作成日: 12/11/17  
修正日: 12/11/17  

平和寮の人と

大阪芸大の寮


フェイスブックだの、mixiだの、いろいろあんのに、全然繋がってないある人脈層があります。
平和寮です。大学の学生寮です。1980年代終盤で月15,000円の寮費でした。4年間過ごしました。
なんかいつの間にかネットでレジェンドが掲載されつつあるみたいだけど、当時は「狭いけど、
いろいろぎゅっと詰まってる場所」でした。

狭いけど、というのは部屋で、6畳一間で風呂トイレなし。押し入れもなし。
共同風呂、共同台所、共同トイレです。電話もありません。窓とドアはあります。

いろいろぎゅっと、は人材面です。新館旧館の2種類あったうち、私たちの世代は
旧館に映像学科に集約されてたのか、ようさん(たくさん)いました。

ビデオデッキのある部屋で、8人くらいの学科生で映画とか見てた記憶があります。
廊下で「UNO」やったり、スイカ食ったり、布団干したり、田んぼにおっこちたり、
新歓コンパ、前期ご苦労さんコンパ、後期頑張りましょうコンパ、卒業生追い出しコンパと
いう年中行事、これに伴う「耐久球技大会」。吐瀉物で寮の前の小川めいた水路が
詰まったりとか、ペンキ塗られたりとか、なんかめちゃくちゃだったな。

卒業論文も寮内で「製作分担」で製本してたもんなあ。私がでた後には、私の高校の
後輩が同じ部屋にはいったんだよなあ。寮に入るくらいだから、日本各地の人が
集まるんですよね。長期休暇後なんてあちこちのお土産が渾然一体化したりも
しました。

性格も傾向もスピードも異なる人材が、おーんなじところに住んでるってだけで
一緒に生きてた時間があった。どこか疑いようのない、大丈夫な人を、一斉に、
たくさん知り合った場所だった。

それがこうして卒業して20年近くたって、ネットが普及して、みやると、
面白いくらいにネットでつながってない。いや、私はつながってるのが分からない。
みんなはつながってるかもしれない。それは私にはわからない。全然そこが重要じゃ
ないからです。だって、本当に連絡しなきゃならないことが、ほとんど起こらない、ってのも
ありますけど、いざ連絡しなくちゃならなくなったって、「なんとかつながる」自信が
かなりたっぷりあるからです。

なにより「きっと全然変わってない」自信もたっぷりあるのです。
それが「たまには見てみるかー」的こころも出ないほど、普段は疎遠であっても
焦ってもこないのです。なんでしょ、この疑いようのない感じ。たっぷりした感じ。

パリとも、の発祥はこの寮生のI君との共同設立ですから(知ってた?)、ましてや数年前に
話した時には「まだやってたの?!」と笑っていなされる始末だから、真剣味に欠ける
ようにハタには映るかもしれないんだけど、こーゆー感じなんだよ、間合いが。前提が。
私にとっては。

心底困る時にはそれほど役立たず、たまに会いたいという浮ついた気分にもならない、
でもきっと全然健康で、いつ、どこで会っても「よー」としかいいようのない仲が
世の中に存在してるっていう、なんていうんだろう、「抜群の無関心仲間加減」が
大変ありがたいのです。

事実、寮の人より、「寮に遊びに来てた」仲間と会ってる回数は断然多く、その人たちの
認識も「寮の誰々は・・・」ってちゃんと覚えてるし、繋がってくれてたりするので、
「仲間意識の維持」に心砕く工夫は不要、とどこかデンとしているのです。

はっ、これって俺サイドだけの話?
・・・・SNSだのブログだので「イイネ!」とかお互いにしたくない仲間の方が
私は大事だし、安心しきってますよ。近況も、将来も、「いつも通りなんだよね?」って
言う以上に、聞くことないもん。ないんだもん。コメントなんて特にいらないもん。

あんまり仲よくなかったんじゃないの?って思われる方もいるでしょう。
ううん、仲いいですよ。いいです。

映画撮ったり、芝居やったり、窓から学舎に8mm投影したり、花火見たり
一緒にバイト行ったり、事故ったり・・・あの密度。どこにも似たようなもんすら
ないなあ。あのときあの場所だけでみたもんだったなあ。

吐血してる友人、雨の中、舞台の背景組み手伝ったり、ロケに県外に行ったり、
テレビのブラウン管の上下ににペンキ塗って「シネスコ」って言ってる奴がいたり。
しばらくして見に行くと「字幕が見えない」ってそのペンキをコジコジ削ってたり、
なんか、なんか

おもしろかったなーーーー
おもしろかったなーーーー

と、いうインパクトを抱え持ち、含み持ち、「一生発揮しないかもしれないまま」な仲間が
面白く、愛おしく、ちょっとやそっとで「どーも」ってしないでもいいような気がするのでした。
なんなんだろ、今日フイにそう思ったの。つか、未だに「懐かしいなあ」にジャンルされないの。
他の「映画一緒に撮った人たち」とか「お芝居でお世話になった人たち」はまだ「懐かしい感」が
芽生えるのに、面白いくらい平和寮のみんなは、どこか私には「いまだにそのまま」のリアル感が
あるのです。どーにもならない、どーーにもしない、この感じ。すっごい大事。この感じ。