作成日: 12/01/24  
修正日: 12/01/24  

歯医者さんは知っている、ほか

ミニエッセイ集


●どこで聞いた話だったか忘れちゃったけれど、歯医者さんが検診する(っていう表現でいいの?)時に
その人の口の中をみたら、その人の性格をおおむね当てる、っていう話が、本当かどうかはともかく、
信じられるなあと思いました。

論拠としては、口の中という、他人には預かり知れない部分は、たいへんその人の人柄が
出やすいらしく、他者に迷惑のかかりにくいものだし、見えにくい。ゆえにその人が
「普段していること」が反映しやすい。雑多に、短気なブラッシングしかしない人は
そういう口腔内になるでしょうし、丁寧に、ゆっくり歯磨きする人は、当然相応な口の中に
なるわけです。

他人にどうみせるか、ではなく、自分にどうありたいか、が口の中に出てるだなんて、興味深いと
思いませんか。ましてや自分の人とナリが歯医者さんにお見通しだなんて、アラアラって感じですよね。

●このごろ会う人会う人に「この女の子、なんだか男の声にぴったりだなあ」とか、
「この『やんやんマチコ』ってアニメ、なんか知ってる子が関西弁使ったら、ぴったりなキャラクター
だなあ」って人によく出くわします。
あんまり考えなしに喋る方なので、どんどんその人に言います。
「そんな風に言われるのははじめてです」とか「よく性格がキャラクターに例えられます」と
おおむね肯定的な応対に出会います。

●開いているドアを締めてくれる人。話したことはないけれど、目を合わせるとほっこりと
微笑んでくれる人。このごろそうした「見えにくい」ところで、たっぷり優しい人っていうのが
世の中にうんとたくさんいることに、よーやく気づいた。そう言う人たちは、もっともっと
いい思いをしていいと思う。些末なことなんだよ、小さなことなんだけれど、心が弱ってきてたり、
意味もなく心細くなってるときには、そういう人たちの小さな小さなパンチがとっても効く。
音もなく、世の中をしゃんとさせてくれているのは、地道に「整える」ことを抜かりなく
やってる人なんだと、つくづく感じる。
派手に見応え、聞き応えのいいことを言う人は、おおむね「その場限り」な人で、継続しない。
一方、アピールをしないような人は、延々と、続ける。観られようと観られまいと、続ける。
声の大きい人が勝つような世の中に感じちゃうことも多いんだけれど、実はゆっくりとでも
音もなく続けてる人っていうのは、ちゃんと人を見てる。冒頭に挙げた「歯医者」さんじゃないけれど、
そういう人たちは「声を荒げて、自分のいい分だけはまかり通そう」とする人を、きちんと排除する。
立派な人は、派手にしないでも、立派なんだと思う。

●私の年になると、家族を持ったり、親になったりする比率が高い。それまで「その人」とだけ
認識していた人が、実は「親」だったり「旦那」「妻」であることが役割として増えている。
「今までやったことのない役」に、各々の人が葛藤を含みもって頑張ってる。
その配役は、いったん着任したら、離任できないこともある。例えば「親」はそれだ。
もうその役は死ぬまで続く。それはつらいのかといえば、そうではなく、その役になったからこそ、
今まで知らなかった喜びにたどり着く。一方で自分の全身全霊を注ぎ込み続ける場面もあって、
覚悟してなかった役回りの重責に、息も絶え絶えな頑張りを発揮することも多いみたいだ。
よくも悪くも、その人の人とナリが出る。自分が「何をストックしてこられたか」が出るし、
「何をストックしてこないで来たか」も赤裸々になっちゃって、ってことがものすごく多い。
そしてその大部分は「言うに言えない」ものが多く、親友や親族の絆の太さが、大事になる場面が
増える。
若いうちにはこれが分かってないから、いかに自分が「周りの人にいわずもがなで救われて来たか」を
思い知ることになる。
同時に自分が人に見えないところで、どれだけ助ける側になれているののかを、自覚するようになる。
まさに「おかげさま」って言葉の意味するところが分かってる人と、そうでない人は、
もう人の「格の違い」がはっきり出てくる。
好きに生きてるだけのひとは、しょんぼりするエンディングにしかならないのは、当然の理(ことわり)で、
してこないできたことを、自分が引き受けるのは当然なのだ。

●他人への「心の貯金」がある人と、そうでない人は全然違う。
思いやりのない人や、ただ若いってだけでゴーマンな人は「他人への心の貯金」をただただ取り崩して
生きてるだけだ。自分では無自覚な、他者がその人が生きやすいようにと、用意してくれた、
積み立て上がった「功徳」のようなものが貯金として人と人の間に成り立ってる。

使うことも貯めることもできる。人が人を助けやすくなるときって、この貯金が動いてる。
見ず知らずの人にも優しく助けの手を差し伸べる人には、こうした心の貯金=功徳が息づいてる。
小手先の利益ではなく、その人に備え持たれる品格があがってるから、巡り合わせも「相応」なものが
流れてくる。

人にはその人に「相応」なものがあてがわれる。身の丈に合わないものは、長居しないし、
騙したり、嘘をついたりして手に入るものは、どう行き着いたって「騙して手に入るようなもの」だし、
「嘘をついて手に入る程度」のものでしかない。卑怯な生き方は卑怯な生き方で手に入るもので
囲むだけだから、いいものなんてこたぁないんだと思うことが一杯だ。

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ってな訳で、このごろの私は歯医者さんに、心の中でニッコリしてもらえるように
過ごそうと思うのでした。
見えにくい優しさっていうのは、見に行かないと見えない類いの「あり方」をしてるので
ホンワカといい心持ちになるには、そっちに目がいっていればいいんだ。
自分がちゃんとやってないと、他者がちゃんとやってる場面には出くわせないんだ。