作成日: 12/09/16  
修正日: 12/09/23  

安くていい店と、適度な才能

心の中に蓄積してる審美眼


テレビでも激安の店、などと紹介されて、それが近かったりするとうふふ、って色気づいて
しまうんだけど、ここ最近、「安くて、サービスたっぷり」な店には白けてもいるんです。

「安けりゃいい」が先行しすぎてて、「価値相応のもの」の感覚が随分雑にされている。
「安くて、いいもの」に人々が飛びついたことで、本来価値あるものが適正価格で
あったことで成り立ってた商売・経済の方は破綻し、消え去るのです。

「いいもの」は「安く」されてないと、人々の目に触れない仕組みが先行し続けてることにより、
「安くない、価値あるもの」は淘汰されて、サービスの多彩さは失われ、競争に生き残った
「安い、いいもの」ばっかりで生活を構成させてしまう生き方に、人々は陥ることになる。

それが経済です、それが資本主義です、ってんでもいいんですけど、正直、貧相な種類しか
選ぶ余地のない生き方に直面しちゃってますもんね、もうすでに。

安くなくても、いいもの、は残っていられる素地が社会に少ないと、いや実に貧相なことに
なります。むしろ「安いものは安く」「安くないものは、安くなく」で並行して存在できない
社会というのは、幼い。

テレビなどで「安くてボリュームのある店」の店長さんがコメントしてる時に「がんばってやってますんで
ぜひ来てください!」と言ってる時の目にこもっているのが、「これだけがんばってりゃ来てくれるでしょう!」
という自負とともに「こんだけサービスしてるんだから上手くいってもトーゼンだよな!!」って
憤りにも似た「不自然なサービススマイル」に映ることが増えてきた。目にこもる感情が怖いのだ。
私の解釈が悪い?そうかもね。でも怖いんだもん。言ってないことの方が深刻に深い顔つきに
なってるんだもん。

実際、「いいものを、しっかりと」押さえた良質のサービスが駆逐されるところまで、社会の力が
衰えてきてしまってる。
「いいもの」がまるまるそこのコミュニティから、フッと消えちゃう時代に入っている。

私個人としては、この夏に閉めたお店に、その地域では他で入手できないような廃盤の商品や
レアなアーティスト、作品の品を扱ってる店に属してる自負がありました。
でも低価格を売りにし続ける大規模チェーン店に比べたら体力負けをしてしまう。
結局負けましたが、「この地域に『今まであった共有財産、わるいけどこのまま出会えないことに
なること』をこの地域も、また、選んだんだね!!」と憤りながらも合点づくでした。
もう、量販店や大型チェーン店しか出回れない商材しか、その地域には供給されなくなってしまいました。
凝った品揃えも、過去からの蓄積も、「その地域」が「失った」のです。

作家の「カート・ヴォネカット」って人の言葉をピーター・バラカンさんのFM番組で紹介してました。


『メディアの発達により、適度な才能というものの価値が奪われてしまった。
 100年前には適度な才能の持ち主は人々の財産だったのに、今はその人はその分野の活動をあきらめ、
 他の分野に変わらざるを得なくなった。
 それはメディアのおかげで毎日世界チャンピオンと直接競わなくてはならないからだ』



「あきらめやすくなった」ご時世とも言えますよね。
「耳をすませば」の主人公の一人が、ヴァイオリン作りをやってることをヒロインに
すごいと賞賛されても、「俺くらいのやつはたくさんいるよ」って言ったじゃないですか。
本音でもあるし、その志も目線としてはいいけれど、褒められてるんだもの、照れてるにしても
作るってことに胸張れよコノヤロー!などと私は思ったものです。

そこそこの才能でも食べていけたりした時代のほうが、緩やかに生きていられもしたし、多彩さも
受容できてた。なんといっても「人に幅がある」生き方も、コミュニティも存続できた。
そこを「安くて、いいもの」という、一見ウレシソーな、ワカリヤスソーなものが席巻しはじめた時に、
結局「安くし続ける」ものしか手に入りにくくなるリスクを気づけないまま、その地域は質的に
困窮しはじめている。

んで、全国的にそうしたのっぺらぼうな価値観が蔓延しはじめているので、「そこそこいいもの」は
駆逐され続け、安いものばかりが蓄積される。

それで豊かに生きれる訳じゃないのにね。
安いものだけで生きることも出来るけど、そこから見えないものはごまんとあるよ。
見落としてる部分のものは「最初からなかった」で済んじゃう生き方は、安普請だと思うんだよ、私は。

だからせめて「安くないけど、いい店」は使い続けられ、存続し続けられるくらいの幅は持てる
コミュニティのセンスが大事だと思うんです。それを許さない狭量さには、相応の安普請さで
一生済ましてしまいなさい、と鼻持ちならない態度でつんとすましてしまうのです。

などと、書くほど裕福でもないくせにね。うふふ。全然裕福じゃないけどね、うふふ。
それでも「お金持ってるだけでも、普通にいい人やってるだけでも、たどりつけないもの」への
接点はいくつか見えてきたので、そういうメンタルな裕福さは年々輪郭をみせてきてるかな。
失ってるものも過分にあるんだけど、この今の年にしてはけっこう多彩な面白みにも出会えてるんです。

目先の利得に集中しすぎてると、見失ってるものが、あるよ、人生には。