作成日: 14/03/16  
修正日: 14/03/17  

ゆるりと集う

昔の仲間はよいものですね




東京までは新幹線で行きました。大学の友達が、主演のお芝居をされるってことで、友人が誘って
くれたのです。行きの新幹線で富士山が見えてきました。おおよそ行程の半分です。
でかすぎるんですよ、富士山。
それそこまで山々の間を新幹線は走ってきてるのに、、富士山だけはどーーーーーんと
「空」が見えるはずのところに、デカデカーンとそびえるのです。裾野まで
全部「富士山」になっちゃって、なんかこう、遠近感が突然狂うのです。おっきい!

随分と早めに到着しましたので、会場の近くで花屋さんを見つけて、アレンジメントを注文しておきました。
前々から東京ミッドタウンの芝生広場に憧れがあったので、見てみる事にしました。

案の定、大変綺麗で気持ちのいい場所でした。団体客がいたりして、先導役の方が旗振って
せせらぎ周りを闊歩して来たのにはびっくりしましたが、これもまた首都ならではの風景なのかも
知れません。

私はぼーっとしてると、よく声をかけられるのですが、案の定外人さんに「三河台はドコデスカー」と
尋ねられました。知りません、どこでしょう?とは思ったのですが、外人さんよりは、まだナントカできる
気がしたので、スマケー(スマートフォンケータイ)にてマップで地図を出し、「今、ココなんですよー」と
一緒に迷いながら、方向まではお伝えできました。

あと、ミッドタウン近隣には犬の散歩をしてる方が多く、こと外人さんが多いのです。
そのうち目の前で犬が2本足でスックと立ち上がり、へえ、芸達者だなあと微笑んでみてたら、
ずっと立ってる。「ん?」と思うと、飼い主さんもこっちを見てる。私が小脇にカメラを抱えてるのを
目視してるので、ああ、撮れってことかとようやく気づき、パシャリとスナップ。
「撮れたよー」って顔をしたら、サンキューってしぐさをして、にっこりして去っていきました。




いいなあ、ゆるやかな空気。

都市に住んでると、人間のしがらみの質が、田舎のそれと違う事を「体感」できます。
どこか自分を自由にさせる気分を感じるし、反面気負いも生まれてます。
ジャージに寝起きの顔、って体裁じゃ街には出られないし、そぐわない感じになります。

ですから、そういうのは「たまーに」で私はいいなって思うのです。

このあと、20年以上ぶりに会う友人たちと食べたり飲んだりするわけですが、この「たまーに」
会うだけってのが、一番刺激受けるんですね。
みんな大阪で知り合って、社会人になって、散り散りになって、誰それが主演するから芝居見に行こうよと
話が出て、じゃあ上京のチャンスに前々から賞味してみたかった、友人がオーナーのラーメンも
食べちゃおうという運びになり、じゃあどうせ上京するなら顔見ようって友人も混じり、
ゆるやかーに集団化するけど、お互いがお互いにそれほどの束縛もせず、また知り合いってほどの
間柄でもないひとたちでゆるりと徒党を組むから、話も温和なテイストで進む。

ああ、こういうのっていいなあって思いました。若いうちの自己主張もそろそろ枯渇する年齢だし、
各々の事情もそこそこに知り合ってるから、大怪我に至る事態にはなりにくいし、かといって芸大出の
連中でつるむから、どこか普通じゃないテンションとねじ込みがあるんですよね。
(スポーツの話も車の話もしないしね!全然。これが実に助かる心地なのよ)

ゆるーりと話して、アイツ今どうしてるの?ってことやら、今どこにいて、ナニナニ・・みたいな話もして
たあいもないんです。たあいもないんですけど、これが実家や地元では「会話にならない」テーマや
モチーフだったりするので、話はヒートアップしやすい気がします。いや、ヒートアップってほどの
熱量もなく、ああ、ただ「話したいってことはこれだったのかあ」と、お腹の底のどこかから
突き上がってくるカタマリのようなものを、うすぼんやりと感じていました。

集まりによって、お互いが知ってるものが、違いますものね。自分が気にかけているものが
なにだったかを、こういった集まりの時には、あらためて感じ直せる機会になります。
話すまで「そんなこと気にしてた事も忘れてたよ」ってことを、芋づる式に思い出していく感じ。
お互いにそう感じたからこそ、うすーいシンクロニシティみたいなものが漂うのでした。
で、それは贅沢なことだよなあ、ってしみたのです。

住んでる所、生きてる所が違う者同士が、すーっと寄っていって、だぁーっと話す。声は大きくなるし、
普段しないでいた「笑い方」に戻るし、なにか別の「スイッチ」がオンになるんですよね。
明らかに昔からあったスイッチではあるんですけど、年期を重ねて、スイッチは昔とは違う機能を
発揮してくれるようになる。ああ、そうか、これが年を重ねるっていう楽しみなんだと思いました。

年をとるんですね。私たちは年をとるんだった、ってね。
昔っからを知ってる者同士だから、変遷も予感できるし、ねぎらいも、うながしもお互い慣れてるのも
気持ちいいものでした。

その日、「半日一緒だった人」も「30分ご飯を食べた人」も「夜公演を控えた女優」もいっしょくたになって
誰も偉ぶれず、低くもならず、堂々と「自分のまんま」を投入し合う東京は、とっても愉快な心持ちに
させてくれました。

狙ってこうなるもんでもないですしね。古くからの友達っていうのは、いいなあ、って思ったのです。
またお会いしましょう。アデュー。