作成日: 13/07/15  
修正日: 13/07/15  

いとこ

同い年ののぶくんはフレンチシェフ





近隣とは言いませんが、私は隣の県くらいなら美術館・博物館に行くのはためらいがない方です。
ウルトラマンの創世記ってふれこみの催しを新聞で知り、行ってみることにしました。
ウルトラマンのマスク、設定資料、ビニール人形が展示されていました。

カラータイマーの展示があり、なぜ点滅することになったのか、のいきさつを知り「へぇ!」と
うなったのでした。(詳細は催しにて知ってね!)MATの制服とか、かっこいいなあ。
ミニチュアモデルの出来映えは、イマドキの市販品の方がクオリティが高いのを知りました。

確かに16ミリフィルム(当時のテレビ映画フォーマット)の手合いなら、このくらいのディティールで
いいんだろうなあと思いつつ、じゃあ市販品のおもちゃの方がクオリティやディティールが高いのは
観客として観ていた、そのおもちゃの制作者たち世代は、眼前のもっさりした撮影用モデルを
「あたかも怪獣たちと熾烈をきわめて戦ってる、かっこいい戦闘機」と「見立てて」製作したんだなあと
妙な視点で感心してみていました。


一通り見終わってから、今回の本題たるいとこのノブくんに会いにいくことにしました。
当美術館のレストランをご夫婦で運営してるっていうので「チラ見」のつもりが、厨房から
出てきてくれて、うんとお話できました。「まーくん、昨日来てたら(円谷プロの)偉い人に会えたのにぃ」と
いつもの笑顔で、そして数年前よりぽっちゃりした体系で人懐っこく笑う「当たり前さ」がとても
心地よかったです。





いとこがそこにいる、ってだけで、顔を出しにいける場所があるっていいもんですね。
お互い同い年だから似通った時代背景や、人生のデッコンボッコンもそこそこ見ているから
今に至る事情がいくつか分かりあえる。1年前までは別の場所でテナントで店をしてたのぶ君が
こうして市の美術館で食事を出してる、っていうのは「結果」であって、かつてナニをしていて、
ナニがドウ進んで、今ここに至ってるか、を思うと少しジーンともしました。

のぶ君と話していてしきりに出てくるのが、「ナガヤ側の親族」ってものでして、その頂点の
「本家のおじさん」がやっぱり「軸」だったのを、二人で話しててとても強く感じたのです。

私のエッセイを読んできてくれてる人は分かってると思いますが、ここに言う「本家のおじさん」と
いうのは、私の父の「兄」であって、ナガヤ家全体の空気を印象させる人です。おおらかさ、
優しさ、親身になって助けてくれたことなどが、のぶ君にも私にもいくつもいくつも心当たりが
あるのです。

「親族」というのは縁の薄い所も、濃いところも、各々の家庭事情であるとは思うんですが、
ナガヤ家系統の持つ「雰囲気」の主幹は、あきらかにこの「本屋のおじさん」にあるのでした。
私もとても多くの性格の流れ・振る舞い・考え方を、強くこの「ナガヤ家の雰囲気」を汲み取って
今に至ってます。「自分」の半分くらいは「親族」から譲り受けられ、渡されてるものだと思うのです。

のぶ君と話してると、いかに親族の縁に守られて、ぎりぎりのところで橋渡しをしてもらったか、
それを自分がどんなに喜んでいるか。そのあとに「続く」人生の突端にギフトされたものの大きさが、
今の自分ってものにどんなに大きな助けになっているかを滔々と、笑顔で話してくれるのでした。
と、いいますか、「話してる顔」が嬉しそうになってるのがとても印象に残ったのです。




親族、と一言で言っても必ずしも仲良しであるものではない、ことは、けっこう大人になるまで
私は疑ってもおらず、いやむしろ、「知らなかった」気配すらあるのです。
基本的に私個人は父方も母方も多少のモロモロはあるにしても縁深く、楽しく、仲良しなので
どこの家庭もそうなのだと思ってました。そして言葉にするにせよ、しないにせよ、「いざというとき」に
結託するのは「あったり前」に感じていました。(実際はもっといろんなことが起こっているが、
私はおもしろいくらいにそういった方面の事柄に疎かったり、重きを置かないので、『気づかない』ことが
往々にしてある。大雑把に機能してる)

おかげで「基本的に大人を信じる」ことを私は疑う必要もなかったのです。
ですから大きくなってから「自分に害をなす」大人がいることを知ったときには大変苦悶しましたが、
それくらい親族の示してくれた「おおらかさ」「寛容さ」の影響は自分に馴染んでいたのでした。
そして自分はどういう方向の人になっていくかを思う時、自然と親族の示した方向の性格に
善かれと思うものを感じてコマを進められました。大きく迷った時に、そこで「選べる道」が
大きく分岐してる時に、「なんにもない」ではなく、「ナガヤ家の流れからすると、こっちかも」的な
道筋がすっと黙ってそこにあり、躊躇もためらいもなく、自然と「そっち」に進むのでした。

のぶ君がしきりにおじさんやうちの父を褒めるので、私はうろたえを覚えるほどでした。
これをしてくれた、あれをしてくれたとのぶ君が言うたびに、「そういやこういうことあったなあ」とか
うすぼんやりと思い出すのですが、のぶ君が言うほどの感謝ってほどのものだったろうか、とも
感じたのでした。

そこで少しはっとしたのです。ああ、感謝できるほどのものをもらい、受け取っていながら、私はどこかで
「当たり前のもの」になってたのだなあ、と。それくらいに自然に、大量に満たしてくれてたんだなあ、と。

親族のつながりも、心配りも、「当たり前」のものなんかではなく、人為的に、意識的に配慮されて
なされたことばかりです。おじさんにしても言わないで済ました「内側の苦労」をほとんど漏らさず、
ただ「尽くして」くれていた感をこの時強く感じたのです。

人は心底つらい思いをさせてきた相手を憎んだり、疎んじたりしたくなっちゃうときもある。
反面、心底つらい時に差し伸べられた手を、人は忘れない。
ながや家の傾向はこの後者の感性がとても強いとも感じ直したのです。のぶ君のひっきりなく喋る
三河弁の感謝の言葉の列が、昔からちっとも変わりがなく、ただお互いがお互いに同じ年月を
年を食ってしまったねーと笑って話してる。




親族が知る「昔っからの~」というお互いの素性と、家系の傾向や雰囲気について話せるっていうのは
いいなあ、と思いました。のぶ君の奥さんも大変気遣ってくれる方で、恐縮するほどでした。




普段してる他人との「普通の会話」ではしようのない「過去からの連鎖の真っ最中」ないとことの会話は
濃密で、感情にあふれてて、短い時間だったはずなのに、いつの間にか閉館時間を過ぎていたほどでした。
幾らでも話してられますね。どんだけでも。

最後に厨房を見せてもらい、「これ好きなんだよなあ」とうっとりした顔つきでのぶ君が示した
「サーロイン購入の履歴」をば張っておきます。ここでこうしたレストランを運営してるっていう
充実感や緊張感、言うに言えてない今の事情、過去からの事情、将来への事情をないまぜにして
時々話すって言うのは、いいものだなあと感じた半日でした。




レストランオーミ”http://restaurant-omi.com/”
どうか皆様、ごひいきに。


おまけ
本家のおじさん、おばさん



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