作成日: 11/09/24  
修正日: 11/09/24  

誰かのせいにすると苦しくなります

ホ・オポノポノではあらゆることは自分のせいだと覚悟なさいってありましたね


基本的には最近楽しいんです。いや、大騒ぎしてるとかじゃないし、色々顔突っ込んで
いるから忙しいには違いないんですけど、苦しいっていう感じがあんまりしないんです。
いいことですね。いいことなんですよ。

それだけに、このごろのテレビやニュース報道に触れると、なんかこう、殺伐とします。
ナンダロ、って思って、チト考えてみたら、「悪い奴は誰だ!」みたいなことが
増えてるなあって思ったんです。

政治家を見ればナニナニの原因はコイツのせいだ、みたいな気分になってくるし、
テレビも偏向放送だの、芸能人は裏社会とつながってるだのと、も、お腹いっぱいな訳です。

と、それ以前に「他者の悪いとこ見てるほど、余裕あるの?」とも思えてきます。
他者の欠点、失敗を指摘する事は大事ですけど、このごろなんだか「一斉に」それが起こってて
なんというか「自分は悪くありません」ってことまで必死な風景みたいにみえてきちゃうのが
疲れるなあって原因のような気がします。

誰彼が悪い!だなんて、コメントにしないでも、エピソードに出ています。
事態の改善はしないのに、言いたい事は言う、ってのが重なっていけば、悶々とするのは
当然です。改善していく人がコメントするのなら、傾聴に値しますが、力は貸さないけれど
口は出せるって頻度の方が高くなっちゃってるんです。

ネットなんか経由してると、も、圧倒的に「言うだけ」の数ばかり目の当たりにするわけで、
そうかぁ、このごろのネット経由で読むニュースやブログがシンドいのはそのせいかもと
ひとりごちてるわけです。

かくいう私のブログ、HPもそうなんでしょう。ですから少し、上手な沈黙もあっていいなと
思うようにもなりました。あと、「上手に『言わないでおくこと』」を実践されている方を見ているので
そういった工夫が自分の中には必要だなあとも思うようになりました。

全部はいわなくてもいいんです。大事な事を、大事な時に使う言葉で、丁寧に文字で、伝えるって
いうのは、人間の特権です。これを「雑」に使う事もできますが、雑な結果が堆積します。
ずんずん積み上がります。
内緒があったっていいじゃないですか。誰かが内緒にしたい事があったら、触れないであげても
いいんじゃないでしょうか。ここ最近、どうも根掘り葉掘り「悪く見えるまで」突き詰めちゃう
いじめみたいな暴露が多くて、嫌ですね。それも個々人の持ってる情報は小出しに発信されるのに、
総和としてみると「一斉にみんな発信してるのに、誰も責任をとらないで済むようなスタイルで、
のっぴきならないとこまで、徹底的にいじめ抜く」共同歩調に見えてきます。

そうなると「黙っとこ」「近づかんどこ」となるのが自然です。
これが一番の敗北なのに、それを助長してるような「一斉さ」が嫌ですね。
まず「首相がぶらさがり取材」で喋らなくなった、ってニュースがそれをひとつ象徴してる気もしますね。

でもなにより、悪い事したり、後ろめたい事のある人ってね、放っておいてあげるのもいいんです。
悪い、後ろめたい、と解ってる人は、他者に責められるより、触れないでいると、自分を責めさせる
力が働きます。自分で自分から逃げられませんから、いい内省ができます。結果をとらせたらいい。
人に見せてない悪さは、自分に返ります。それで「のうのう」とできる人は、他者が嫌います。
そう思うんです。

誰かのせいにする、ことに慣れるとか、その回数を増やすと、どんどんその人は矮小化してると思う。
マイナスのベクトルを重ねてるんだから、バイアスかかっていくんだから、へたれてしまう。
それが先に挙げた「他者の悪いとこ見てるほど、余裕あるの?」って言葉につながるんだけど、
自分の事をよくしようってことに時間かけてた方が、楽しくなりますよ。楽しくなりますもん。

なにが周りに起こるか、じゃなくてね、何が起こってても、って自分をもっていくのには、
工夫が要ります。ぼうっと待ってても面白くならないのは、そりゃそうですね。工夫です。