作成日: 14/05/30  
修正日: 14/05/30  

情報を使う

些末なことにも便利に使える時代なんスね


布団の打ち直しってのをいっぺんやってみたく思っておりまして、ネットで近くにやってる
お店はないものかと調べますと、案外近くに「日本で一番!」みたいな名乗りのお店を見つけ、
お、と思いました。

この「お」とは、「便利な世の中になったなあ」という感嘆の言葉です。
布団の打ち直し、なんてものは人によっては一生用のないものでありますし、そうした
生活の「ちょっとした不便」という、ごく「個人的で」「滅多にない」、まさにロングテールの
基本みたいなニッチニッチな要求に、応えてくれるメディアが自宅にあるということのすごさ。

布団打ちというご商売はきっと昔からあったのだとは思います。それでもネットがなかった時代には
「そうしたお店を知っている」人にしか認知されない業種でしょうし、ましては「わが町の近くに」
などということになれば、いよいよ見つけ出すのはよほどの都会になるのではないでしょうか。
加えて「ネットで探していただいたお客様には郵送のための送付キット」まで用意し、全国からでも
サービスの提供範囲を告知できています。

たしかにそこに「サービス」が存在していても「日々の生活に使う」という、一見「どーでもいー」に
位置しそうな情報のやりとりにまで、インターネットってものが役立ってくれてきて、いよいよ、
そしてやっと、「情報」ってものが「使える」ものになってたのねと、一種の「観念した」感じが
しました。

脳科学者の茂木さんの著書内に、グーグルのお偉いさんの言葉があって、言い当ててると思いますが
「一人の賢者よりも、多数の普通の人の方が賢いし、鋭い一人の知恵より、平均的な多数の
知恵の方が上だ(「ひらめきの導火線」より引用:茂木健一郎さん著)」ってこと。

ここでもひとつ、ポーンと話題がそれるのだが、そうだよね、賢者や天才に「引っ張ってもらった
時代」ってものもあれば、今の時代の強みはどんどんと「ふつうの人」ってものの「総合力」みたいな
牽引力なのかもしれませんね。

ヤフオクのように、全国の見ず知らずの人の持ってるものを買ったり売ったりできるのも
「ふつうの人」の一斉な参加が見込めてこその多彩さと豊穣さだものね。ひとつかみの特権階級さんの
「特権」に値するような利便性なのに、サービスとしてまかなえるようになってるものね。
すごいことですなあ。

「ふつうの人」の「一斉参加」がやりとりでき、まかなえる器って、そうそう発明されるものじゃ
ないと思ってたけれど、「パソコン」だの「スマホ」だのと、このごろの流通アイテムは
お互いに欲しがり、与えたがるものをコネクトする威力に長けたものですものね。

で、朝一番に思いついた「布団の打ち直しってどこか近くでやってるかなあ」などという
寝ぼけたような、瑣末でもある事柄を、誰にはばかることもなく検索でき、答えが得られ、
そこに行ったこともなくたって地図を検索でき、なんとなれば価格相場くらいまでは
やすやすと知ることができていました。そう、一般の、ふつうのことが「情報」を「使って」
知ることができました。こういうのを便利、っていうんでしょうし、「情報」なんてものを
「ふつう」に使える次元にまで持ってきてくれた人にお礼くらいはいいたいよねえ。

司馬先生の本だったと思うんですけど、長篠の戦いで、織田信長が火縄銃300丁で勝ったように、
尾張武士ってのは個々では決して秀でた存在ではなくとも、「組織」された「ふつう」くらいの
武士集団で抜きん出ていく、という着想は、どこかこの「ふつうってものの参加力」の象徴の
ひとつかもしれません。

網羅しているもの、ってのは強いんでしょうね。この「一斉であること」を利便性として捉えた
着眼点をどっかの誰かがうまくやったのだと思います。
でもね、正直なところ、「一斉」の「ふつう」は「便利」だけれど、「オーソドックス」なので、
「面白みに欠けるもの」もまた「満載」なんですよね。「紛れる」のには最適なんでしょうけれど、
それに「染まり」「浸かる」と、いいようのない「淀んだ感情」にさいなまれることがあります。
存在として正に「コンビニエンス」。なんていうんでしょう、「どこにもたどりつけない感」が
漂うんですよね。そこがイマイチ面白くないのですなあ。

「なーんとなく、みんな」の情報部分が、インターネットってものにうまく収納させられつつあります。
いいよねーって話。