作成日: 11/03/29  
修正日: 11/03/29  

メーカーが駄目って言ったってあきらめないモン!

アップルとキヤノンとU&J Mac'sとYCS大阪


今年に入っていろんなものが一斉に壊れ始めた。電化製品も動かなくなるし,腕時計のチェーンも切れるし,
物理的なものも電気基盤的不調ももりもりな昨今なのです。

数年前に電気系統周りの部品が破損した我がMacintoshG4ノートってのも、そのHDに入ってるホームページ情報や
各種ソフト(今となってはOS9世代の遺産)が使い勝手が良かったために、捨てるのが惜しくて「いつか
内部情報をサルベージしてあげるからね」と温存してきたのであります。
アップルに修理に出したら「交換部品がないので修理できません」と戻ってきた機種なのです。
メーカーも古い機種の交換部品を温存しておく期間を設けていて、永遠に使える機種なんてのはもうこの世に
ないんじゃないかしら、とか思います。

ある日、ふとネットしながら「そういやメーカーには断られたけれど,サードパーティで直してくれるような
お店があるんじゃないかしら?」と思い立ち、調べてみると、けっこうあるんですね。
おおおお、じゃあ、じゃあ、もしかして直るの?直っちゃうの?と夜中にアドレナリンがじゅわじゅわ出だし、
ひとつ気になってたショップに「直るもんでしょうか~」とメールを送ってみました。

間もなく、送ってみてくださいとの段取りにまで至り,ほくほくしてあきらめてたMacintoshG4を箱ごと
郵送しました。するとメーカーの言う電源周りだけでなく,液晶も他界していた事が判明。とはいえ古い機種ですから
交換部品の心配をしてると、そのショップさんは中古販売も扱っていて,G4のストックがあるとおっしゃるのです。
その名はU&J Mac'sさん(http://www.ujmacs.co.jp/)。東京のお店で、関西弁の店長さんがわざわざ症状の
詳細を教えていただき,修理方法の相談をしてくれました。

MacintoshG4ノート・チタニウムはOS9もOSX(10.3くらいで息も絶え絶えですが)も立ち上がる
頼もしいコンチクショーなので愛おしいのです。OS9が「クラシック環境」などと呼ばずに、
OS9じゃい!と悪たれな感じでナチュラルに立ち上がってくれる、ギリギリの機種なのです。
エアマックも使えますし,文句ないのです。それが直っちゃう可能性が、メーカー側ではなく、
修理屋さんの手によって生まれ,よみがえりつつあったのです。

さっそくU&J Mac’sさんに直して直してとお返事したら、すぐ直っちゃいました。
それこそ、HPのフォームから修理依頼をして二週間かからないうちに、直ったMacintoshG4ノートが
手元にありました。
ボーゼンとしましたよ。HD抜き取って、ソフトとメールくらいサルベージできればいいやって思ってたはずが、
機種まるまる直っちゃったのですから。そして「メーカーさんに修理を断られる」という
ショックの大きかった事も自覚できました。
当初は「メーカーもそうそう古い在庫は確保してらんないわなー」とか思おうとしてましたが、いざこうして
「直っちゃう」のを目の当たりにしたら、「メーカーって作りっぱなし、売りっぱなしなのかなあ」という
気持ちの方が強くなりました。少なくともメーカーさんよりも、U&J Mac’sさんの方が「マック
好きなんだなあ」の感を強くしました。

この件が私に、なにかいい知れない勇気(?)を与えまして「Macintoshが直るんならレンズも直る!」という
確信を持ちまして、前年度末に他界してたキヤノンのレンズEF28-70mm F2.8Lも直せるんじゃないかしら?と
発奮。ネットでYCS大阪さん(http://www.ycs-1964.com/)を発見し、メールで伺ってみますと、一旦見てみますので
送ってください、とのこと。

そもそもこの修理したいレンズも、去年末に「なんかオカシイ」と弟に貸してたレンズの不調を訴えるので
「そんなことあるかい」とのぞいてみると,フォグフィルターみたいに白っぽく白濁してる。
ムムム、これはいかんと銀座で中古カメラ屋さんに入ってる友人に指南をいただくと,「空気を出し入れ
してあげるとそのうちよくなることもあるカモー」というので、こまめにズームリングをぎゅんぎゅん
動かして空気循環させてはみた2週間でしたが、改善せず。
レンズ内後ろ玉に水カビのようなものが見える。ああ、そこに見える、見えてる。拭くだけでいいのにぃ、と
あきらめきれない気持ちが大きくなります。

ネット上で「分解清掃」してる人はいないのか、と調べますと,たしかにいらっしゃいました。
それには見た事も聞いた事もないアイテムや道具がいる上、「最終調整」の技量も要るんだとなっており、
分解は断念。

あてにしているキヤノンQRセンターへの直接持ち込みでは、窓口で「交換部品がなくって直せない」と
到着後15分で大負けのゴングが鳴り響く始末。「直せないんですか?」を連呼しちゃいまして、キヤノンさんには
ご迷惑おかけする始末。始末に悪い始末です。ああ、おおお。

そうそういつまでも泣き顔で、レンズで空気入れ替えぎゅんぎゅんばかりもしてられないので、YCS大阪さんに
委ねてみました。症状の原因がバルサムという接着剤の劣化であり、これの張り直しで直る事が分かり,
お願い申し上げました。

初メールから修理完了までの数工程ごとに「今はこういう状態です。どうしますか?」と丁寧なやりとりを
させていただき、進捗具合は安心して分かりました。おおむね3週間でレンズは見事復活して手元に戻って
きたのです。
そして「メーカーさんに修理を断られる」というショックが今回もあったのです。

メーカーさんは昔気質の「俺が死ぬまでは直すからね」とは違うものなんですよね。
もの作りって、こういうものなんだなあ、で終わらせなくちゃいけないんですかねえ。

行きつけの床屋さんでこの事を話題にしてたら「メーカーも売らんといかんでねえ、しょうがないだわ」と
笑っておっしゃっていました。そーかもなーと思いつつ、メーカー以上に商品に思い入れて修理という
手だてを経てくれるショップや職人さんに、今回実に気持ち良く頭を下げられた心持ちになりました。

厳密に言えば、メーカーは修理が「できる」んだと思います。
今は、まだ、直せる・・・・・んだけど、もう断っておくね、というタイミングでの私の修理だったと
思うんです。ホントに修理部品のストックがない、としても、実はあったとしても、企業として
「断る」ことなんだとは理解できます。
企業、というのはこういうものです。無理もありません。

心情としては飲めないんですよね。愛着を持って使ってきてる機械を「買い直す」のは気が引けます。
じゃあ丁寧に使えよ、ってことですよね。実際私のレンズの扱いも,Macintoshの扱いも実にラフです。
道具なんですから丁寧さよりも、その時々のパッションあふれる気概を写し取るための機械であるという
心情を優先させちゃうのでした。するとおっつけ使ってる機械は傷だらけになります。
実際MacintoshG4は修理前よりも「綺麗な筐体」となって戻ってきました。中古品と部品交換したのに、
前より美しくなって帰ってきたのです。うれしかったと同時に「ああ、俺、雑!」とも思いました。

アップルもキヤノンも使い手に思い入れさせる機械を作ってるんだなぁとも思います。
それだけに、他のメーカーさんと同じ「修理というもののあしらい」が同じだと、少々しょんぼりしちゃうのです。
(いや、アップルはずっとそうですね。切り捨てを思い切る企業体質ですもんね)
(キヤノンさんのQRセンターというのは実に素晴らしい仕組みです。私は支持できます。良い仕組みです)

メーカーさんに修理を断られるとき、一瞬にして愛着のあった機械は「ゴミ」になってしまうか、
オブジェとして飾りになるかのどちらかです。
そこに第3の選択肢で「直して使い続ける」という魔法の粉をまぶしてくれるのは、職人さんたちでした。
使い手は壊れる瞬間まで「ずーっと使い続ける」前提でそのマシンに触れてますから、壊れた直後だって
まだ「使い続けるはず」の延長上に心が乗っかったままなのです。
そこにメーカーの「お断り」が射し込んでくると「貴方の企業が作った商品が、私をここまで心地よく
させちゃったというのに、そのはしごを貴方が外すとおっしゃるのですか!!」とやや丁寧目な怒りがこみ上げてきます。
そのメーカーが私の中に作り上げてくれた「コンピュータの楽しみ」も「写真世界の喜び」も
メーカーが踏みつぶしてくるような印象を持ちました。

ああ、これを「仕方がない」というのは自然なのです。とがめようと言うのではないのです。
ただ、せめてメーカーの作った商品が作り上げてきてくれた「私の中の気持ち」を終わらせる際が、
「修理できませんねえ」という終わらせ方で打ち止めになるのは、傷つくし、後味が悪いともお知らせは
したかったエッセイなのかしら?_と我ながら思います。

供養をする、じゃないんですけど、メーカーさんは「作ってるだけ」以上の仕事をしてるんだと思うんです。
使い手が,使い手の数だけの思い入れをした機械を「壊れた。ハイ、おしまい」で済ましにくい心情を
うまく流す方法もあっていいんじゃないかしら、と。

じゃあいっそ、メーカーさんは今回の私のように「公に認めるものではないんですけど、こんな風に
直してくれる会社も世の中にはあるそうなんじゃ」と第3の修理屋さんの窓口と言うか、リンクというか、
橋渡しの心持ちをしめしていただけると、私のように何年か越しの悶々とした「ゴミになるかもしれない財産」を
「持ち続ける気力」を持たないで済んだとも思うのです(←あきらめればそんなの持たないでいい、よね)。

社会に幅や奥行きがあってこそ、今回私が巡り会わせたショップさん、職人さんが修理できる環境が
生まれるんだと思います。そういう意味では、私の今生きてる時代には感謝できます。
壊すように使っておきながら、修理で云々えばれたものじゃない私がノーノーとエッセイにしたためられるのも
社会がしっかりしてくれてるからです。

あらゆる意味を込めて今回は感謝のこめた「ありがとう」の念で、エッセイをくくりたいと思うのです。
メーカーさんも修理してくれたショップ、職人さん、ありがとうございます。大好きです。