作成日: 11/03/21  
修正日: 11/03/21  

普通を取り戻す挑戦

地震


「頑張って」「元気を出して」
地震の報道で、言葉に迷ってられないときに、とっさに短く伝えられる言葉は
上の二つだと思う。思ってる事はもっと別の何かであっても、出て来れる言葉はこれくらい。

ふたつとも「普通」の生活をしてる人の言葉なんじゃないだろうかと感じるんです。
普通に過ごしてる上で、踏ん張りを利かせられるスタミナが残ってるときに言える言葉。

「まず『普通』になりたい」のが弱ったり、困ったりしてる人だろう。
水が飲めて、ご飯が食べられて、風がさえぎれて,雨がしのげて、会いたい家族に会える、ってだけが
「手に入らない」というのに、そこへ「頑張って」「元気を出して」という言葉が入ってきたら、
どう応じたらいいんだろう。
相手の善意は分かる。無下にはできない。元気にもなりたい。頑張りたい。でもまず先に
「普通」になりたいだけで、十分「贅沢」を思ってる気がしてきてる人がいるのだ。

今回の地震で「人に会いたい」だけが、どんなに恋しく、どんなにもろく、どんなにはかなく、
どんなに難しいものになってしまうのか、分かる気がした。
電話よりもご飯よりも「会いたい」だけが大きく膨らむ時がある。

頑張らないでもいいし、元気を出さなくてもいいから、「普通」ってまでたどり着こう。
それをすでに持ってる人たちは、それが輝いて見える人たちの目線を気づきにくい。
普通、を手に入れるのは案外難しい。当たり前でしょ、って顔つきをされる。
でもね、「普通」って「当たり前」じゃなくって、誰か彼かが一緒になって用意してきてくれた
ものなんだよね。
「電気」が「普通」に来なくなったときに、「普通」であることがどんなにいいものか分かったし,
「普通」の維持に、なにが関わってきてるのかも見えたように思います。

「普通」が用意できなくなったとき、「普通」って難しいと分かる。
「普通」が手に入らなくなったとき、「普通」が無性に恋しくなる。
「普通」にしてて、「ありがたい」って思える事は、こうした気持ちがなくちゃできない。

人に、ちょっと、会う、ってだけの嬉しさを、大切にしなくちゃ。
会っていられるだけで、嬉しいって思えることを、「すごいこと」に思わなくちゃね。