作成日: 14/02/08  
修正日: 14/02/08  

勇者ヨシヒコを毎日2話づつ観てます

うれしいやらしんどいやら


先週からDVDづいてまして、今週は「勇者ヨシヒコ」シリーズを毎日2話づつ観ています。
見るほどに、心が弱り、リフレッシュし、大笑いできるのはさすがです。
チープなのに、突き抜けてて、芝居もうさんくさいのに、素敵で、真似したくなれちゃいます。
いいわー、これ。

一方、その他の世間一般にいうテレビドラマってモノが、なかなか作品を見通せないのはなぜかと、
ふと気になりました。テレビ番組のドラマに出てくる人物像がどうもうさんくさい存在感だなあと
感じてていっそ「勇者ヨシヒコ」ほどのうさんくささに達すると、達観しすぎてて
愉快になれて、見通せていますから、私には一般のドラマが「ヨシヒコ以下」に位置します。

つまりは「役者は仕事上の『役』なので、その人なりに頑張った」だけの芝居を見せられても
ナニガシカ、嘘くさいのはなんなんだろう?と思いますに、「日々の生活に疲れてる人」が
主人公たちであるなら、ドラマに出てる人は「日々の生活臭」を背負った上で「ドラマ上の葛藤」に
さらされるはずだと思いました。

つまり、事件やハプニングに対して、登場人物たちがあまりに「全力でぶち当たっていられる」って
点が、どうやら飲み下せないようです。

ひとつ事にかまっていられ続けるほど、余裕・ゆとりをかましたドラマの登場人物が薄っぺらいのです。
「そこに使ってられる時間はせいぜい1時間」とか「並行して解決できそうなことなら、かまう」という
手合いの生活スピードに「生き慣れてる」人にとって、テレビドラマの役者の「放つ事にしてる」という
芝居が、付け焼き刃過ぎるのです。私個人としましては、肉薄はしていて欲しいのです。

芸能事務所推しの役者に彩られた役者陣のドラマでもかまいませんが、人の厚みを「芝居」として
味合わせてくれることを主眼にしていただいたい。生活臭がまるでない、のっぺらぼうな、無神経な
不勉強なお芝居を、シナリオ通りに進めた挙げ句に「精一杯」であっては目も当てられません。
やるなら「勇者ヨシヒコ」シリーズくらい突き抜けてください。「作りもんです!」「ハリボテです!」という
凛々さがまぶしいのです。「うさんくさくいきます!」「駄目元です!」「合点づくです!」であるなら
「それは美しい!」と同意できるのです。「仏だけに、ほっとけ!」の台詞が待ち遠しくなれるのです。