作成日: 14/05/10  
修正日: 14/05/10  

ミレー展みて

回路がするっと変わる感じ


ミレー展が近くでやっていると知り、自転車で行ってみました。
5月の天気はカラッとしてて自転車日和、リュックには眼レフ一台に40mm。
いいもんですな。

私は行き詰ると絵を見に行きます。分からない分野です。ですからとても気晴らしに
いいのです。てんで脳が別のレーンに移った感じがするっていうのでしょうか。

「種をまく人」とか名作と呼ばれるものがありましたが、今回は風景画に魅かれました。
パッと見に、「もっさり」とした茶系統、深緑系統の絵がぼーんとあるので、そこの前に
立って、じーっとみてると、面白いもので「目が慣れてくる」のです。

パッと見なら、まず私は凝視をあんまりしない方ですが、今回風景画はこの「目が慣れてくる」を
経たあとでは、ずんずん「ディティール」に意識が持っていかれるのが分かりました。
分かりました、というのは、どの風景画でも同じイントロだったのです。

まず「もっさり」感がして、じーっと見てると画家が「これ見といて欲しいんだけど」って
ところがじわーっと来て、筆致や息づかいが追っかけてくる。

絵、って「それを描いてたときの、画家さんが感じ取った『気配』をどうにかこうにか
再現しようって感じがしたのです。録音録画機器のそうした再生能力とは違い、
画家本人のつかんだ「気配」をいろんな手管をつかってにじませようとしてきます。

カンバスの大きさだったり、光量の表現だったり、意図的に「はっきりはさせない」だったり
絵画っていろんな詰め込みがきらきらしていて、理解しきれないにしても心根の方が
面白がってる感じがするのです。ですからフイに素敵なアイディアがモリッと生まれてきたり
します。これが味わいたくって。

実際こうした自覚できる気づきは、「脳」の方でうつろって感じるものですよね。
絵、そのものは毅然と「ただ、そこに、ある」だけなのに、見てる側の中でわいわいと
あちこちに視野や考え方が波立つ。絵画展を見に行く前には期待してなかった刺激が
じわじわきたりします。

あともう一つ。ミュージアムショップ巡りがけっこう楽しいです。そこでしか買えないような
グッズも案外あるじゃないですか。私はお香の類いはミュージアムショップではまった口
なので、他で売ってても、そこに買いに行ったりいたします。

絵ってテクニックもあなどれませんけど、やっぱり画家がそのとき感じた「気配」を
「不器用な具合にナントカしたくって感」がじたばたしてて、かっこいいなあと思うのでした。
わかってないんですけどね、でもそう思いました。