作成日: 15/01/03  
修正日: 15/01/03  

背広

リーガルのんははじめて


新年に入って、新聞の折り込み広告に背広が安いよ、と載っていたので、一着揃えておくかと
でかけましたところ、見事に店長さんの口車に乗り、いつのまにか広告品でなく、
リーガルのスーツになっていました。でもこういうときって薦め方の上手な人の審美眼に
乗っかった方がいいと決めているので、よい買い物をしたのだと思うことにします。

で、試着室で鏡に映る自分を見てびっくりしました。
ああ、年をとったのだなあ、って。着るものにしても「着たいもの」よりも、「似合うもの」に
シフトした方がいいなって鏡に映る自分に感じたのでした。
髪に白いものが混じり、人生に少し迷った顔つきで、背広を選んでる人がそこに一人。

二十歳の記念に、おじさんが紳士服屋に連れて行ってくれて、ダンヒルのかなり高いスーツを
しつらえてくれたのを思い出しました。ものすごくフィットしてくれて、さすがにいいものは
違うなあって唸ったものでしたが、人生の大きな岐路で一度活躍しただけで、大阪の火事で
部屋ごと他界させてしまったことも思い出しました。

エッセイも、初期の頃に書いてる文章に「若さ」のような勢いを感じることが増えました。
時代時代に書ける主題も着眼点も変われるほどに、けっこう長く続けてるんだなって
我ながら感じ入った新年なのでした。だってパリとも設置して18年目だよ?
初期の更新記録が残ってたのも、自分でわすれてるくらいなんだから。まださ、
ポケベルだのケータイだのが騒がれてる頃ですよ。後にブログだのSNSだのスマホだのと
メディアの方が変遷してるのに、旧態然としてるにしても、続いてるのもびっくりです。

テレホーダイを待って更新したりしたり、「モデム」でネットつないでた頃があったわけです。
ネットスケープナビゲーターに付属してるコンポーザーでHTMLと格闘してたわけです。
ドコモがimodeなんてものでHDMLとかぶっこんできた時代もあったわけです。

つか、20世紀から世紀をまたいでるわけですよ。も、ジェッターマルスのうまれる時代を
通り越してるわけですよ。「未来」だったはずの時間軸上に、息をしてるわけですよ。
友達のほとんどは家庭を持ち、各々の生き方に邁進してるさなか、自分も想定しなかった
いろんなものを見て来れたし、知り合った人、遠ざかった人と甘かったり苦かったりする
生き様の年輪がちょこーっと、増えてるわけです。

で、鏡に映る自分にふと意識が戻りまして
「年もとるわけですな」とひとりごちるのでした。
今年もまた新しく出会う人、出かける街ってのに準備して、新年早々に背広の準備です。
惰性ではなく、背筋伸ばして、生きなくちゃね。