作成日: 11/03/25  
修正日: 11/03/25  

いつも通りだなんて、考えない

新しい自分


「安全を買う時代がくる」と懇意にしている人から話を聞いてたときには、ああ、そんなもん
なのかなあってくらいに思ってた。

地震のあと、水が、食べ物が,住まいが、安全なものじゃなくなる印象になることが増えた。
日本の映像なのかと疑うような「がれき」のさなかで、「停電」の起こる日本を想像できただろうか。
多くの企業が言ってるように「想定外」だったのだろう。
それは想定したくない規模だった。地震、津波の話。

自然が相手だから、なんでも起こる、と思うほかない。
想定外ばかりである、という姿勢で向かうしかないのかもしれない。

震災からもうすぐ二週間経つのに、食べ物は未だ届かず、建物の下にいる人もいるさなか、
気持ちはどんどん怒りと虚無感に向かっている。
ウンチクなんてどーでもいいんだ。とにかく「生きられる」ところにまでたどり着くサバイバル
なんだ。

「元通り」とか考えなくていい。「生き残る」「生き残れる」のなら、まずそれでいい。
かつて、知ってた「生活」は今は横にそっと置いておく。思い出せば悲しくなるし,嫌になる。
元気な時ならそれでもいいけれど,今はサバイバルの時。生き残る事。

比べちゃう気持ちが生まれるとは思う。
「被災してない地域がある」「そこでは普通の生活をしてる人がいる」
そうかもしれない。

でもその考え方では、自分を傷つける回数を増やしてしまう。
自分を一番上手に傷つけられるのは自分なんだ。
比べる事なんか、後回し。今、手に入ることに専心しよう。
自分をがっかりさせるベクトルに力を貸しちゃいがちなんだけど、今はそれをやめよう。
そんな体力は使えない。

被災されている方々は、他の誰とも比べたりする余裕なんかきっとないと思う。
少しゆとりができてくると、そうした隙間に「よそではきっと・・・」って考えちゃうことが
でてくるかもしれない。

大丈夫、という言葉は、きっと空虚に映ると思う。
大丈夫じゃないかもしれない。

生き残るってことで、得た力や「見え方」は必ずあなたの
力になる。それを経由した人でないと合点できない力になる。その言葉にならない力を
今回被災してしまった人たちは、一斉に体に蓄えてる。これが役に立たないはずがない。
これがソコジカラになった人は、「負けない」なんてもんじゃなく、「負けてらんない」人に
たどりつく。

安易な励ましや、長続きしない安普請な援助もあるかもしれないけれど、そこに怒ってしまうよりも
自分が体験した「心底怖いということ」「寝る、食べる、過ごすってだけが幸せなこと」
「ただ、家族といる事」「ただ、友達と一緒な事」のすごみを、あなたたちは分かってる。
それが「普通」とか「いつも通り」じゃなかったって、分かると思う。
いろんな人が一斉に工夫して、我慢して、時間をかけて用意してきてくれたものの上に成り立ってた
ものすごく大きな、連続したものだったんだと、被災した人こそ、身にしみて分かってる。

当たり前なんかじゃなかった。
ずーっとそうだった。
ずーっと当たり前なんかじゃなかったんだ。

なくなって、途絶えて、息が詰まるようにそれが分かる。
叩き込まれるように「わかったか!」とねじ込まれるように分かる。

その多くの人の工夫や努力や時間を割いてできていた土台が流れてしまった。
人とのつながりもそう、町もそう。天災は本当にむごいことをする。

今は「いつも通り」を憧れるのをよしておこう。
「元通り」とか「いつも通り」「みんなみたいに」は、あなたをいくらか傷つけてしまう。

忘れる、ってことじゃないよ。忘れろっていってるんでもないよ。
覚えておくしかないことが、言葉にならないくらい悔しいけれど、ぼろんぼろんの傷だらけの
自分があってこそ生きるものが、人生にはある。本当だよ。あるんだ。あるんだよ。

大丈夫じゃないだろう。元通りでもないだろう。それはそれ、なんだ。
生き残れば、必ず、力になるものがあります。今は、生き抜いて欲しい。