は列をなし、寒い冬などは温かくなってる
椅子に座りたい人たちが、列車の到着ごとに、少々殺気立って降車のお客さんを待たずに
入り込んでいく。移動時間に1時間くらいかかるとすれば、「1時間立ってるか」「1時間座ってるか」は
その日一日の出だしを決める雰囲気の差、くらいにはなるんです。

通勤電車というのは、おおむねどこの車両に乗ったらプラットフォームのどこいらへんに着くかが
分かってるものですから、乗り換えなんてある場合、毎回駅の何番の印に立てばいいかというのが
決めてあったりする。

それは複数の人が同じ事をしてるので、毎朝同じ人が同じ時刻に、同じ場所に立ったり降りたりする。
川の流れは絶えずして・・じゃないけれど、毎日毎日これだけの数の人が、よく通勤してるよなあ、と
並ぶ順番こそ違え、似たような顔並びできちんと2列になって並んで待ってる。

そんな中,毎回同じ順番の人がいる。
私が乗換駅で降車すると、その人はいつも列の最後尾に少し間を空けて居る。車いすの男性で静かに
最後尾に並んでる。
駅に着いた順番が毎日最後だからそこに位置してるとは思えない。だって毎日。
毎日最後尾に、少し間を空けて並んでる。

ラッシュの時間に乗るのに、ただでさえぎゅうぎゅう詰めの車両に乗るのを遠慮してるように見受けた。

思えば車いすで電車に乗る人で列に並んでいるという風景というのもみた事がなかった。
大きな駅にはエレベーターがついているから、プラットフォームに移動して乗る事は以前より便利になったと
思う。

サラリーマンは少しでも列の先に並んで座れるものなら座ろうと汲々としてる最中,
そうした思惑と別に、車いすの人が、座りたい、早く乗り込みたい人に順番を譲り、最後尾で並んでいる。

車いすの人の方が、健常者に配慮してる、という風景に私には見える。
本当は並んでしまっていいのに、通勤時間の、人々の心がはやる時刻の最中で、穏やかに、毎日最後尾で
並んでくれてるその人に、なんといいますか、頭が下がる思いがします。

立てないというハンデキャップに気を使おう、とかいうスローガンめいた言葉では何か死んでしまうニュアンスが
あるし、そういう考え方は嫌い。そうじゃなくて,車いすの人の方が気を使う世の中なんだなあと毎朝
見つけてしまう。その人がいい人かどうかなんていうのもさておいて、最後尾に位置してる事が
現状では一番円満に事が進むんですよ、と車いすの人にも列に並んでる人にも「暗に」言われてる感じがして
「そうなのかな」
そういう違和感を感じます。
車いすを使ってる人だって車いすに乗ってる人なだけで、普通の人の感性でいるんだから、「毎日最後尾」という
特別扱いは嫌なんじゃないかな。こういうのって、もっとスマートにできないもんかな。
一人の人、で済む方法ってないのかなって思う。

電車に乗ってて、このごろは携帯も平気でかけてる人はいるし、友達と部室にいるくらい「いつも通り」の大声で
喋る学生もいる。オッサン連中は仕事の話を大声でしてるし、音楽をイヤホンでなく、スピーカーで聴き始める
外人、ケーキ、ジュースを飲み食いし始める外人さんもいる。
自分勝手なのは人間だもの。起こりうることだし、お互い許せるところまでは許し合っていいと思う。
少々のイレギュラーなことは人間だから許す事もできるけれど、車いすの人の順番は、なんとか改善できる方法
ないかなって毎朝思う。
遠慮すべき人が遠慮をせず、配慮されるべき人が大きく遠慮してくれているこの風景が、どこかさみしくもあるんだけど、
心根の持ち方を「どっちがいい?」って言われてるような気がして、しゃんとしなくちゃと思うのでした。

言葉をかけるでなく、行動に凛としたものが出してる訳でもない私が、こんなエッセイで、こんなに地味に
告白してもなんなんですが,毎朝ありがとう。あなたに励まされてます。