作成日: 14/04/25  
修正日: 14/04/25  

ラジコプレミアム

いいわー


2014年の4/1より、インターネット経由で聞けるラジオ「ラジコ」が月々350円支払うと
全国のラジオが聞けるようになるというので、早速使ってみました。おお、本当でした。便利便利。

ラジオは好きなのです。なにかヨソゴトしながら耳から情報が入るのは気持ちいいのでした。
ラジオってその地域地域の温度差が出ます。土地柄も含まれる気がします。

面白さ、って意味ではやはり東京近辺のラジオ番組はやはり面白いです。力があります。
情報の質は新しかったり、ウィットに富んでたりと、「後腐れの少ない軽さ」がありまして、
これも土地柄だなあと思うのです。

転じて、関西圏のラジオの「堅実さ」も独特だなあと思います。新しさ加減については、どうしても
東京圏のラジオに引けを取りますが、「着眼点」にちゃんとくせがあり、「掘り出し物」に富もうとする
傾向がきちんと出ています。関西とひとくくりに言っても、「大阪」のパワー推しな感じと、「京都」の
はんなりさ加減と、神戸の「品」のある独創さが綺麗にうっすら感じられて、気分によって聞き分ける
ラジオはとても気持ちいいのでした。

そのふたつの都市圏にはさまれた中部圏のラジオで気づいたのは、東京圏の新鮮さも、関西の多様性も
「どっちもくどい!」と思った時には、案外聞き心地がいい時があるのです。

東京圏は日本の首都めいた報道に走るときがままあります。米国大統領が来日して警備体制が厳しくなりましたと
ラジオで聞いても、地方の人には「へー」としか聞き流せなかったりします。また、お買い物情報や
イベント情報は「東京近辺オンリー」なわけですから、地方の人には「いいねー」となってしまいますから
「くやしー」気持ちで悶々とするときがあります。

一方、関西圏にはやたらと「落語家」さんがパーソナリティであったり、「芸人」が前面に出てくる
番組も多く、そのコッテコテの関西弁は確かに面白いのですが、食傷気味になるときもあります。
そうそう、アマチュア映画とか作ってると、格安で出演を快諾していただける落語家さんや芸人さんが
いらっしゃいますが、おおむね作品の空気にそぐわない傾向があったりするのも関西ならではかもしれません。
「いや、そこまで関西推しせんでも・・」ってときに、中部圏の「ナニ色にもしようのない」とりとめのなさから
「地域色排除」に走る気配を感じるのです。

東京圏のような新情報はなく、関西のような推せる個性やパンチも欠ける、そう、テレビで言えば「テレビ東京」の
ような「いいとこどりは先行各社にガッチガチにされてますんで、こういう突破しかなかったんです」的
申し訳なさスタートなのです。つまり「それっぽい」ことまではするけれど、決して新しくはない。その上
パンチも個性も「それといって」程度のものでしかない。ゆえに「それっぽい魂」だけでずんずん番組を
作ります。

東京圏のんも関西圏のんもそこそこ中部圏には入ります。土曜日お昼の12時からは「吉本新喜劇」って
私は全国で放映してるんだと思ってましたが、違うんですね。幼少の頃からあれ見て笑ってきた人たちと、
見ないで過ごしてきた人たちは、会話の弾みが全然違っちゃうんだと思うんです。あの「共有感」って
B級グルメと一緒なんですよね。東京からの番組をそこそこ見られて、関西からの番組もそこそこ入って
来てて、どこからがローカルの中部圏なのか?を判然とさせない作りが基本的にある中部圏の「曖昧さ」と
いうものが、ひいては日本中の「うん!うちもローカル!」意識にはフィットするのです。

日本中のほとんどは「ローカル」なわけで、ほとんど「東京」でも「大阪」でもないのです。
供給される番組は東京と大阪が「キー局」なんでしょうが、それを受ける側は「ローカル」です。
当然、生活と情報に乖離が生まれる訳です。東京都心の大雨による増水ニュースも、関西弁のマシンガントークも
文化圏・生活圏的に「ギャップ」があることを心のどこかにひっそり認知させて、聞き受けます。

それがゆえに「どこでもない、それっぽさ」をローカルなりに発明しますから、それはそれなりに透明っぽい
「それっぽさ文化」に向かう訳です。ラジオにもそういった傾向を感じるとともに、「それでも名古屋弁」的
ニッチな突破という2局化を感じます。言い換えれば「FMラジオ」的な「それっぽさ感」と、「AMラジオ」的な
「ローカルもりもり」感の住み分けです。
「ジッピー」などという、愛知独特の「リスナーにネーミング」してくる感は東京でも大阪でもない発明感が
ありますし、AMラジオの「つボイノリオ」さんや昔で言う森本レオさんのような「全国区のような、そうでないような」
的な、あやうい存在感が脈々と愛されます。

なんとなく当エッセイお読みの方はお感じになるかもしれませんが、中部圏以降の「ローカル地域」がメディアで
「それっぽく」なることで、「正体はないが、まぁそれなりに」感であるために、かえって「心地よく」なる
事が多いのです。

つまり、東京のラジオでは「首都圏情報」がうるさく、関西圏の「今日は関西弁をかんにんして欲しい」といった
「あんまりどこにも属さない感」でありたときに、私はラジコプレミアムでローカルなラジオ局が心底
心地よいのです。北海道や九州、四国や中国地方、東北や北陸、沖縄のラジオの「無彩色感」や「ちょっぴりな
ローカル感」が選択できる心地よさこそが、ラジコプレミアムの醍醐味なのではないのか、と思うのです。

「詰まり切ってない、スカスカ感」とゆとりがラジオから感じ受けられます。フィーリング重視なわけですから
気分によって、こちらの「受け付けられる量」によって聞き分けられるラジコプレミアムは最高に便利です。
深夜のラジオはやっぱり東京のんは面白いですもんね。感謝いたします。