作成日: 14/02/08  
修正日: 14/02/16  

オリンピック見てて

脇役は名脇役であるべき


ソチ・オリンピックがテレビで連日放映されております。毎日毎日朝から晩まで、晩から朝まで
続いております。選手の皆さんががんばっています。寒いさなか、頑張ってください。

オリンピックの選手というのは、各国内で選ばれた人たちな訳で、国内で一番!クラスの
人たちなんですよね。スポーツを始めた事情は各々で、きっと理由があったのでしょう。

続けていて素養があり、縁があり、育つ土壌があって、オリンピックに出る、それそのときまで、
ずっと頑張ってきてたんですよね。発揮できるといいですね。

と、ここで「我が国にメダルを・・・」と無配慮に報道するニュースがどうにもうさんくさくって
嫌ですよ。あれは嫌ですねえ。
勝てる見込みのある選手をのうのうと持ち上げ、メダル獲得できなかった選手を突然無視してて、
これってひどい態度じゃありませんか?って憤ってしまうのです。
手伝いも、応援もしないできた報道番組たちが、突然選手の一喜一憂に参与する無礼さがすごく鼻に
つくのです。勝つも負けるも選手のものであればいいのです。国のためじゃないのです。
選手が国内を意識して「勇気を」とか言ってくださるのはいいのですが、「日本にメダルを」と
報道機関がスマイル顔で「当たり前じゃん」って顔で言ってるのが、心底憎いのです。やめろ!と。

このごろ「憎む」喧伝や教育をしてる国の話を耳にすることが増えました。
政治の事情から、国民と政府の意思が、どこか乖離してる国が、「国民の憤りのはけ口」に
他国を罵倒し、安い安い優越感を持たせるやり口も、どうもつらいのです。

「憎む」ことも「罵る」ことも、人の中のどんな感情を強化しちゃってるかを思えば、あまり
繰り返し強化しない方がいい感情です。
怨恨や偏向教育をほどこしてしまった人たちは、いずれはほどこされた人たちから
濃厚になった感情を、真っ先に突っ返されますよ。「天につば吐く」ってやつです。
これはねえ、よしたほうがいい。なにかの意図があってそれをあおるんだろうけどねえ、
人の中に、感情として擦り込ませていくやりかたは、本当に禍根を残しますもの。


オリンピックの選手が、メダルに届かない時には、「自分は少し力が及ばなかった」だけで済ませて
あげたいのです。「みんなが応援してくれたのに」とか「我が国にメダルを・・」とか余計な心労が
選手を打ちのめす権利なんてないんじゃないかって思うんです。
国とか、みんなとか、言わないでいいし、考えないでいいからね。選手さん自身がスポーツを始めた理由で
オリンピックに参加したんだから、がっかりするなら「自分の理由」分だけで十分だからね。
メダルなんておまけです。いいんです。とるとかとらないとか、他人が言ってくることじゃない。

もう少し、安心してみてていいものなんじゃないかな、スポーツってもんは。
もう少し、安心して挑んでいいんじゃないかな、選手たちは。
国なんて背負うな背負うな。スポーツは君のもの。勝っても負けてもあなたのもの。うれしさもがっかりも
あなたのもの。わたしたちはそれを見て、気持ちをほんのちょっぴり、おすそわけいただく具合で
いいんです。

なんかこう息苦しいんだよね、「国」ってやつがうろうろし出す会話ってものが。
報道機関がとつぜん選手を応援しだして、負けたら慰めたような台詞をキャスターに言わせて、
あんたら選手成長に関わってきてない側の連中ですよね?「報道する義務がある」みたいな顔つきで
成長に参与してこなかったくせに、結果の出る間際に、突然当事者面してやってきた人たちですよね。
いさめたようなことまでしたり顔でコメントする人までいますけど。

邪魔なんスけど。
不愉快なんスけど。その存在のあり方が。気持ち悪いんですけど。
卑怯というか、ずるいというか、ハイエナみたいです。できればやめていただきたい。

スポーツそのものをプレーンに見せてくれれば結構です。そして見てる人たちの側で
「自分の中に高める感情」を培わせてくれる豊穣さを、報道機関は示して欲しいのです。
食い扶持としてシロート芸能人のコメントも、国威発揚を内在させた遠巻きな仕込みも不要。
やめてやめて。よけないな事、載っけないで頂戴な。