作成日: 15/02/18  
修正日: 15/02/18  

なにを太くしていますか

知らぬ存ぜぬのまま


ネットが携帯やスマホなんてものでもつながるようになり、知識にしても地図にしてもなんにつけ
「便利になった」なんていうふわふわーっとしたくくりで話してると、どうもなんだか決まりが悪い。

ネットが普及して「街の物知り屋さん」程度の人材は、いまやすっかり普通の人扱いであり、
「そんなのネットに載ってるじゃん」とにべもない。

実際のところ、仕事で迷った時に「ネットで調べてみる」が普通になってきている昨今、
私たちの感性の中で最も利益を得ているのは「困るまでは調べもしない事」に平気となっていることでは
ないでしょうか。

昔なら、知りもしない事っていうのには、手出しをしないものでした。不意な失敗に大きな損失を
被るからです。いまや、「多少の分からない」に対しての姿勢は「調べたら出てくる」に変わっており、
それその瞬間までは「知らないで過ごしてる」ことを、どんどん助長されているのでした。

そうしたさなか、やっぱり普段から読書してる人っていう昔ながらの人もいるもので、そういう人には
着々と知識が蓄積し、構築され、まぁまぁ強固な知性が備わっていくのでした。テレビやラジオでも
似たような事がいえますけれど、やっぱり読書は、知識にとって強いなって個人的には思ってます。

そうすると「ネットで調べたらいいじゃん」な人は、そのまんまを許される頻度が高まります。
「調べ方が上手」な人は、いち早く対処できるのかもしれません。そういうのをリテラシー、ってんで
いいのかしら。調べ方が上手、ヒットさせる言葉の選定が秀逸、だなんてのが才能の一つのように
扱われるのは、んー、個人的には、んー、ちょっと、うーん。

例えば料理が分からなくてもレシピや画像、ひいては映像までネットには準備されており、そこそこ外れない
こともできちゃう利便性は素晴らしい事でしょう。ただ、やっぱり強化される事は「料理がうまくなる」
ではなく、「調べ方の上手下手」とか「一発ヒットさせる能力」でありますから、結局のところ
料理は達者にはならぬまま。美味しいものを食べられたにせよ、記憶にも能力にも残らない、とまでは
いいませんが、残しにくいですよね、スキル。
便利便利の波状攻撃で「やぁ、便利」と思ったところで、身に付いていないのでした。まるまる。

と、いうようなことをひたすら繰り返す人生に、さて、どこに価値を見いだせるのかしら、と。
そういうのって便利、って言葉でいいのかしら、って思うんです。

新幹線で南に行く、飛行機で北に行く。日帰りできたり、行った事がなくて知識のない地方に行っても、
スマホ一つで迷う事も少なく、交通事情も掌握できて、そうそう困りもしない、この便利さは、
ありがたいには違いないのです。そして思うんです。「それでなにが自分に強化されたんだろう」って。

知らないまま、いろんなことに突入できるっていうこと?
ナントカナル、って気持ちのままでいる時間が増えてるんじゃないかな。
そう、備えないってこと。
自分を助けるものが、常にそばにあると思っているから。

この感性、伸びてていいモンなのかなって、思ったのでした。オシマイ。