作成日: 13/02/01  
修正日: 13/02/12  

失業街道まっしぐら

仕事を探すというのは、自分の価値を他人がどう評価するかに差し向かうこと


突然仕事を失うことになりました。ただいま3日連続でハローワークに通っております。

むかーしむかしにも一度ハローワークってところにいったことがあるんだけれど、

その時にはその雰囲気に心が折れたものです。いかにも荒くれ者たちが、目線を

落として佇んでいる、そんな空気だったので、当時はハローワーク通いを断念し、

自力で仕事にたどり着いたのでした。


昨今のハローワークの明るさには驚きました。ネットで職探しもできちゃいます。

気になった案件を窓口にお願いすると、すぐに求人の状態や、近接の就業状況を

教えてくれ、心細さは随分と和らぎました。

今、一件「書類選考待ち」な状態でいますが、「1週間後に返事」というもので、

1週間もみすみす待ってたら、その間にも生活はひっ迫していくので、その間を

ぬうように、別件の希望を模索してそわそわしてる最中でございます。


昔と決定的に空気が違うのは、表向きは「年令制限」がしにくくなっていることが

あると思いました。私はええとこオッサンの域に入ってますので、新人ほど

フレッシュにはなれないし、青年ほど自信に満ちてる訳でも、リベンジに燃えてる

わけでもないのでした。不思議なことに、この状況を少し達観できるようになって

いるのでした。

(かといって、わたしみたいのが『フレッシュ!』にふるまうと、見てる人たちが

痛い気持ちになるでしょうし、それも遠慮しなくちゃね)


反面「どうなっちゃうのよ、俺!」と焦る声もたしかに自分の中にはあります。

でも扶養家族があるでなし、男一人が生きていくのにはどうとでもなる、と

思っているのでした。実際、ハローワークで仕事を探していると、「仕事がない」って

ことはなく、選ばなければ今日にでも決定に至れる仕事はあるのでした。

(いや、待てよ、面接やなんかで落とされるのかな)要は「自分が長く続けるとして

希望が持てるか」が私の場合は大きかったのです。


実は失業前に段取っていただけていた仕事を放棄しました。今よりも昇給し、

気持ちさえ続けられるのであれば、ありがたいお仕事でした。

でも悩んでた1週間、私はみるみる食欲を失っていました。全く食べ物がのどを

通らなくなり、状況が許せば、すぐに伏して寝てる有り様でした。

なんだろ、なにがこんなに嫌がってるんだろう・・・と落ち着かないなりに考えて

みました。


この年まで、私は本当に「好きなこと」だけしてきました。幸い、周りの人たちも

それをさせてくれる人たちに恵まれていたのです。今回の解雇も喧嘩じみたことはなく、

会社の状況を考えると、当然受け入れられました。十分私は守られていました。

解雇は解雇ですが、「失敗」したわけでも「逃げ出した」わけでもなく、凛と

「お暇(いとま)いただきます」と願い出られました。


少し不謹慎かも知れませんが、「新しいこと」も見たかったのです。

今の自分は「新しいこと」をまだ見てても許されるのか。はたまた「お前はもう年だ。

ノックアウト!!」でニッチもサッチもいかなくなるのか、また同世代の人たちの

あしらいはどうなのか、仕事を求めるっていうのはどういう境遇にいたるのか、

しっかり目と心に留めてやろうとまっ先に決心しました。


仮にそうした「試練」をかいくぐれたとして、中年ってものはリクルートするときに

どんな希望を持っていていいのか、なにをはねつけられるのか、、なには許されるのか、

知っておきたかったのです。怪我のないところから、見下ろしてるだけじゃなんにも

感覚に入ってこない。どうせ失業してるのなら、とことん見てやれ、と思ったのです。


実際今現在、「まだ解雇されてない」会社に所属していますが、「ハローワークは

行ってきていいよ」との言葉に甘えて、毎日ハローワークへのぞきに行ってます。

「君の場合はハローワーク経由の方がいい」と偉い人にアドバイスされました。

ど、どーゆー場合は経由しない方がいいんですか、とはさすがに聞けず、黙々と

通っています。


気持ちを書きますね。

まず怖いです。来月、再来月のどこかで未就労であった場合、部屋を失うのではないか、

友人知人に無視されるのではないか、といういい知れぬ不安に苛まれます。

これは誰彼がそういった、というものでなく、妄想の域です。でも可能性は0じゃ

ないのです。

貯金の額が肝心、とも思います。私は今の年令にして驚くほど貯金をしていません。

裕福ではありません。すぐに困ってしまう生活に至るでしょう。ですから「1週間後に

返事送ります」という企業の姿勢には心底空恐ろしい心持ちを感じています。

「挙げ句に『駄目でした』で済むと思ってんの!!」とか心の保険をかけたりしています。


履歴書、職務経歴書をわんさか用意しはじめます。あと何枚これを書かねばならないのか、

現状ではさっぱりわかりません。一番分からないのは「世間は私を必要としてくれて

いるのかどうか」のあたりが、さっぱり分からないのです。どこの誰にも分からないのです。

できることは「写真屋さんでちゃんとした証明写真を撮る」ほうがいいってこと。

コイン式の写真機も悪くないけれど、プロの撮る写真と、その審美眼は、再就職の

何より先に「世間的に見て、あなたのよさげな写り方」を冷静に選びとってくれるもの

だから。自分で見栄えのいいもの、とかではなく、あくまでも「他者があなたを選びとる」

その最初の一歩がこの証明写真です。実は今回、コイン写真も撮ったんです。見比べました。

プロの仕事は確実でした。私と似た境遇の方は、是非写真屋さんで撮って下さい。


反面、多分一般的じゃない感覚も書き添えますね。

「私はなにか失敗したり、駄目だったりして仕事を失った気持ちがこれっぽっちもない」のでした。

ですから「今までやってきたことを履歴書に、職務経歴書に書くけど、これ読んで『あなたは

要らない』って思われるのなら、いいです。行きません」と言張れます。


マンガを書いてきたことも、映画を撮ってきたことも、それらで食えてこなかったことも、

全然恥じません。受賞、製作できたこと、誰一人と同じなものなんてないです。履歴書書いてて

思いました。ああ、俺、立派。よくこんな人生でここまで来てるな、って、にわかに

振り返る機会になりました。


今、食えてないからって、それがなんだよ、って思ってます。

今、食えてないから、プロじゃないってんなら、それがなんなんだよ、って思ってます。


びっくりしました。


なんだろ、この自信。


なんだろこれ。


デザインをしてきたもの、撮影をしてきたもの、やってきたサービス業、出会ってきた人たち、

離れた人たち、なんにも落ち度ないもの。「これでいい」って今、言えるもの。


卑下する自分がない、というのはなぐさめなのかな。

でもなんか、たっぷりしてるのでした。なんとかなると思うのでした。

「今までこれだけのことしてきましたけれど、これを評価するなりして『要りません』なら

それでいいです」という中年。おっそろしいわ。


こういうエッセイ書くために張ってる見栄もあると思う。

まだ傷付くエピソードに出会ってないうちに書いちゃえ、なのかもしれない。

でも世間がそんなに冷たいだろうか。世間はそんなに人のやってることに無頓着だろうか。

私のこのリタイアっぷりですら、こうしてここに書くだけでも、少しは参考になる人だって

いないとは限らないんじゃない?


こういうとき、友人に相談する気持ちにはならないですね。塞ぎますよ、心も人脈も。

少なくとも「誰か他人を雇っても大丈夫」な人もいないでもないんですけど、そうした

頼り方は、頭っからない。それはしなくていい、とハナから排除してる。

自分が生きてるんだもの。自分で決めて切り開けばいい。


もし、世界が本当に活気づいて動いているのならば、必ず人は求められてるし、求めてる

はずだと思う。求めてる人に、求められている人が合致すればいいのであって、合致

させるための力づくのがぶりよりをすることは、昔から躊躇したことがない。

相手が望んでなくてもガブる瞬間はあるし、それで円満になるのならそれでいい。


私を求めない社会であるなら、こっちから願い下げてやる。

でも今は求める側の人なんです。私に居場所はありますか、って真剣に日々過ごしてます。

まだひとつも面接してません。まだどこにも挑んでいません。ですから鼻息が荒いです。

まだ見てない現実が来るかも知れません。ですから今日これを打ちました。

ブザマに転がり落ちるなら、そう追記します。なんとかなったとギリギリならそう追記

します。

今の世の中、ひとつところで死ぬまで安泰、であっただなんて「不自然」だと思う。

人生の中途の、もっとも「なんとか大丈夫であって欲しい」辺りで「大丈夫でもなかったー」

って人の声の方がリアルじゃない?公務員目指してたらよかったかって?大きな企業に

勤めてたらよかったかって?どっちもNOです。私は自分の生き方は大好きです。


転ばない、っていう器用さは、無傷に見えるけど、本当は心細いんだ。

見えるものが限られてて、自分が味わってないピンチについて、どこまでも憶測妄想

するしかない。

でも転んじまえば、傷つくだろうけど、自分の体に流れてる血を見ることができる。

脈打つ自分の血を見て、「しっかりしなくちゃ」ってハッとする。にわかに「真剣」に

なるんだよ。「普段」ってところに鎮座して「なるべく見ないで済ましていた」ことを

直視して、そのピンチに至った「自分の方の理由」を特定するよ。

負け犬の遠吠えと思うならそう思えばいい。でもね、「なんで自分はそうしてるのか」とか

「自分がこうだから招いたピンチ」ってはっきり認知すればさ、人としては「洗練」

されるよ。目先の失態や怪我は「自分が招いた」ものだから、選んできたものだから、

他でもない「自分の決意のほど」が出てて、上等じゃん。よかったじゃん。はっきりして。


んで、どうすんの、ってこと。んでそれは「失敗って呼んじゃうの?」ってこと。

転んで怪我はしてるんだろうけどさ、それは自分が自分のままでいたから、当然

たどり着いた結果なんでしょう?自分で善かれ、と思ったことの積み重ねなんでしょう?

「みんなはそれを失敗と呼ぶ」ってことなんでしょう?それにあなたが「そうだな」って

同意しちゃうなら、失敗だったんだよ。それが分かってよかったじゃない。

じゃあそこから「失敗」したんで、どうしましょ、って決め直したらいい。よりによって

自分以外の人が、「失敗」にたどり着かせてくれて、自覚できる機会まで持てた。

転んでねえ人なんかより数段上のものを手に入れてるよ。しかも体験則としてね!


もし、万が一、「失敗じゃ、ねえな」ってことであればさ、しめたもんだよ。

今回の「失敗」程度じゃ覆らない理由を、自分に見つけたんだね。これくらいの小山に

つまずいたって、もっとでっかい大山に蹴躓いたって、大怪我したって、曲げやしない

理由を自分に持ってられたんなら、


それは財産だ。

ものすげえ財産だ。


それはあなたの「態度」になって、周りの人に伝わるはずです。

それを周りの人が、手前勝手に評価してくれます。胸をはって生きていったらいい。

今はつらいときなんだろうけど、辛い時は辛いがよろしく候(そうろう)です。

いいじゃん、辛い期間も生きてリゃ要るって。

そのときのあなたの態度をみんなは見てるから、見せればいい。

ブザマでもかっこわるくてもいい。そのまんまでいいじゃないですか。

それがあなたなんですから。そーのまんま、でね。


さ、明日もハローワークだ。週末まで俺の神経、我慢できるかな。みものだ。

自分がよく分かる。どこへ行く俺。どうなる俺。乞う御期待!!こわー!こわー!

以上2013年1月18日現在まで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ハローワーク通い4日目。「1週間後に返事が書面で来る」ということは、1週間の

間は結果もなにもないまま過ごすことになります。収入もなければ、結果も分からずで

なにもしないまま過ごしてることに堪え難くなります。そこで「並行して求職する」

ことになりますが、本日アプリ業界でキャラクターデザインのグラフィックデザイナー

募集ってのを見つけて、窓口でどんなんでしょう?と聞いてみた。担当者さんは

すぐに先方に電話してくれまして、こちらの身上を伝えたところで、どうやら年齢的に

あかんかも的受け答えを電話口でしていました。


「先方はこれまでなにか作ってきたことがないと、難しそうなことをおっしゃって

いるんですが・・・」といいました。いや、話の流れ、順番から察するに、ていよく

お断りする口上だな、と推察し、すぐさま持ち合わせのファイル内から「昔、まんがで

受賞したことがあります。あと、デザインと・・・」と先だって用意してた「まんが」

「イラスト」のファイルを見せました。

そうしたら書類選考はするので送って下さい、とのこと。午後には書類一式そろえて

郵送しました。


直観ですが、「年令」にひっかかってるんだと思いました。ハローワーク側では年令で

差別を助長させない仕組みがありますから、企業の方である程度の高齢者は「書類選考」

以後ですっぱり切るってのがセオリーなんじゃないかと勘ぐってしまうのでした。

人間、40歳をこえると柔軟性に欠けることが増えますし、飲み込みもぼんやり鈍く

なります。


反面、私は「これまでやってきたことを見てもらった上で『アンタいらない』となれば

こっちこそ了解です」と言張れるつもりでいます。つもりでいます。本当はショックです。


まんがも映画も、なにか大きな成果にはならなかったけど、それでも受賞、掲載、上映と

「結果にたどり着くまで」はやってきたのでした。で、その全部は自分では「成果」なので

堂々と提示します。マンガ喫茶のデザインも、建築屋さんのキャラクターデザインも、

ことごとく投入します。

自分がそれそこまでやってきたことは、どれも手抜いておらず、その時までの最善で

やってますから、そこごとごっそり否定されるなら、も、ホントに不要なんですね、って

思えると思う。


生きる、ってことは「否定されることにどう慣れるか」でもあると思う。

NHKでアメリカのロムニー、オバマさんが大統領選挙に出馬するまでの歴史を特集で

やってたんです。その中で、ロムニーさんが若いころ、モルモン教徒の宣教師として

フランスに派遣された話をやってました。布教活動で、見ず知らずの人の家の前に立ち、

自分の話を聞いてもらうことの結果として「否定されることに耐性をつけること」と

「それに伴って自分の信条をいよいよ深く洗練すること」が身に付くとアナウンス

されていました。

そうだよね、否定されるんだよね、目の前の人に。それは「いろんな人」が生きていられて、

いろんな人に出会う以上、「自分以外」な人ばかりなわけで、否定されるのはいいとか

悪いじゃなく、「まず、普通はそうなる」と肚(はら)に落とした方が、すわりがいい、と

いうことです。だから「否定されるのは嫌だなあ」では、世の中に出て行けない訳です。


要は「否定はされるもの」という前提にして、「否定されてからの自分のふるまい」は自分の側で

決められることに、注目すべきなのです。

人間力の強い人というのは、この「相手が拒否してきてから」の振る舞いに、決定的な魅力を

発揮します。または「相手が拒否しにくい」「飲み込める」ものを発掘する準備をして

います。「拒否されたー」は結果ではなく、「通過点」にすべきです。


今回、きっと私は「よく理由も分からず、否定される」ことを体感できるでしょう。

言ってくれてる理由で本当に駄目だったのか、はたまた言うに言えなかった本当の理由の

方で駄目だったかを、妄想しながらうろたえることをするでしょう。

うろたえる時はうろたえるのがよろしく候。これをする時間だったんだよ、自分が。

それを今味わう理由が分かってないだけで、今それを受け取る時なんだ。


もしかりにスマートに受け遂(おお)せても、なにがポイントとして大事かを見据えて、

今後も余念なく、「いざ」というときの準備に備えるでしょう。


就職活動してて感じるのは「まず自分にゆとりがなくちゃいけない」こと。

ぎりぎりだったり、不良な部分があったまま、挑める心境にはならないのです。

また、「ふんばる場面」で心の方に緩い部分があると、もろく崩壊したり、失敗を自らに

引き寄せてしまうのです。肝心なのは「自分の外の理由」に立ち向かっているのですから、

「自分の理由で右往左往」してる余地をとことん前倒しで潰しておき、「周りの人の要望に

即答する」という、外向きの臨戦体制を用意していることです。


今日で言えば、履歴書はすでに3枚常備してましたし、職務経歴書も「クリエイティブ向け」と

「一般事務向け」の2種類は事前にパソコに打ち込んでありました。私の場合は「これまでの

経歴上の作品を添付して下さい」という要求の多い職種を狙ってますので、「フォトショップ」

「イラストレーター」「まんが」の作風が分かるものを常備していました。


「フォトショップ」「イラストレーター」が使えるのは、ちょっとしたインセンティブに

なるんですね。知りませんでした。ただまあこれも求職する「若者」と対峙する場面になった

ときに、「頭一つ抜きん出る」作品を作ってきたか?を採用担当者が「見比べてもそん色ない」

ものに映るかが試されますね。どっきどきしますわ。


複数枚各種資料を用意してるのは、どんな局面に自分が行き着くか分かっていないからです。

想定してないわけじゃないですよ。想定はしてますが「想定外」こそ想定内であるべきでして、

「なにが起こってもなんとかする」という間合いが大事です。「なんとかする」です。

「なんとかなりました」ではなく、「なんとか、する」です。自力です。


人生ってやつは、自分で自分を運んでいますから、こんなにセルフプロデュースを身をもって

試させられる現状が、正直楽しいのでした。

ひとつは「自分のやってきたことは、いざというときに他人に評価されるものなのか」。

今一つは「自分のプロデュース能力は、自分自身に有効なのか」。

このふたつを試しています。今まで「知ってたけど分かってないこと」が「中年男性って

ことで、世の中はふるい落としにかかってくるのか」というリアルな問題です。

もってる技量だけでなく、将来に渡っての期待値、残ってる時間など、勘案される要件は

若いころよりも減っています。それがデメリットになるのか、はたまた経験則として

評価されようものなのか、を「自分自身で試す」わけです。


試す、というのはそういうものです。失敗したり、駄目だったりしたら、「食えない」

「住めない」という現実を直視することになります。本気であることです。賭けてるものが

いきざまに大きな足跡を残す所行なのです。試すと言えば聞こえはいいんですけどね、

高配当のオッズにはハイリクスハイリターンが当然。


今の自分は、今の時代に、要るのか、要らないのか。


怖いねえ。でも知りたいねえ。


そうそう、「書類選考」はゆうに1週間はとられます。押すことはあっても、早まる

ことはないんだそうです。これも怖いねえ。


以上2013年1月23日現在まで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ハローワーク5日目。ハローワークの機械検索操作がスマートにできるようになりました。

「結果」が出てくるまでは「手をこまねいているのか」はたまた「次のあてを当て込んで

準備しているのがいいのか」迷うところです。保険をかければ後者ですが、それでは

「自分は落選する」を選択したことになり、モチベーションに響きます。仮に受かっても

「いざとなると、自分は自分を信用しきれなかった」ことは覚えてしまうものです。

かといって、のうのうと「結果待ち」して「駄目」だったときに、一から再スタートを

するモチベーションにまでもっていけるか、事前には容易に想像がつかないのでした。


天命を待つ、というのは随分太い神経がいるものだなあ、と思いました。安逸に

「大丈夫だよ」って励ます言葉をこんな時にかけられたら、「他人事と思って!」と

いきり立ってしまうかも知れません。


早ければ今日明日には結果がひとつ届くかも知れないという状況です。

郵送か、電話かも知れず、もしくは遅延する場合もあるとハローワーク窓口のお兄さんは

言いました。


駄目だったらどうしよう!!ってうろたえたがってる自分もあるし、いやいや、これまで

やってきたことのアピールは、書面ながらもしたのだから、その上で「今回は~」と

断られるなら、受け入れてくれるところを探すだけだよ、と励ます自分もいます。


つまり人と言うのは「決まって」いないところに立ってると、「決まっていない」

だけではなく、「決まらなかったらどうしよう」とか「決まったらどうしよう」とか、

「はっきりしなかったらどうしよう」などと、幾通りもの将来展望を妄想して、

どんどん妄想のるつぼに入り込みます。決まってない時だけなんですけどね、こんな

ぐるんぐるんとした心持ちになる時ってのは。


「結果が出るまで待つ」だけができにくくなるのでした。

待ってる間にできることがあるんじゃないか、待ってないで次の手を打っておくべき

じゃないのか、などと「まず、結果を待つ」「それから手を打つ」だけのシンプルさが

耐えられなくなるのでした。そして自分の矮小さのようなものを感じ、みじめになったり

卑屈になったりします。これが普通の事です。


誰よりも自分に一番精通してて、隠してる感情も、しまってる弱さも、全部知ってるのが

自分自身なので、ひとたび「自分を責めはじめる」と、とたんに「とどめの一刺し」を

回り道しないで貫くことができます。効果覿面。


この時点では「やってくる明るい方の未来」の想定が極端に減っています。

「駄目だったらどうしよう」にまみれた精神状態は、健康とは言えません。病んでます。

心の保険、ってものは「悪く傾いたら、こうしよう」と次点の手立てを組みます。

それは迅速で、確実なものを希求しています。ですから「面白み」は排除され、

「自分が突き落とされても、どこまでなら我慢できます!」というボーダーラインの

あたりをつけ、「覚悟」をします。「ここまでつらくても、受け入れる」とか

「ここまで面白くなくても、感情を殺せる」などと、底辺に、底辺に心が向きます。


なら、同じ量加減で「うまくいったら、なにしよう」ってなればいいんです。

それがねえ、難しいのよねえ。


反面、週末に映画を見に行く段取りをしてたりします。そもそもはこんなリクルート

するだなんて思ってなかった内からの予定でしたから、気晴らしとしてはいい機会かも

しれません。未就労の内に映画だなんて!な、向きもあるでしょうが、「目の前の事に

執心し過ぎてると、目の前にないものまで見えなくなる」んですよね。


目先の事に心が大半をもっていかれたところで、世の中は自分以外の人も生きてるし、

自分以外の人には当方の諸事情は直接被害がないことです。ならば、ならば、さ。

いっそ「なにも起こっていない」空気を胸一杯に仕入れた方が、自分にも他者にも

いいんじゃない?


「思いつめた」分なんてものは、全部「あなたの中のこと」でしかないのだから、

どんだけ積み上げ立って、どんなに用意周到であったって、「結果」には寄与しない。

無駄、じゃないよ。無駄じゃないけれど、それは妄想の量でしかない。

深くて大きくても、浅くて小さくても、「結果」はやってくる。ならばリラックスして

受け取りを待てばいいんじゃないかな。


そうこういいながらも、5日ほど過ぎてくると、モールや地下街等の「求人告知」の

ブースやはり紙の位置等が、パッと目に入るようになり、今までずっと同じように

告知されていたはずなのに、どうして目に入って来てなかったのかといぶかしむ

ほどでした。つまり気が高ぶっていたわけです。目に入ってなかったわけです。

それくらいは、心が窮していたってことですよね。



と、ふとこの日、突然不安に襲われた。自分がよかれと思って探してるこの業種に

本当に自分は居場所があるのだろうか。

古いセンスを感覚だけをたよりに、自分の要望だけを通そうとしてる、ただの無茶な

人なんじゃないかと苛みはじめそうだった。


その業界で何年もやってきてるプロの人たちに対峙したときに、わたしはただの

無能な人なんじゃなかろうか。


うん、そうだよ。

実績ないもん。ないのです。


ああっ、じゃあ、ここに住むとか生活するとか言う次元なんじゃないんじゃないの?

若手で、もっと日々切迫して求職してる人たちに負けちゃうんじゃないの!?と

突然不安に襲われた。


そもそも自分がしたい仕事なんてカテゴリーに、これでしょって調べたら出てきたこと

そのものが、すでに「残り物」であるか、「長いこと求人してたけど蹴ってきたか、

いざ面接・入社させてみたら、訳あって長続きさせられなかった事情のある企業」なんじゃ

ないのか、って怒濤の不安が押し寄せてきた。


と、したら、「印刷」「DTP」「WEB関連」などとエラソーに挑めるほどの実力は

私にはなかったんじゃなかろうか?

そんな不安に飲み込まれそうになってる。分かってる。やってみりゃどんな仕事だって

なんとかなるのだ。だって他の人、誰かはそれをしてきてるんだから、自分にできない

はずがない。恥を忍んでじゃんじゃん聞いていき、勉強したらいいのだ。

柔軟さは若いころよりも減ってるだろうけど、老獪さとわずかながらの「経験則」は

「0点」なんかじゃないことを証明するんだ。


以上2013年1月24日現在まで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


朝ハローワークに通う。めぼしい物件がないなあと、端末でうなっていたら、ケータイに

着信メール。見ると後発のゲームアプリ会社から「今回は御縁がなかった」メールが

入った。今回初の「拒否」。否定されるとやっぱりつらいな。でもこれはあり得る話だ。


「正直、駄目だと思ってたんだよねー」とか強がってみたいが、イケルカモと値踏んだ

からこそ、各種資料を先方に送付しているので、素直にがっくりしよう。

なんか「人格」を否定されてる気分が漂いますな。


一方、「来週までにいい話がなかったら、突入してやろう」と思ってた「イキナリ

面接なのです」という写真合成会社の案件が、データベース上から今朝消えていた。

しまった、もう決まっちゃったか!自転車で5分のほどよい職場だったのに。


と、いう訳で、来週まで待つ理由がなくなった私は、さて、このまま「印刷業界」

「WEB業界」指向でいいのか、おおいにゆらいできています。


そもそもDTP、得意じゃないからこそ、かつて勤めていた会社を離れてる訳だし、

イラストは描いても、商用販促に耐えうるクオリティかといえば、「古いセンスかも」

とびびる自分もいる。


と、いまさら気付いても、年令は戻らないし、勉強のし直しにはタイミングが悪いので、

いっそなにか縁遠いジャンルの仕事でも・・・などと、気弱な際にやってしまいがちな

「なりふりかまわぬ雑な遠投」心がうずいてきた。


いっそ「いい機会」ととらえて、思いきって新しいことやっちゃうのもいいかもね。

てーんで知らないこと。


ゆえに、今第一志望としてる会社の返事が、今晩か、来週月曜には沙汰があって

くれるはずなのですが、「絵コンテ重視」の、「デザイナーは不要」という

まさに私にうってつけの傾向が、「否定」されようものなら、この名古屋で俺ほど

絵コンテに通じた人はそうはいまいという自負もあるが故に、「年令のせい」に

気持ちが拍車をかけるかもね。


でもがっくりしたがる気持ち半分に、「うまくいくわ」という気持ち半分なので、

結果が出るまでは気持ちを作らないことにした。出てから決めます。

ですから、今本日2度目のハローワーク参りをしてきましたが、験を担いで

「次点の安牌会社」の資料請求をしないで戻りました。土日とハローワークは休みに

なるので、仮に今晩「あかんでしたー」と返事が来てると、私は「見込みなしの

週末」を過ごすことになります。一方、「採用です。早よ来い」であればこの

験をかついだ気持ちが勝ったことになりますし、運を引き寄せた勢いが自分にはある、と

はずみが付くはずです。一番嫌なのは「月曜以降まで沙汰なし」という飼い殺し状態

なのですが、考えないことにします。


なんか寒いしさ、週末で、生意気にもなんかぐったりしてるんです。

さすがに疲れてきたな。でも来週は4日しか働く日がない。いよいよ現在の

お仕事から離任する日が迫ってるのに、後続の段取りが白紙とは


自分を賭けて生きるってこういうもんだ。食えない、住めないも分かってなくちゃ。

なんとかしなくちゃ、なんとか、なんとか。


ここまできて分かったこと。

●自分は求職するには年配者に位置していることを知った。

●若い人ですら入手できない求人が、やすやすと自分に手に入ると勘違いしてた。

●次世代の直感力を持った連中と、仕事を奪い合いをする立場は怖いってこと。

●自分で思ってるほど、他人に求められないこと。

●よくよく企業側の要求を読み込めるようになってきてから、やっと自分に

足りない要件がわんさか該当することに気付く。(今までは気付いていない)


以上2013年1月25日現在まで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


1月28日、出勤後に「今週は就職活動に集中していいよ」と言われる。出勤扱いに

したまま、会社には行かないで済むようになる。一番最初の会社から、日曜日のうちに

一度携帯に電話があったようなので、折り返しで3度ほど電話するが、常に留守電なので、

「これはこれ以上沙汰はしてこないで」の意志と感じ、電話するのは止める。しかし

返事はない、履歴書の返却もない、約束の1週間はゆうに越えてるのに沙汰はない、と

いうのは「迷ってる」ととるべきか、「無視しはじめてる」のか、イマイチあやしい

気分になる。そこで別件のパチンコ「キャラクターデザイン」会社と、DTP会社に

沙汰つけるべく、ハローワークで紹介状を発行してもらいに行った。窓口で話す担当者に

よって、全然リアクションは変わるのだが、今日の人はやたらはしゃぐ人で、

「へえ!30人越えてる募集だって」とか「(私の資料を見て)上手いねえ。

こんな人、ここ(ハローワーク)でははじめて会ったよー」と楽しそう。

励ましてくれてるのかもしれないと、無理矢理考えて「駄目だったらまた来ますねー」

などと余裕めいたリアクションで去る。前社はその日の晩にはホームページを

チェックされてるログが残っており、しまった!こんな地味なHPにしてたらあかんやん!

とかうなりつつ、反面「ここで意趣替えしてるようじゃ、表現者として浅ましいだけじゃ

わい」などと開き直る自分で葛藤する。 


もうこの日から弁当は作らないで済むし、お掃除のおばんさんには朝の挨拶もできなく

なっちゃったし、なんか心がぽっかりさみしくなる。午後には机の私物を一切

整理して、仕事場を完全撤収完了。ここの場所には半年しかいなかったけど、お世話に

なりました。保険証も返納し、これで20年近くお世話になった会社といよいよ

おさらばになる。感慨深くもしておられず、情報誌やネット検索で就職活動は

続く。 


就職活動の微妙さと言うものは、つらかろうとシンドかろうと、あまり赤裸裸にして

公表しないものだから、どうしても孤独な戦いの様相を呈してくる。

「自分はこんなになんにもできないヤツだったろうか」とか

「いやいや、今回は実力以外の事情がからんでるいきさつもみてるし、これくらいの

自己危機を回避できないで、これからくるもっとデカイ葛藤に立ち向かえやしないよ」

などと、ひとりでぐるぐるしはじめる。

全部妄想なんだけどね。


自分ってものは、本当に自分ばかりみてると、ものすごい牙を自分に突き付ける。

自分の事だから容赦をしない。不利も失態も自分が自分に隠せないので、どんな他人

よりも猛毒付きの槍で、エイ、エイと刺してくる。傷口がでかいわ痛いわ。

いかに自分と立ち向かうか、を済ましてないと、その後の「いかに世の中に立ち向かうか」

の段に進めないのだ。


世の中は、新しい人材を求めてる。若くはないけど、新しくて面白い人材ですよ、

放っておけますか?愉快だと思いますよー・・などと、自分から売り込むのは大変

滑稽なものですから、ついつい真面目でいい経歴ばっかり書いた「履歴書」などを

何枚も何枚も用意してると、激しく馬鹿馬鹿しい気持ちが込み上げてくる。


こーんなことしてるはずだっけ?   などと、思うようではガッカリ人生まっしぐら

である。少なくとも、新しいことに足を出してるんだから、新しい側からすると

「なにか足がニュウッと出てきた」という風景なわけで、いかに自分から

「愉快よー、大丈夫よー」と入っていければいいんだけれど、まずもって未だに

面接の一つにもたどり着けていない事実。これをかいてるあと2日で、私は公には

失業者になるのでした。


以上2013年1月29日現在まで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「朝、起きて会社というところに行く準備をしない日」の2日目。仕事がないとは

いってもダラダラ過ごすつもりはないのでした。実質、まだ会社には属してる訳で、

今月末まであと2日、ということ。そうしたら、「無職」なのです。無職は怖く

ないのですが、実入りがないのは「部屋を出される」につながり、これはこたえますから

焦ってないといえば、嘘になります。


自分ってものが、世間に否定されてるんじゃないかという気分になる最大の

理由は「返事がほとんどない」ことです。今日までに4つの会社に履歴書、職務経歴書

を送ってきて、返事があったのが1社。それもメールで即答、というもの。

2週間かけて、悶々と、粛々と履歴書を書きため、職務経歴書の書き方に工夫を

加え、添付する資料には見栄えのいい、ツカミのあるものを順繰り増やしてきた

毎日を過ごしてきてて、郵便局で送っても、送っても「面接」にもならないし、

返信もされてこない。


そこで今朝はついに「事務の仕事」の方が、年齢的にも受容しやすいんじゃかなろうか

などと、事務職を検索していました。経理も総務も「わかんない」世界で、やって

みればそれなりになるんじゃないか、ってことと、「そういうのを毎日やってて

自分は続くのだろうか」という畏怖とで葛藤がありましたが、葛藤してても進まないので

せめて合点のいく事務はないの?って探してたら、クリエーターの専門学校で裏方を

募集とありました。ハローワークに出かけていって、資料見せてもらおうってでかけました。


待ってる間に、高山からやってきてる女性が相談してるのを耳にしました。

対面してる人は先だって私の絵をおもしろがってくれてたおじさんで、しきりに

「履歴書とか、職務経歴書とか・・・事前に書いて用意してなくちゃ。

だって『明朝10時に面接ね』ってなったりしたら、今から用意しだしてたら

間に合わないこともあるでしょう?事前に用意してなくちゃ・・・」としきりに

せき立てる様子でした。


アドバイスとしてはまっとうですし、私もこうしてハローワークに来る前には

すでに4セットほど「履歴書・資料」のファイルを常備してますし、部屋のパソコンの

中には「送付状」「職務経歴書」が日付け、マイナーチェンジな差し換えさえすれば

すぐに打ち出せる状態でスタンバイされていました。どう手間取っても2時間あれば

一揃し、市内の面接に即応できるスタンバイをしていました。


でも、初見で、ハローワークにくるのが滅多にない人、ましてや自分の住み慣れた

地域じゃないところでの就職活動で、きっとその人は心細かったんだと思うのです。

(とか言っても、2年しかまだ住んでない土地だけどね)

かといって声をかけるのも変だし、準備をするにもパソコンの要るケースや、

写真館での証明写真、部屋にはすぐ着て出られるスーツの準備、と虎視眈々とするには

幾重ものセットアップがいるだなんて、最初は分からないですものね。



反面こうした準備に「慣れた」ところで、面接には至ってないし、書類審査で

バイバイってなってるケースもあるだろうし、私みたいに「書類は戻ってこないわ、

かといって落選の様子でもないわという、『まだ募集が来るかも知れないから』なる

企業側の事情に翻弄される」こともある。

つまり、どんなにこんな部分が「上手」になったって、まったく幸せな心持ちに

たどり着けない訓練なので、気分は全く向上しない。


そうこうしてる間に、自分のナンバーを呼ばれたので、窓口のおじさまに

「この専門学校の件を・・・」を切り出した。今日のおじさんはとってもていねいな

喋りな方で、真摯に話を聞いてくれるし、真摯に返してくれる。

「会社側にも都合があるでねえ・・返事が遅れたりとかねえ・・・休みだって、ホラ、

ここにこんなふうに書いてるけど、実際面接になった時にねえ・・」などと

さりげない注釈をつけてくれたりしました。


そこで勇気を振り絞って「あのう・・・一番最初に応募した○○という会社ですけど、

『1週間の間に返事』はないわ、かといって『履歴書返却』の約束も果たされて

ないわで、自分の状態がさっぱりわからない件がひとつあるんですけど、こちら

(ハローワーク)にはなにか沙汰が戻ってきてますか・・・」と切り出す。

端末でおじさんは「6人応募があって・・・4人落とされてます。今、ふたり

残ってて・・・そのうちの一人があなたです」といわれ、そうか、落選ではないのかと

にわかにホッとする。


そうはいっても、「なんにも決まってない」に変わりはなく、なにもしてない訳にも

いかないので、専門学校事務への紹介状を発行してもらう。


帰宅したら昼過。いつもなら飯前に資料送付するところだが、さすがに「送り疲れ」

してるせいか、今日はゆっくり御飯をいただき、洗濯物を片付けてから、ゆっくり

職務経歴書、送付状、履歴書のリファインを行い、郵便局へ。


どうして、どこの会社も「いい」か「悪いか」を示してくれないんだろう。

なんて切ない時間なんだろう。無視されてるような気分になるし、自分の場合は

年令のこともあるから切りやすい状態ではあるから、返事は遅らせたってかまやしないって

ことなんじゃなかろうか、と悶々と「考えられる」ことはそんなことばかりだ。


反面、これが一般の方と私の神経の違いだと思うんですが、「これだけの『職務経歴書』に

記載したようなこれまでの仕事ぶりってものが、ことごとく不要、とか評価できない、

ってんなら、こっちから業界丸ごとお断りだ!!!!!!」と、どこか本気で思ってるところがある。

本当に不要であるなら、工事現場でも古本屋でもいくわい!という決意も固めてる。


「今までの自分」でよくなかったことなんてひとつもない、と思ってる。

他人が評価してこない、事はあるかも知れない。でも映画もマンガも「結果を出す」

まで投げ出したものはないし、今までお世話になった会社も「お前は不要」で

カットではないので、「自分自身」に落胆する要因はない。ただ失職するだけ

なのだから、「使い物にならないかどうかを、どうか試させて下さい」ってスタンスは

微塵も揺らがないでいた。



ただ、周りがそうみるかどうかが、全然モノサシがなくて分からない、という不安である。

これを「無職になるなんて俺のバカ!」みたいな気持ちと混濁させると、どうにも

おさまりはつかなくなるし、気持ちを上向きにする理屈も見当たらなくなるので、

「俺は間違ってはいない」という砦は、やっぱり動かないのでした。


そうはいってもハローワーク通いはじめて2週間・・・今日送った案件込みで

返事は最長「2週間」なんてものがふたつ。どうなってるんだろう、俺・・・と

コンビニに寄って、福神漬を買って帰ろうと車を走らせてたら、ケータイに

留守電が。「不在着信のお知らせ」とあるので、聞いてみると、一番最初の一番

期待してた会社から「明日の3時に面接を・・・」と入ってる。


やった!


面接にまでたどりつけないでいた毎日に、やっと1本。

思うに、「月末」に至り、この後の募集はないな、と値踏んだ会社が、ようやく

面接で決めるか、ってところまで決心をしたのではないか、ということ。

返せば、「もっといい条件の人材はないか・・・」くらいには、自分の条件が

「即・決定打」のものではなかったのではないか、という危惧も走る。

仕方ないよね、おじさんだもの。


でも内に秘めてるのはおじさんのそれじゃないぜ、と自分で自分を鼓舞する。

まだなにも決まってない。面接後にバイバイ、ってなることもあるだろう。

でも自信もあるんだよね。

あの書類選考で通れたってことは、この自分の人とのやりとり、に「価値」が

あればいいんでしょう?

じゃあ20年近く接客してきた物腰が「無駄」だったのか、「拾い物があったのか」が

自分自信愉しみなのだ。そして今一度いいます。

「こんだけいいものばっかりちりばめた私を要らない、ってんなら、ああ、どうぞ。

これ以上はないよ!」って後ろ足で砂をかけます。どっさりと。

ですからどうぞ、どうぞ神様。

明日をいい日にして下さい。


同時に明日は、20年近くお世話をしてくれた会社とのお別れの日なのだ。

嫌な人、ひとりもいなかったな(お客を除く)。なんか、悪くない人生なんだよなあ。


おせっかいかもしれないけど、今日ハローワークにいた高山の人、どうか

これからの準備に心折れることなく、貫いて欲しいな。いろんな事情から

こっちに来れたんだよね?ここが住まうのに楽しいところに映るような

エピソードにあふれて欲しいな。頑張って。心から応援しますよ。見ず知らずですが。


この日の夕刻、今度はDTPオペレーターの件でもう一件面接が決まる。

明日、明後日と面接が続くことになりました。


事態が動く時っていうのは「まとまって」やってくる、という予感はあった。

予感はあるけど、全然来ないと、口にもできない。それくらいには、心が弱る。

両件とも「面接」なので、なんら決定打ではないんだけれど、それでもやっぱり

嬉しいな。

今日の今日まで「書類ですら通っているのかどうかすら分からない」立場であった

ことが、つらかったんだとようやく自分に言うことができるとこまで来た。

「終わる」まで、つらいことは、つらいって言えない。言えない、というか、

そんなのはつらいに入らない、と自己暗示する。してた。だから少しだけ

今日は自分を誉めた。「ここまで、よくこらえた」。


地味なことを投げ出さず、日々の生活を怠らず、過ごすことの難しさ。


そう、本当に難しいのは危機やピンチの時に「危機だから」「非常な時だから」と

塞ぎ込んだり、逃げ出したり、なにかを放棄するチャンスにする人がいるけど、

あれって本当に駄目になる。後戻りができなくなるほど、自分自身を破壊する行為。


イザって時が「普通」にふるまいきる、絶好の機会なのだ。

イザって時の自分を、今後何度も何度も思い出すようになる。それが生きるって事。

イザって時に、雑にした人をよその人は快く思わないだろう。それ以上に、

自分がいざと言う時に逃げ出す類いの人であることを、自分が行為で示したら

なにをどう言い訳しようとも無力だ。もう取り返しがつかない。巻き返せない。


だから今回、つらかったけど、黙ってるのしんどかったけど、やり通せた部分は

誉めることにした。心が折れそうにもなったし、目先の誘いも幾つかあったけど、

「自分で選んでシンドがることは厭わない」と決めてたことは、よかった。


シンドいけど、嫌だけど、つらいけど、それはそれ。通すものは通す。

貫いた分だけ、請け負うものを請け負う。そんだけよ。そんだけのこと。

受ければいい。その決心を忘れないこと。

あとになれば「つらかった」も「嫌だった」も「シンドい」もなくならないけど、

それによってゆがんだ道を選ばなかった自分に御褒美がある。

例え、御褒美がなくても、得心がいってる。合点づくになる。


そう思うと、嫌なこととかていうのは、試練ではあるけど、悪いものじゃないって

気がしてくるんだよね。不思議とね。


以上2013年1月30日現在まで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


初面接日。心臓バクバク。のどからから。名古屋の一等地のオフィス。

メディア寄りの会社で、大変早口の女性が担当していただける。話してて気付いたのは

自分の「スピード」「間合い」が業界のそれに対して、極端に悠長で、無関心である、と

いう立ち位置だった。しきりに「辞めちゃう人が続発する」「最短で4時間」

「自分の作りたいものを出してくる傾向がある。ゆとり世代」などなど、ナルホドと

勉強になることしきり。こういうとき、こっちの「プレゼン」はほとんど無視されることは

学生時代の就職活動で経験済みだったけど、やっぱり今日もそうだった。

返事は一週間以内。最初はバイト3日。そのあと様子見3ケ月。扶養家族がでてこようと

給与は変わりません、残業も当たり前でなにもつきません。


ザックザックといわれたが、この最初の正直さには面喰らったものの、誠意がある

と思えた。別れ際「似た業界はどこも人手不足ですよ」と軽くいなされた感じがあり、

不合格っぽいけど、なんか得心がいった。私のスピードは、おじさんなのだと分かる。


面接中に某デジタルコンテンツ学校の事務職についての留守電が入ったので、

来週月曜に面接。いろいろ見てやろう。自分も見るが、相手も見てる。


以上2013年1月31日現在まで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


朝目覚めて、もう会社人ではないのだと思い返す。まず掃除開始。うろたえたり焦ったり

するくらいなら、まず身の回りを整えながら動いて考えた方が健康である。


昼の2時にDTPオペレーター募集の会社に面接へ。驚くほど焦っていない。

日中にフレグランスなど部屋に焚いたからだろうか。昨日の緊張が嘘の様。

本日は次長・課長様と向かい合って会社のお話を伺う。ここ2回の面接で分かった

ことだけど、「紙面にはかけないこと」を説明するのが面接なのだ。就業時間、

拘束時間、給与に含まれてる「その他の給与」の意味が実によく分かる。


朝夜なく働くことになる会社だったけど、友人と遊びたいとか、お金ががっぽり

欲しいなどという要求は自分にはなく、ただ「できること」の開拓ができて、

相手がこの年の人を雇ってもいい、と思ってもらえる世界なのかどうかを身を持って

試しているところがある。昨日は正直に「試したいんです」と言ったら、終始

担当者にそのフレーズがつきまとってたみたいで、試しで来ないで欲しいのよね、って

ニュアンスを感じたので、今日はもっと慎重にいくと決めていた。


部長さんがとても簡潔に仕事内容を話され、「仕事内容」「雇用形態」とひとつ

ひとつが区切られるごとに「聞きたいことある?」とたずねていただけるので、

気になってることをいつもの調子で、というか、興味の湧いた分だけ無遠慮に

伺う。「なにか聞きたいことある?」というときには「お二人はなにが楽しくて

今のお仕事を続けていらっしゃいますか?」と随分無遠慮すぎる質問をしてた

ことにあとになって気付く。部長さんは「責任ばっかりですよ」とおっしゃり、

課長さんは「単位時間当たりに10できてたことが、20できるようになってると

うれしかったですねえ」となにか昔を思い出すお顔になっていらっしゃった。


「なぜ大阪から戻ってきたの?」とか「漫画書いてたんですね」と聞かれて、

自分の答えた内容を思い出すと、そうか、そういや今こうしてるのはそうした

こまごまとした、ひとつひとつをとってみればそれなりに喜劇だったり悲劇だったり

したものが、全部あざなってひとつながりの「ながやという綱」になってきてたんだな、

と面接中にうっすら考える。


お二方とも、現場の一線のプロの方なので、軽々な見立ては失礼だろうけど、

とてもいいひとに思いました。2週間ごとに昼夜逆転の仕事場だけど、なにか

勉強できそうな予感がした。


「じゃあこちらもなんにんかの方との面接の後に、結論を追って出すときに

お伝えする、ってことで」と今日の面接は終わった。

毎回思う。「面接してもらってる」のに、私はリラックスしすぎている!!

普通に本音で喋り過ぎている!どうしてこうなんだ、声のトーンもいつも通りだし、

相手の引き出し方が上手なのかしら?


昨日も今日もやっぱり「これまで作ってきたもの」は見向きもされない。

会社側の人は常に「会社側からの将来に渡っての人材」を探しているのであり、その人の

輝ける経歴は「抹消したい」ほどに不必要なのだ。これは20代の就職活動の時にも

感じてた。こっちが半年以上かけて作ってきた「映画」なんて見向きもされない。

200~300万かけた映画だって「見る気もない」をさらけだしてくる。

毎回これは気になってた。その人が作ってきたものは、どうしてこうもむげにされる

のだろうか、と。それだけで、作り手は、傷付くことを知ってる人たちなのに。


でも私は毎回要求されなくても付則資料と称して、マンガ、イラスト、映画のことを

強引に履歴書に添える。さりげなく面接中にも聞く。「ここはクライアント様の

意向で作品を作る場所ですよね。ですからこんな絵をどんだけ見せても意味はないと

分かっております。そこで・・」と話をしつつ、相手を見ると、だいたい大きく

うなずいている。つまり、クリエーターをめざして業界に来る人は「自分の作りたいもの」

をアピールすべきと思っているが、実は「クライアント(雇い主)の要望を叶える

道具になってくれますか?」というのがプロの世界なので、自己アピールは邪魔になる、

というのが共通認識なのだ。若い人ほど、この傾向は強いから、「そんなことは
どうでもいいことですよね?」と切り出すと、心ならず「そうなんだよ、毎回その点で

弱ってるんだ」って顔になられる企業が多い。


私は今日の会社では事務仕事ばりに「合成」「パス抜き」だけをする会社と認識

してきていたので、おおきな齟齬はなかったし、クリエイティブな期待はなかった。

というか、「クリエイティブがしたかったら、失礼ながらこうして伺ってはおりません」

とか言ってた。あかんやん、俺。


今日はもう一つ分かった。

私は「面接」を楽しみはじめてる!

普段入れそうもない会社にのしのし押し入り、お茶までいただき、会社の実情や

要求を聞いて帰る・・・面白い!こんな世界があるのか!書いてることとこんなに

違うのか!とその理由まで分かる。面接・・生活がかかってなかったら、もっとやって

いたいかもしれない・・・と、もうひとつ。

私、知らない人と話すの、全然苦痛じゃなかったんだね!びっくりよ。じゃんじゃん聞けるよ。

もう2時間話してろっていわれたら、話していられるよ。びっくりしたわ。

「他人」が気にならないのでした。知らない人とは「知り合うため」に話を聞いて

いけますもの。それって楽しいよ。楽しいわ。


今週はこれにて面接終了。来週はのっけに一件。裏方事務仕事。これまでやってきた

ことのないジャンルで、どきどきしてるんだけど、愉しみでもある。

また、面接を終えた会社は「しばらくの検討期間」の後に返事、が通例のようで、

複数にぶつかっていってる身としては、この有余期間はありがたい。


採用されるかどうか、こそがカギなんだけど、楽しむ気持ちもカギだな。

面接後、昨日で雇い止めになりました会社で各種書類と、最後の給金を頂戴する。

これが尽きたらおしまい、の給金。時間が少ない。でも楽しむ。やる。

今回は、「中年はどこまで社会にかまってもらえるのか」「中年はどこまで要求を

してもしかられないのか」もテーマなので、結果出るまでなんとも言えないけれど、

「世の中捨てたもんじゃない」感が、今のところ勝ってる。


「仕事は選ばなけりゃどうとでもなる」とか、かつていってたけれど、そうじゃないね。

私が室内職の事務方に執心してるのは、ここ数年の「屋外での熱射によるパニック」を

自覚してるからだし、これを例えば運輸業の最中でしでかせば、事故か、連続欠勤で

迷惑がかかることを念頭においているからだ。力仕事も、屋外仕事も見下げてないし、

嫌でもない。迷惑がかかる確率が高いのだ。


かといって、店頭販売は「若い女性」の方がいいし、書籍の店も「キャリア育成のため」

とかで30才以上の募集はない。アルバイト、パート雑誌も「中年のおじさま」向けは

ほとほと少ない。

一家の大黒柱が40代で失業したら、いかに打ひしがれ、社会復帰が難しいかは痛感

してる。まず「面接」までにたどりつくのに、1~2週間かかる。これは各方面の

「求人情報の見つけ方」「求人情報の読み込み方」に頭が慣れるのにかかる時間だ。

次に「書類だけ送って。返事は1週間後に」が圧倒的であること。1週間、途方に

くれるスタートに、心は折れやすい構造である。


でもいったんその仕組みと、自分に見合う情報の押さえ方が要領を得ると、

さほどの苦痛はなくなる。少なくとも、動いてるし、人と話すことになる。

あとは「落としどころ」を自分でどこに照準するか、になる。


生きていくために働くので、楽ではないし、要望も通りにくいでしょう。

でも悲観することはない。そこで新しいことを必ず見つける。必ず楽しいことも

あるはず。不安は多い。知らないことばっかりだし、自分に合ってるかも知らない。

それでいい。分からないところに出向くんだもの。向こうだって「分かってない

やつがきたぞ」なわけで、そこで愛される人になるか、向こう見ずなやつになるかは

その人の好き好き。いい、でもわるい、でもない。自分なり、になるだけ。


さー。どうなるかな。今日の会社は私と縁があるのかな。1週間くらい待って欲しいな。

もっと見合う話があるかもしれないしね。「一斉に駄目」だったら、古本屋やります。

(その募集が未だに続いていれば、ね)(先方が私を必要とするかどうか、もあるけどね)


ジェットコースターに乗ってるみたいだ。


以上2013年2月1日現在まで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

生意気にも、「土日は休み」と決めているので、失業の身ならば、年中休みだろーがの

お申し出もあることでしょうが、「休む時は休む」をしないと「動く時にすでにへこたれてる」

ことの方が際立つので、よくよくご承知おきくださいませ。


さて、月曜になったのでいよいよ失業保険のための準備に入りました。会社側が用意して

いただいていた書面をハローワーク窓口に持ってきますと、概ねふたつの

窓口に案内されます。ひとつは「あなたの場合の保険の量加減」を説明する部署で、

もうひとつは「今後の段取りの説明と、以後の窓口」の説明でした。


正直保険を頂けるつもりが念頭になかったので、びっくりしました。へえ、こんな

仕組みがあるのかと今更思ったほどでした。1時間もすると完了します。

あとは10日後くらいに一度説明会があり、そのあと2週間くらいで「認定日」ってのが

毎月やってくるようです。そうか、実にシステマティックにできあがってますね。

この時に要るものは「顔写真3×2.5が2枚」「預金通帳」「身分証明書」です。

万が一のために、と常々持ち歩いていた顔写真がついに底をついたので、おなじみの

写真館さんへ行き、今後の情勢が読めないため10枚ほど追加焼き増ししました。

写真館で撮っておいてよかったー。


本日は夕刻に面接一つ。どんなところだろう。このごろは知らない人や知らない場所で

話せるのが楽しみにすらなってきた。結果がひとつも出ていないけれど、焦らないで

いこうときめてるので、許される限りは悠々自適にいきたいものです。


最初、「クリエイティヴ」な仕事で、自分がどこまで通用するかと挑んだんだけど、

若くないために業界の求めてるスピードとは齟齬があることが理解できてきた。そこで

事務職なり、バックヤードで人の成長が助けられる仕事にシフトしはじめた。

そうそうトンガリ続けて働きたいという信念ではなくなってるのかもしれない。

そうはいっても「なんでもいい」では全然ないので、やるからには自分の培ってきた

見立てが使える職場を求めているのでした。


以前募集を終了していたもよりの写真館が、募集再開をされているのを今朝の

検索機で気づいた。ム、これは

1.募集してもすぐやめられちゃう職場、なのかそれとも

2.以前の募集ではいい人材が絞り込めなかったという間口の狭い門、なのか

といぶかしむ。近いから大変ありがたそうな募集なのだが、仕事場が近すぎると

気後れしそうなのよねえ。


そんな贅沢言ってられる身分ではないので、今晩の面接の手応え次第で、明日

動こうかと思案する。


なんのかんのとやれることはあるものですね。


今になって、自分の年齢が高齢に属しかねない、使いでに迷う微妙すぎる

ものであることに気づく。一から育てるには先が短すぎるし、年配者として

遇するにはなにができるか判然としない印象になる。


こっちは普通にやる気満々なだけな人であるが、私と似た境遇にあって、

なおかつ「若かった」ら、そして「ひとつの椅子」を取り合うだけの

状況下で検討されたら、若い人に軍配があがるものである。


つまり、私は常に「若さ」を比較されても、それを押して乗り越えるだけの

採用理由を、自分で生み出さねば、選択されない、ということです。


当たり前なんだけど、これがなかなか飲み込めないんだなあ。

年配ってわりには、貫禄もどっしり感も足りない。魅力は抜群ですけどね!!!!!!!!!!


P.S この日の面接は名古屋のど真ん中でした。1時間半に及ぶ面接で、話してて

コンテンツ産業の営業の話が出てきました。会って話してるってことが、いろんな

可能性の方へシフトしてくれるものだなあ、と行動することの重要性を再認識

しました。まず、動く。考えるのは、あと。


以上2013年2月4日現在まで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


昨晩、身内に不幸があり急遽実家に顔を出すことになる。式は夕刻であったため、

ハローワークに朝一番にたどりつく。朝は8時半に開くので、窓口で気になってた

写真関係の会社について相談する。事前にここは「即・面接」と当たりを取っていたので、

担当者さんから「この件は、即面接になりそうですけどいいですか?」と問われ、「そのつもりです」

と応える。実際話が終わって2時間後には面接をしていた。思った通りの会社で、心地よかった。

今回の面接中、はじめて「内部見学」にをさせてもらった。返事は1週間以内。


一方、この日最初の面接会社から不採用通知が届いた。話をしていて、要求されるスピードと

私が合致してないことがはっきり分かる面接だったから、私には有意義なものになった感触が

あったので、素直に感謝した。


式に先立ち、弟と「就職」について話す時間があった。30歳を超えてからの再就職は

自分自身だけでなく、家族を含めて動ける距離、収入、期間に制約がじゃんじゃん重なる

話をして、一方家族に心配させたくない、という心理も大きいという話。


でも私は思う。「他の人を心配させない」というのは、なにか別の感情を覆い隠してる。

自分の事実を知っておいて欲しい気持ちもあるし、言い繕うにしても「嘘」との差は

少ない。気を使って、といえばきれいだが、小さかろうが短期間であろうが嘘をつく

ことになるのは、自分を大きく傷つける。


こここれまでの状況をそういえば父母にも話してなかったので、この帰省で「こうなってます」

と伝える。私の場合、ほとんど全部話すので、心配を大きくかけるが「イザって時にも

繕わない」方が財産だと思う。信頼を得ておく方が、失業を隠すよりも長い目では誠意がある。


今日受けた会社が一番すんなり気持ちが流れるところだったけど、こればっかりは先方が

いらっしゃい、と言ってくれない限りは縁とはならない。果報を待つ。


今日、面接したのちに落ちる、というのをはじめて経験したけれど、ミスマッチ感が

強かったので、これでよかったとも思ったのでした。「たくさんの人に会うこと」が

就職活動では大事だ、とガイドブックにあったけれど、その通りですね。

書面で「よさげ」であっても、かいてある通りの会社はひとつもなかったし、

人にあって、聞けば聞くほど、向こうも正直に実態把握を最初にさらさないと、あとで

「それは聞いてない!」と辞める事例が山のようにあるので、赤裸々に話してくれてる。


あと「返事をするまで1~2週間」をどこもつけるのは、「内定」をいくつか持った人は

迷ったり、ぎりぎりまで選択をしてたりする余地を生むものだったんですね。

勉強になるわー。身をさらしてないとわかんない。私個人、仮に内定が複数になったら

どう振る舞っていいのか分かってないから、正直どきどきしてるんだけど、これもまた

社会勉強になります。人生は日々新しい。


ひとまず、ここ2~3週間で気になってきた会社は面接し通したので、いったん返事を

まつ猶予を自分に与えようと昨日思いました。つまり、まだきてない3つの会社のうちで

なにか自分にフィットするものがある予感がおおいにするのです。まだ面接の返事すら

ない会社もあることですし、いったん整理の時を持とう。焦るばかりが就職じゃない。


こんな風に思える分だけ、このエッセイの初期より経験値があがったのだろうか。

経験値?なにやっても、なにみても新鮮だってのに、経験だなんてどんなに増えても

どんなに長くても「それはそれ」なだけで、どこまでも起こることは「最初のこと」

なのだから、ただただ自分の人格でぶつかっていくだけでいいのだ。そこで否定されれば

縁がない、で済むことだし、ミスマッチだった、とわかってそれでよい。

人格とマッチする、つまり相性を探るのが就職活動と思えば、卑下しない自分で貫く

気持ちに、ほんの少しかもしれないけれど、シフトできる。


以上2013年2月5日現在まで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 


昨日は一日、休むことにしました。心のどこかはやっぱり気疲れしてたみたいで、本を開けても

文字を読んでるのに内容がさっぱり入ってこなかった。久しぶりに自己流座禅を組んでたら、

少し心に余裕ができた。夜もキャンドルだけで過ごし、いつもより早く寝た。


今朝、ネットでハローワークを見る。今検討してもらっている会社もあるさなかで、

「駄目だったら」と次の案件を探しはじめる、というのは、どこか裏切り行為にも感じる妙な

後ろめたさがある。ひとつは受けた会社に対して失礼な気がするし、もうひとつは

自分自身が自信が本当はない、と認めてる気持ちになる。最後の一つは「もうこんなの嫌だ」という

逃避の気持ちからそうしてるんじゃないか、という猜疑心。


ひとまず最後に受けた会社面接にどことなく手応えを感じていたので、そこへ入ったらなにしよう?

って勝手に想定し、そのプレゼン準備で図書館にむかうつもりだった。そこへケータイに

電話が入り、直感通り、最後の面接会社さんが、一番最初に採用の返事をくれた。面接から2日で。


「ヨソとの兼ね合いでどうですかねえ」と聞いてただけて、そうか、就職活動者というのは

一般にいくつも面接を受けてて内定とかの返事待ちとかで兼ね合いがあることを、

採用する側も気遣ってくれているんだとしみた。


「そちらに入りたかったのでぜひお願いします」と即答した。

先方が来週の火曜まで多忙とおっしゃるので、今日から火曜まで6日間をバケーションとする。



えー、

まず、なにより、採用していただきありがとうございます。頑張ります、頑張りますよーと

心に誓う。そして


よくやり抜きました俺。


そのあと、メールにて某キャラクタデザインの仕事についての不採用通知が届く。残念。

どうもゲーム業界は若手がのぞまれてるのかしら。ひっかかりもしなかったな。


自分への褒美にシュークリームとワッフルとみたらし団子を買い与える。でかした、俺。


以上2013年2月7日現在まで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


総じて


某本によると、身の回りをきちんと整頓し、要らないものを捨て、部屋の空気を入れ替え、余分な

家電は電源を抜き、自分の体と向き合って生活していることで、運のようなものは巡ってきます、と

いうものがあって、少なくともその感じを私は支持しております。ですから部屋の掃除とか空気の入れ替え

など、できるものはやっていたのです。


事実、私の身の回りはおどろくほど激変してまして、上述の整頓の実践をしてから、本当にいろんなことが

ぎゅんぎゅんめまぐるしく変化していたのでした。で、まだだま変化の予兆を予感していた矢先、本当に 

でっかい変化がやってきて、うろたえました。ひるみました。


でも変化そのものが悪いんじゃないんです。どの変化も「来るべくして来た」変化であり、避けるよりも

受けて立つ、方がいいものになるという直感はあったのです。直感はありますけど、怖さもあるのでした。


でも自分なりにつらいさなかでも、「整頓」「空気の入れ替え」「掃除」は持続したのでした。



雑にしたり、汚くした部屋に住まわったままで、「自分の人生」の方にいいものが放り込まれるわけが

ありません。いざ、というときにこそ、「普通」であることを念頭に置きました。

少々執着しすぎなほど、部屋は清潔を心がけました。「今やってること」に「次ぎにくるもの」が連なって

いるのが人生です。なら、「今」を清潔か、綺麗にしておけば、次ぎにくるものは「今の上」に乗っかって

くるのですから、そうそう下降もしないでしょう、と身勝手に想定したのでした。


反面そんなに熱心に整頓したから、変化も来たのでは?と思わないでもなかったのですが、内心どこかで

変化を求めてもいた気がします。なにがしかの空気を、自分の感性に入れて、風通しを良くしないと

悪くなるか、濁る気持ちを自分に感じていました。この気持ちがなにかを招いたのかもしれませんね。


心配事っていうのは、ほんとうに人の視野を狭めるもので、短絡的に、目先の心配に狂おしいほど

執着し、混沌とし、自分が普段掲げてる「理想論」みたいなものを木っ端みじんに粉砕する威力があります。

「ピンチのときなんだから、いつも通りじゃいかないって思ったんだ!」で態度を変えることもできますけど、 

今回、それをしないでほんとうによかったと思いました。


いざ、ってときに「やり方を変える」と、それそこまでそうしてきた「経歴」も否定してしまいます。

かりにそのあと「なんとかなって」も、自分はいざというときにやり方やモットーを投げ出せた人だ、という

気持ちは太くなっています。


私は「いままでやっていたものを投げた」つもりがありません。全部自分の財産です。

いざというときに、自分はどうするんだ、と少し冷めてもいました。苦しかったけど。ずっと。

お腹、下しっぱなしになりましたね。今朝も3度もトイレ駆け込む始末で、ああ、丈夫な人ではないな、

自分、って思いました。


仕事って「相性」ですね。どこまでも。



今回感じたポイントを総括します。

1、なにごとも 3年は続けてないと、「やってた」扱いに他者はとってくれない

  (どんなに口で言い繕えても、相手は全く意に介してはない)


2、やって来たことは、結果が残せてないと無に等しい

  (結果がどんなにあっても、基本的にはスルーされるもの、と心得る。

   なのに結果が出せてないと、『たまたま見る気になった』人にインパクトする機会すら失う)


3、世界は人手を欲してはいる

  (ゆとり世代以外の人に吉報。『人とうまくやりとりできる』ことを望んでる企業が案外多い。

   専門技術よりも、人とやり取りすることを大事にする人はいつでもどこでも望まれてる。

   ゆとり世代の人へ・・・他人に興味を持ち、進んで相手の話を請け負えると、人材として

   求められる機会はきっと増えそうです。『自分の言い分』よりも、相手を先行させる気遣いが

   企業が求める人物像のようです)


4、自分を卑下しない

   (うつむいて話したり、隙を見て自分の得意なことに突っ走る傾向があると、避けられます。

   自分ではなく、他人に役に立つ人であれば、いつでも会社は欲しがります)

   (がっかり上手な人を好きな人はいない、ってことです)


5、たくさん「会いにいく」

   (会社にも、人にも、会いにいった方がいいです。そこで聞ける話は、滅多に表に出ない

   実情にあふれているし、多くの人に要望されてることはなになのか、足代だけで大いに 

   勉強ができます。運が良ければ縁もあるでしょう)


6、しつこく探す

   (ひとつふたつ「これくらいでいいや」って感触の会社が出てくるでしょうが、直感といいますか、

   相性にビビッとくる会社に巡り会えるまでは粘っていいと思います。「正しくて」「良さげな」だけで

   属するより、「感性」にハマる会社っていうのが、一番長続きするところだと思います。


7、他人に迷惑をかけてる・・・・・とか「考えない」

   (他人がどう思うかは、よそへおける限りはことごとく置いちゃった方がいい。まずなにより

   あなた自身が整うことを、「心配するであろう」人は望んでるんだから、その核心のあなたが

   他人に迷惑かけてるんじゃ・・・などと気遣いする余裕は、まず自分をなんとかするってことに

   振り向けたほうが、全くもって正解。迷惑をかけない人なんていない。心配してくれる人は

   心配をしたいのであって、それに対してあなたが「心配いらないよ」っていうのは、嘘にもなるし、

   その余力がもったいない。使った気遣いの分だけ、他に振り向けられる気力を削いでいるんだ。



などと、エラソーにかいてますけど、本当はまだ、給与も詳細も決まってない「無就労状態」には

違いないので、ひとまずこのエッセイが終えられ、アップできることに感謝します。


人生は「他人との関係性の中で決まる」ものですから、じゃんじゃん人に会うことですね。

あと、自分を他人にさらしても恥ずかしくない、自慢したいところに向かわせておくこと、ですね。

それは「自分大好き」ではなく、「いざというときに物怖じしない」だけができなくなっちゃうんですよ、

人って。いざ、ってときにひるまないでいる、ってだけをするには、自分を高めておくしかない、の

意味ですからね。奢れるほど自尊心が高くてもうっとおしいんです。そうじゃなくて、全ては

「いざ」ってときに、ぶざまにしない自分に出会う訓練、って思ってください。

この考え方は頼りになりますよ。・・・「これしか、ない」かもしれないけど、生きていけるようになります。