作成日: 14/10/18  
修正日: 14/10/18  

人生のステージ

味わうという能動


大学の同窓生と話してると、自分の生きてるステージが徐々に年齢相応なイベントに
見舞われてることをひしひしと感じるようになりました。
よくも悪くもなく、順繰り順繰りに、誰もにやってくるものです。

細かく見やれば、日々様々な「煩雑」で「どーーでもいい」ようなことに気力や体力を
じゃんじゃか吸い取られてるんですけど、それでも心はどこかもっと大枠の「避けられないイベント」を
覚悟してる風でありまして、それは殊更自分より年配の方と話してると、もう目配せで
うんうん、とわかりあえるのでした。

若い時にかかずらあってきたシンドさや苦痛は、年齢を重ねるとさほどの威力を発揮してこなくなり、
むしろそうした「刺激」で自分の位置を掌握できたりもします。

まさか自分が「目が見えなくなってくる」だなんて思わなかったし、「普通に過ごす」と思ってた
生活は、びっくりするくらい「普通」にならなくて、へー、人生ってそうなんだ、とかあきらめることも
逃げ出すこともやらずに、友と時々話す類いのものなんですね。

お金持ちにも、若さにも、「上手くいってる人」にも、全然「うらやましい」って気持ちはわいてこないし、
そう苦痛なことに見舞われもしていないこのごろです。そうはいっても「なんもかも順調」ではないので、
そこそこな野心と計画は日々練ってはおります。当然自分のこと以外での困難も放り込まれてきます。
がちゃがちゃしちゃうことに、気持ちを持って行きすぎて、がっかりしたり、しょんぼりしたり、
激昂していられるほど、人生はあまく待っててくれないので、いいことも悪いことも「全部並走!」させて
せめてしくじるまい、とやっつけていきます。

そうして思うのです。
なんとかなるんだな、って。

なるようにもなるんだな、って言ってもいいけれど、なされるがままっていうのがまかり通る言い方は
なんだか自分を蔑(さげす)んでる感じがするので、それはなし。
精一杯やってても誰も褒めてくれませんし、成果も頑張ってるに相応する結果とも限らないことが連発します。
かといって手抜いても結果は一緒か?と言われれば、そうではない、とは言い切れそうです。
ただ、概(おおむ)ね「思った通りじゃない」ということは、ほぼスタンダードです。

「思った通りじゃない」ことに対し、どう自分の中で「折り合い」をつけるかで、人生の価値は大きく
変わるな、とは思うのです。
誰にだって「思った通りじゃなかった!」ことは起こりますよね。
そん時に「思った通りじゃないなんて!」と恨んだり、怒ったり、ふてくされたり、他人の命に迷惑を
かけたりする人は、馬鹿な生き様に進みやすいとは感じます。
「思った通り」は人生を左右させるほどに重要な節目では、断固ない、と思うのです。

「思った通り」は、その人が期待したナニガシカでしかなく、実際起こることは「思った通りのはずがない」で
あることのほうが、よっぽど自然です。

上に言う「なんとかなるんだな」っていう言い方は、自分が全然想像していなかったところに、人生ってやつは
自分を運び入れてくれるもので、そうひどくも悪くもしてこないことの、感想なのです。
全く「思った通り」じゃないのに、ぎりぎりと悔しがるでなく、うれしがるでもなく、誰のせいに
するでもなく、「ああ、自分がこうしてたら、そりゃあこうなるわな」と当然の帰着点に自分がたどりつく
だけのことです。たどり着いてる先で、「うん、そう。そうなるわな。これ以外はそうそうないわな」って
ところに自分が居る。
ただそれが「事前には自分には想像していなかった」ものであるだけです。思った通りじゃないけれど、
そうそう悪くない、っていうことです。
もしくは自分で「それでもいいんじゃない」って得心させてるのかもしれません。そんなもんだよな、って。

自分が人生に仕込み続けてきてるものが、芽吹く時に立ち会えるかどうかも判然としてこなくなり、
それが不安になる人っていうのもいるだろうけどさ、巡り合わせで来るもので、都合していくのが生きるって
ことだもの。そこにいちいち感情の起伏を起こしてるよりも、少しでも今自分が「手が出せる」ことをちゃんとやり、
結果は「周りが相応なものを還してくる」ものをいただければ、もうそれ以上は望まなくてもいいんじゃない?

人生のステージごとに放り込まれてくるものを、ひとつひとつ味わって、飲み込む工夫をして、過ごしていれば
人は眼(まなこ)にそういう表情をたたえるようになる。そういう目つきを静かに持ってる人って、
多くを語らなくても、分かり合える。それが「居心地」を生むし、「人柄」を醸してくれる。

長く生きながらえた人だからって、年配者が人格者だらけだとは言えない。
それでも自分より長く生き過ごしてきた人には、他者に伝えきれない「それそこまで生きてきた」実力があり、
やっぱり力なんです。それは讃えられていいし、尊重されるべき価値があります。そんな風におもうように
なってきました。はい。