作成日: 14/06/08  
修正日: 14/06/15  

つらつら

キータッチのオモムクままに


ネット社会に2点ほど個人的にお願いしたいことがあります。

ひとつ。携帯電話会社の契約者様向けメール、やめさせてください。
本当に喫緊の電話やメールに、日々ヒヤヒヤしてるような状況にある人が、
常々メールチェックを心配りしてなくちゃならないさなかに、メール着信音が
なるだけで、心臓をバクバクさせなきゃならない時に、携帯電話会社の
「新機種発売のお知らせ」だったり、「新サービス云々・・・」とやられると、
もう吐き気がします。すっごい勢いで携帯会社をうとましく感じ、滅べばいいのにと
心底思います。

もうひとつ。友人の誕生日をお知らせしてくるSNSの機能は勘弁してください。
ネット経由で知りたくないのです。知っていたい人はもう知ってるので、わざわざ
「お祝いしましょう」とやられると、たいへん不愉快なのです。
そもそも私の知人友人のことなので、ネットの人にはご遠慮願いたいのです。

以上。

ネットのニュースで「誰それが結婚」「誰それがお亡くなりになりました」と
ニュースを見て「誰?」ってことが多いです。ニュースに出るまで名前すら知らなかった
人のことをニュースされ「はじめて知る」、この違和感ってなんなんでしょうね。

あと「さみしさ」ってモンは本当に人にいろんなことをさせちゃうもんですね。
怒りの感情より、さみしさってものの方が威力があるのかも。
そいつを紛らわすのなら、紛れてくれるのなら、随分割にあわないものまであてがってしまう
もんだなあ、とこのごろ感じています。

冷静になってみれば、ああ、愚かだったなあって思えることでも、「さみしさに
覆われて、苛(さいな)まれてる時」には、もうほぼ駄目ですね。負けちゃう。
負けちゃうとどうなるかっていると、奇行に走る。とりかえしがつかなくなる。
やったのは本人だから、それもいいけれど。

こういう時に「辛抱」だとか「我慢」だとかがしつけられてる人はやっぱり違う。
体に馴染んでるものが、人生の節目にいちいち発揮されるから、辛抱我慢のできる人は
やはり本人にも周りの人にもすわりのいいところへ進む。

そして人生は動く。もりもり動く。
ずっと同じでいるような気持ちでいたのにね。いつの間にか、自分が人生の別のステージに
立っていたことを、ある時はっと気づきます。若い人と、巡ってくるイベントの質が変わってくる。
そして自分の先達の方々が、どんな心持ちでこっちを見ていたのかを知ります。
ああ、そうだったのかって。分かる喜びと、戻れないさみしさとがないまぜになる。

当たり前のものなんてないんだなあ。いろーんな偶然と、陰ながら支えてる人があって
信じられない確率で自分が味わえている幸運を、大事にしなくちゃ、ですよ。