作成日: 14/01/19  
修正日: 14/01/19  

”ふつう”だったもの

なんにもわるくなかったです




駅前を歩いてて、違和感を感じました。あれ?なんだろ?
駅前のいつも使ってたコンビニが閉店してました。
え!駅前ですよ。一等地ですよ。

繁盛、とはたしかに違う形容しかできない店舗ではありましたが、なくなってしまうとは
思いもしませんでした。24時間営業してくれてたのに、スッとなくなってしまいました。

ここ数年、この感じがとても多いのです。
「決して劣っていないサービスを展開されている業種なのに、そこで生き残っていけない」ということ。

なくなる、ということは、経済的に必要とされてないってことなのかな。将来性はないってことなのかな。
必要なのに、なくなっていくってものが、じりじり増えてる気がするのです。インフラとして役に立ってるのに
そこに「居続ける」ことができなくなっているものが、どんどん増えています。

社会全体が「支えられるもの」を減らしていってるってことですよね。
「要るもの」まで削る段階に入ってきてるっていうことなのか、変化の途中なのか。
それとも「業界の1位しか生き残れない」という、ゆとりのない、懐の浅いモノカルチャーな世界へ
邁進しているのか。

「生きて過ごしてる、その地域では一番」程度の秀逸さで、生き残っていけた時代が、どんどん減っています。
「その地域では有名な」人も、「その地域では一番賢い」隠居さんも、「その地域では一番の顔役」な人も
『もっと大きな全体からしてみたら、中庸』という、「その他大勢扱い」されちゃってる人口ばかり
増えてる気がするんです。

その地域で抜きん出てたら、それだけで存在価値あると思うけどね。その地域で生まれたものは
その地域で求められて育まれてきたものなんだものね。「生まれたときからずっとそこにあった」とか
「自分が来た時には、風景としてそこに成立してた」ものって、「なくなる」なんて思いませんもの。
親と一緒で「ずっと、あってくれるもの」と、体の方が叫んでくれるような存在感。

地方銀行程度の規模で一位だった便利な銀行が、合併に合併を重ねて「メガバンク」とやらになって、
地元の店舗は閉鎖され、手数料ばかりせびり、サービスは目に見えて劣化してて、それでいて
「生き残ってる」っていう時代なんです。不便で巨大なものだけが残ってて、手元にあって便利だったものは
どんどん抹消されていってる。

ふつう、に、そこに「あってくれたもの」は、そこに居続けるために、ずっと頑張ってくれてたんだね。
それは普通、なんてものじゃなく、水面下でみっともないほど足をばたばたさせて、踏ん張ってくれて
いたんですね。

なくなるときも、いつもの、ふつうで通してくれてたんですね。
そして、普通は、普通として、まっとうして、なくなったんですね。

さみしい。
さみしいです。

悪くなったわけじゃないのに。
なにひとつ、悪さが原因じゃないのに。

こんなとき、世界が連結しすぎてることを疎ましく感じるのです。
その地域で、地域の一番手として、じりじり生き残っててくれたらいいのに、って。
世の中が、どんなに寒風吹きすさんでいても、つながっていなけりゃ、よかったんじゃないのかって。

悪くなくても、生き残れないだなんて、さみしいですね、本当に。