作成日: 12/10/10  
修正日: 12/10/10  

別に次ぎのは要りません

今のんでも間に合うとこまでたどりつけてないんですもん


こんだけMacMacとうるさくしてるくせに、最新のOSも、iPhoneも持ってないのです。
ケータイはアンドロイド君です。最新のOSとやらがいくつなのかもこのごろは存じてない
有様です。

不自由してなければ、平和なんです。新しいものが欲しい、ってのもあんまりないです。
未だにZC-1000の広角レンズが欲しいとか思ってるくらいのアナログ思考なんですね。

デジカメも、EOS-5Dがまだつかいこなせた感じがしないのです。やってないことがあったり
してるうちに、次のが発売されちゃっても、全然視野に入らないのです。動画が撮れようと
画素フィルターがついてようと、「まだ撮れてねえ」の前には、食指が伸びないのです。

そう言う意味では弟の方がデジカメなんかはどん欲に買い替えます。前のを手放して、
次の新しいのを手に入れる。サイクルが少なくとも私の3倍は早い。
一方私は「いったん手にしたカメラ」は基本的に「一切手放さない」。
8ミリフィルムカメラも、未だに1014-XLS、ZC-1000共に部屋においてあります。
ZXM-500だってありますよ。スプライサーも、セコニックもありますよ。GS-1200もね。

え?8ミリフィルムなんてもうやってないじゃん、ですって?
そーゆー話じゃないんです。やってるとかやってないとかじゃないんです。フェティッシュでもないです。
そーゆーんじゃないんです。
これらのカメラが私に感じさせてくれた「万能感」は、よそのなににも感じ受けない脳天直撃の
怒濤のパンチなんです。

も、なんだってできちゃう、って顔してますもん。
このカメラに、ワタクシを添えといてくれたら、空も飛べるはず、くらいの顔、してますもん。

要は、カメラってのはその機種が持ってる「ポテンシャルの限度枠」を延長に次ぐ延長、
拡張に次ぐ拡張で、じゃんじゃん「できることが際限なくでかく」なっていくときに、「使い手」の
心持ちが、最上になると思うんです。

返せば、「どのカメラでも、そこまでは行ける」はず、が前提なので、そこまでいかないと、
手放す理由がないわけです。「まだ、やってない」ってなります。

Macも同じ感じなんですよね。まだ使い切れてないオモロイ部分があるのに、次々出てこられても
そこに目が行かない。音楽が、絵が、写真が、WEBが、ほらまだ全然やってませんよと、
ポテンシャル以下でもじもじしてると、なんかねー、こう、惜しいんだよねえ。

iphoneに出向かないのは、コイツじゃないとできないこと、があんまりないからです。
そんなことないですか?出先でゲームやネットがしたいわけじゃないし、他人がそれやってても
うらやましくも悔しくもない。分かってないのかなー、わたくし。ま、いいんです。

反面、ぞっこん惚れ込みたいんです。帰り道を忘れちゃうくらいに惚れ込みたがっています。
実際、ぞっこん惚れ込めます。他人がドン引きするくらい惚れ込めます。自信があります。
20年でも30年でも惚れ込んでいられます。いられますし、変われないような気がします。

そもそも「あれこれ試したい」っていうのがあんまりないんですよ。
あれこれって物色するのは、「なにかいいもんないかな」って、数打って当てるってことでしょ?
自分に見合う最善で最良のものを物色してるってことでしょう。

ふむ。

それって、「自分と出会ったことで最善になる」ものを、ハナから期待してないってことだよね。

いいもの、はどこかで育って、やってくるんですよね。じゃあ、それそこまででピークであるもの
ばかりを物色し続けるんですよね。ピークは下降線をたどりませんか?
いいもの、はいいものであり続けないんじゃないんですか。

あれこれがいらないのは、「自分といると最善のとこまで連れて行ける!」という
馬鹿馬鹿しいほどの思い込みがギランギランに輝くからだよ。
どうしてサイコーにならないでいられるのよ?ってくらいには、自分のしつらえに戦略が
あるよ。少なくとも「オンリーワン」のナニガシカには絶対にさせてみせられるもの。

そうはいっても、圧倒的多数の時間のうちは凡庸なままで無為に過ごすので、退屈であったり
冴えないことをクヨクヨしたりもするんだけどさ、そういう部分を抱え込んでも余る「輝き」が
ある、って知ってる人は、やっぱり「我慢」とかしてそれをしてるんじゃなく、停滞ぶりを
「当然、そうだわな」くらいにしか思わないし、苦痛の範疇じゃないんだよね、それ。

5Dについてはさー、本当に「もっとスゲーことに」なりそうな予感がするカメラなんよ。
久々に「ポテンシャル負け」してる感じがするカメラなんよ。死ぬまで乗り越えられないかも
しんないけどさー、それって延々「上り調子」って感じじゃない?そういうのって、生き続けてると
大事じゃない?んでもって死に際で言うの。
「まだやってない!」って。