作成日: 11/06/21  
修正日: 11/06/21  

書いても書かないでもかまわないのがエッセー、なのでこれはエッセー

読んでも読まなくてもそこにあるのもエッセイー、なのでこれまたエッセー


きっと多分面白いに違いないので、読むのはうんとあとにしようと思ってた本を
ようやく読む勇気がわいてくるまでに、3ヶ月もかかっていたエッセイ集がありまして
その間にどうしてるかって言うと、その、きっと面白いに違いない本は、間違いなく
面白くなっちゃうので、それは最後の口直しにもなっちゃうだろうからなどと、「もしかしたら
面白くないかもしれない。」「けどいったん読んではみたくなっちゃうかもしれない」なんてな
中途半端な興味をそそってくる本をバカスカ読んでしまうわけで、そのなかに「期待してなかった」
がゆえに、案外面白くって、ウフフ、当たりね、とひとりほくそ笑むエピソードには、事欠きません。

そんなわけで「伊坂幸太郎」先生のエッセイ集を読み始めました。
ううぬ、読みやすいです。非常に興味がかぶるのです。そんな反面、この本を借りた日というのが
例の震災の翌日で、仙台在住と噂される師の状況も大変心配です。
このエッセイが読みやすい印象になってるもうひとつは、「震災前」の心持ちで書かれてる
内容であり、「日常」がいきいきしている点です。

今回の震災で、仙台という地でのことが、師の本に少なからず影響を与える事を思うと、
気が重たくなります。エッセイを読む時に、この人だと、きっとなにかしなくちゃって
思ってしまうだろうと思います。

一方で、東北に根をはる知人というものも私にもあり、気も揉むのですのですが、
相手が忙しかったり、心が平穏でない時に、悪いタイミングで沙汰をして煩わしい思いをさせるのは
億劫、というのと、何かあれば、沙汰してくれるはずだ、という確信めいた自信が、こうして
「待ちポジ」みたいな姿勢を維持させます。いかんなー。

そんなこと書いておいて、ほとんど自分の素性や居場所を連絡していないつけを、こういうときに
払うんだとも感じております。なにぶん今の住所を伝えても、5年後にそこにいないだろう
ことが多いのです。で、誰には沙汰して誰には沙汰しないで、といった温度差も我ながら嫌いなので
「じゃ、みんな均等に、沙汰なし」であれば平等ですよね、というミョーな説得が自分自身に
なされるのでした。これにもひとつ加えるのなら「どーしても縁のある人は、こんな状態であっても
つながる」という自負です。「これくらいの流転でつながらなくなるのも、また、縁」とも
思うのです。

行きつけの床屋さんで、20年以上会ってなかった同級生に声をかけられました。
「こっち(田舎)の仲間ではけっこう会ってるよー」って言われまして、へぇーとか言ってましたが
面白いくらいに話題が合わないことも予感してしまい、話題に事欠くのは小生が足りない人なんじゃ
ナカローカ、と普段しないような自省・内省に向かってしまうのは、不思議ですなあ。

ネット世界がいつの間にか「ブログ」とか「SNS」なんてなものに盛り上がりがシフトしてまして、
未だに「ツイッター」とやらで「リツイート」とかいうのをしていただいた方にも返事の仕方が
わかんないようなワタクシですが、こういうのも流行廃りがありますよねえ。
「セカンドライフ」とか「アバター」みたいな形でのドォォォンとくるウェーブのような流行は
1年しないで引き潮になりがちです。便利は便利なんですけどね。個人的には「10年はもつ」
手帳の方が信頼がおける手合いのグッズばかりがふえてるみたいで、アカウント・パスの管理に
四苦八苦してばかりになります。

つ、ことでホームページ形式が今んところ一番長続きしてまして1997年からのパリともが
2011年の今までとろりとろりとやってられるのは、いかにも手前勝手なペースが
まかり通るからだなあと、思う次第です。

最初、始めた頃からの昨今の自分とに、変化した点を感じるのは「人はかくありたし!」
みたいないわれのない押しつけのきつい自己主張からはじまったのに、「放り込まれたものも
なにかの縁」くらいなスタンスにまで容認するようになってきてるのは、「お年を召した」
せいかしら?ってなくらいの変化です。

エッセイの初期からみれば、このごろ書いてる事は主張に変更点がいくつかあり、それでも
その当時の「自分」から、このごろの「自分」までの「いきさつ」のようなものが
出てるかなあとも思う訳です。公開版の日記のようなものですが、読んでくれてる人には
「まーた勝手なこと言って」の連続ですもんね。
ずっと、どの時点でも「迷ってる」ものがちゃんとあって、何年かしないうちに、解決したものや
うやむやになったものはあるけれど、案外自分と世界のかかわり合い方ってものは
「似たようなスタンス」のまま推移しちゃうんだろうなって思います。

この「思います」っていう言い回しが、初期のエッセイからずっと続いてるんだけど、
「~~です」って紋きりな断言よりも、「私には、そう思えます。」って表現の方が
「あなたには違うかもしれませんけれど、ごめんあそばせ」的ゆとりがあるかな、と。
考え方のひとつとして、まぁヨロシク、な訳です。アカンかったらごめんな、な訳です。

そういう訳で、伊坂先生の動向が気になるのでした。
並行して読んでる本はスマナサーラ師の本でした。縁あって、同じ時代に住まわせていただいてる
人々に幸多からん事を願います。