作成日: 14/02/23  
修正日: 14/02/23  

我が家の傾向

「便利」と「正しさ」と「幸せ」と


父はいろんなことのできる人だと未だに私は思っていて、事実、地域の役員などを
押し付けられてはお断りがうまくいかず、ずるずると引き延ばされたりします。
基本的に「逃げる」「避ける」が念頭に来ず、これが家族にも引き継がれていると思うのです。

母は公に出るのをできるだけ控えており、いい、悪いが比較的はっきりしているし、それが
いったん決まると、自分でも理屈抜きでそれを突っ走る傾向があります。

双方の上述の部分が積み上がって、どこかそういうのを私の兄弟は囲っておりますので、
世間からは「便利な人」で使われやすいのです。

すぐ下の弟は「断れない」が顕著に出てて、兄目線としては自分が我慢するってことを
あまり自覚なしに「頑張れるとこまでは頑張る」をするので、少しばかり心配です。
とてもしっかりとした奥さんをもらった弟なので、きっと上手に支えてくれると
思います。

もひとつ下の弟は兄二人の流れも見てますが、根っこの部分でこのながや家の性格を
無意識に維持してて、周りから放り込まれてくる諸問題にギャップもあってか、けっこう四苦八苦して
彼なりに対処をしています。私とは14歳ほど離れてるので、彼の世代の世間と、私の世代の
世間には違いもあるから、「ながや家の傾向」をどれだけ意識的に向かい合うかで、生きやすさが
随分かわると、いつか話したくも思います。

基本的に「放っておくと、便利な人」に位置することが昔から多いのです。
使い勝手の、利便性の良さがあると思います。ゆえに、私は成人してからそのことを父母と話した
ことがあります。「いろんなことを囲っちゃうこの性格はも少しなんとかしなくちゃ」と。

他意のない人の中にいればそこそこ悪くはありませんが、世間には「自分の意図」や「自分の願い」を
突っ込んできて、「利益部分を得たら、わりかしスマートにサヨナラ」の器量よしの人もいますので、
こういう場合、教え損、使われ損で終わる事もままあるのです。

世間的に「正しいから」ではじめると、けっこう正しくたって、「不幸」に終わる事もあります。
正しさ、からはじまった「不幸」は誰も尻拭いをしません。まなざしはここに注いでおくべきです。
「正しくたって、やらない」の頻度を、ながや家はあげたほうがいいのかもなあ、と私は思うのです。

両親が教えてくれた、比較的おおらかな良識は、私が日々過ごしている中で、とてもすんなり
世間になじませてくれるものでしたから、おおむね人間関係でギスギスすることは少ない方でしょう。
あったとしても、それは私の成長過程で自分で仕入れた性格に起因したことです。

ただ放っておくと「色々やってくれる人」になりがちなながや家傾向は、怪我もするんですよね。
しないでいい怪我を背負うこともあるし、便利、便利で近寄られると、私なんかはとても嫌気がさします。
相手が「要る」ことをしてあげたいのは人情です。時間も手間もかけてしまうのです。正しいのです。
正しいのですが、それだけじゃいかんのです。正しいだけじゃ、幸せにはならんのですなあ。

こうも思うのです。父・母には、もっといいことがたくさん起こってもいい人たちだと。
なにか喜んでくれることしなくちゃとも思うのです。無私に、私たち兄弟を励ましてくれる両親です。
私の友人たちが来ても、私は見せたい両親です。実際そうしてます。いいじゃん。

なんだろ、この「便利なだけ」に終始しちゃうような憤りがぶつけたかった書きはじめのエッセイ
でしたけど、よします。よしておきます。なんだか野暮ったいですね。